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39. 断定・確信
39.1 する・しない・した
39.2 〜にちがいない
39.3 〜はずだ
39.4 〜はずがない
39.5 〜わけがない
39.6 〜に決まっている
補説§39
39.3 〜はずだ
[納得のハズダ] [否定の形] [過去]
39.5 〜わけがない
[〜っこない]
補説§39
§39.1 ハズの諸説紹介
次に「断定」の表現を見てみましょう。「推量」と「断定」は対立している
もので、断定の方が基本になります。推量を先に説明したのは、基本的な、当
たり前のことの方がかえって意識的に取り上げて考えることが難しいものだか
らです。
「断定」とは、はっきりと言いきることです。見たこと、考えたことを自分
の責任でことばに表すことです。「断定」という用語が適当かどうかは、すぐ
後で考えることにします。
39.1 する・しない・した
さて、断定の基本は述語の基本形です。状態を表す述語の場合から。
あの人は日本人です。
これは私のかばんです。
これはおいしいです。
かぎはこの中にあります。
彼は中国語ができます。
状態述語では現在の状態について、話し手がはっきりと言い切っています。
過去にしても否定文にしても同じです。やはりはっきり言い切っていることに
かわりありません。
これはおいしかったです。
かぎはこの中にありました。
あの人は日本人ではありません。
これはおいしくないです。
彼は中国語はできません。
「はっきりと言い切る」と言っても、くわしく言えば二つに分けられます。
一つは本当のことを知っている場合で、例えば最初の例で言えば、「あの人は
日本人だ」ということを知っている場合です。
もう一つは、確固たる根拠はなく、単に自分の判断でそう信じて言う場合で
す。「日本人にちがいない」とか、「日本人に決まっている」と言うのと同じ
ようなものですが、そこをあえてはっきり言い切ってしまうのです。こちらの
ほうが「断定」と呼ぶのにぴったりでしょう。
文法的にはこの二つを区別することはできません。
未来のことについて述べる場合は、どうでしょうか。
明日はいい天気です。
だと、はっきりわからないことを断定的に言っているのですが、
来年はうるう年です。
となると、はっきりしていることです。しかし、これは「未来」のことと言え
るかどうか。ともかく、文法的には違いがありません。
動きの動詞の場合は、前に「現在形の意味」のところでも述べたように、ま
ず習慣か将来のことを表します。
私は毎日7時に起きます。
飛行機は4時につきます。
現在形のもう一つの用法である「意志」は「断定」とは違います。自分の意
志をはっきり言い切る、「断定的に」言う、という点では近いのですが、これ
はやはり「意志」という別のムードとします。
仮に「意志+断定」とすると、対応する「意志+推量」という形式がないか
らです。
?私は必ず行くだろう。
この「行く」には意志がありません。
「意志」になるのは、主体が話し手の意志動詞の平叙文か、疑問文で主体が
二人称の場合です。
私(たち)は買い物に行きます/行きません。
あなた(たち)も行きますか。
ただし、否定疑問で主体が聞き手の場合、「勧誘」である可能性が生まれ、
意味があいまいになります。
a.(私は買い物に行きます)
あなたも買い物に行きませんか。 (勧誘)
b.(私は買い物に行きません)
あなたも買い物に行きませんか。 (否定疑問・意志)
それぞれの答えは、
a.ええ、行きましょう。/いえ、今は行きません。
b.ええ、私も行きません。/いいえ、私は行こうと思います。
ぐらいになります。
過去形の場合は、すべて断定になります。意志動詞の場合も意志を表すので
はなく、単なる事実の報告になります。
私はこの映画を見ました。
あなたも見ましたか。
断定の気持ちを強く言うには、
彼は 必ず/絶対に/きっと やります。
などの副詞を使います。
上でも少し述べましたが、「断定」ということばをもう一度考え直してみま
しょう。例えば、ある人を遠くから見て、その人が日本人学生か留学生かとい
うことが話題になり、
あの人は留学生だろう/らしい/のようだ。
などと言えば、前に述べた「推量」の表現ということになり、
あの人は絶対に日本人だ。
と言うと、この章でいう「断定」になります。
しかし、これらは、本当はどうなのかを知らない時の表現です。もし、その
人をよく知っている人がいて、
ああ、あの人は中国の留学生ですよ。
と言った場合は、ふつうに言う「断定」とは違うでしょう。単なる事実を述べ
ているだけですから。
しかし、ここではこのようなものも「断定」の中に含めることにします。
かぎはきっとこの箱の中にあります。
のような、本当かどうかわからないものだけでなく、かぎを手渡しながら、
はい、かぎはここにありますよ。
のようなものも、「はっきり言い切っている」という点で、「断定」の中にい
れます。用語としては、「確言」とか「明言」などの方がいいかもしれません
が、代表的な例を中心にして「断定」と言うことにしておきます。
また、強く断定する気持ちを表す複合述語を使うこともできます。それらを
次に見てみましょう。
39.2 〜にちがい ない/ありません
「ちがいない」は「ちがい」という名詞と、不在を表すイ形容詞「ない」と
が複合したものです。過去の「違いなかった」は使いますが、否定の「×ちが
いなくない」(または「ちがいある」?)は使いません。丁寧形は「ちがいあ
りません(でした)」です。
前に来る述語との接続は「〜かもしれない」などと同じで、名詞述語とナ形
容詞の現在の「だ」が落ちるほかは、述語の普通形に接続します。
雨が降る/降らない/降った にちがいない
おいしい/おいしくない/おいしかった にちがいない
元気/元気ではない/元気だった にちがいない
日本人/日本人ではない/日本人だった にちがいない
意味は「きっと〜である」に近く、「必ず・絶対に」などと共にも使われま
す。断定というほど強いものではなく、確信があるけれども、まだどこかにそ
うでない可能性を許している、と考え、「確信」と呼んでおくことにします。
そういう点から考えると、先ほどの「する・しない・した」と言い切った方
が強い言い方だということになります。
彼は、持ち物や身ぶりなどから考えて、日本人観光客に違いない。
足跡がある。誰かがここを通ったに違いない。
日本経済はこれから回復して行くにちがいない。
アジアは大きく発展するにちがいありません。
話し手の意志的行動には使えません。これは「〜だろう」と同じです。
×私は旅行に行くに違いない。
今度の連休に、私は出張に行かされるに違いありません。
過去の「〜にちがいなかった」になるのは、小説などで過去のことを描写す
る場合で、あまり使われません。
彼は失敗したに違いなかった。だから、我々は家で待っていた。
39.3 〜はず だ/です
形式名詞の「はず」に「だ(です)」がついた形で、推論を元にした確信を
表します。確信と言ってもそれほど強くないのですが、「でしょう」や「よう
だ」よりも強い、ということで「推量」に入れず、ここに置くことにします。
述語の形は「〜ようだ」に接続する形と同じです。
│
彼らは 来る/来ない/来た/来なかった │
こちらの方が 大きい/大きくない/大きかった │はずだ
彼女の方が上手な/上手ではない/上手だった │
あの子は 小学生の/小学生ではない/小学生だった│
│
「はず」の一つの特徴は論理的な推理による結論だということです。
荷物は明日届くはずです。(昨日出した)
彼にはすぐわかるはずです。(彼は専門家だ)
この本は面白いはずです。(名作です)
犯人は左利きのはずだ。 (現場の状況から)
次は田中さんのはずです。(プログラムによれば)
その時、彼は事故現場にいたはずです。(その日の担当でした)
死んだはずだよ、お富さん、生きていたとは、お釈迦様でも知らぬ
仏のお富さん・・・
以上の例のように、確信を持つに至るだけの推論があることが多いのです。
「はず」のもう一つの大きな特徴は、事実がそうでないとき、あるいは相手
にそうでないと言われたときにも、「おかしいなあ・・・」という気持ちで事実や
相手のことば、目の前の証拠に反する結論をなお主張できるという点です。
この前ここに入れたんだから、ここにあるはずだ。あれ、ないぞ。
あるはずなんだが。
「あるはずだ」はまだ事実を知らないで言っています。「あるはずなんだが」
は、ないことを知ってからでも言えます。
え、まだ来ませんか。おかしいなあ。もう着いているはずですが。
おいしくないですか。変だなあ。おいしいはずなんですが。
この点が発展すると、「論理的な推論」と言うより単なる「思いこみ」に近
い場合にも使われます。
ここに置いたはずだが、ないぞ。おかしいなあ。
そのお金は先週返したはずですが。え?返していない?はて、あれ
は夢だったか。
私は、そんなに飲まなかったはずですが、後の記憶がありません。
動詞の過去形が使われ、「V−たはずだ」の形です。火災予防の標語に、
怖いのは、消したつもりと消えたはず
という文法的観点から見て傑作があります。(「たつもり」は「40.3」で)
[納得のハズダ]
以上の用法とは少し違った、事実の論理的裏付けを納得した時の「はずだ」
があります。
わからなかったはずだ。これは有名な難問なんだって。
なあんだ。君が持っていたのか。ここにないはずだよ。
寒いはずだ。窓が開け放したままだ。
「わからなかった・ここにない・寒い」という事実がまずあって、その理由を
発見して納得します。「〜わけだ」にも同じ用法があります。(→「63.〜わ
けだ」
この用法と上の「確信」の用法との違いは、文脈から判断しますが、会話で
はイントネーションの違いで区別できます。最後の「〜だ/です」が少し高く
なります。
[否定の形]
「〜はずだ」の否定の形は二つあります。「〜ないはずだ」のほかに「〜は
ずがない」という形があり、こちらのほうが確信の度合いが強くなります。こ
れはすぐ後でとりあげます。
うちの子がそんなことをするはずがない/ありません。
これを「〜しないはずだ」というと、ちょっと迫力に欠けます。
「〜だ」の否定ですから、「〜ではない」となりそうなものですが、
×するはずではない
とは言いません。
[過去]
文末を過去にすると、事実と反対のことを予測していたことを表します。
うまく行くはずだった。(が、そう行かなかった)
損失はそんなに大きくならないはずだったが、実際はひどいことに
なってしまった。
彼はそのままやり遂げたはずだった。私はそう信じていた。が・・・
過去の否定の場合は、なぜか、「はずではなかった」の形も使えます。
彼が担当するはずではなかったが、同僚が休んだために、彼にその
仕事が回ってきた。
こんなはずじゃなかったんだけどナア。見合いの時は、おとなしく
見えたんだけどナア。(が、実際はおとなしくない)
39.4 〜はずが ない/ありません
否定的な確信を表します。
あのけちな人がお金を出すはずがない。
この問題は君なんかにわかるはずがないよ。
そんなひどいことがあっていいはずがありません。
こんなはずはないんだけどなあ。
締切が十日なはずがない。
否定が前に来て「〜ないはずがない」となると、「絶対〜だ」の意味になります。
君にできないはずがない。ぜひやってくれないか。
あんなけちが金を受け取らないはずがない。
そういう話を聞いて、ぼくが見に行かないはずがないでしょう?
(事実、行った)
「〜はずだ」は自分の意志的行動には使えませんが、この最後の例はその例
外になっています。その理由をうまく説明できませんが。
?ぼくも行くはずです。
ぼくも行くことになっているはずです。
ぼくが行かないはずがないでしょう? (絶対行く)
39.5 〜わけが ない/ありません
否定的な確信を表します。「はずがない」とかなり近い意味です。
そんなこと、できるわけがない。
いいわけがない。
彼が見に来なかったわけがない。(絶対来た)
暇かって?暇なわけがないでしょう!
あれが女なわけがないよ。絶対男だよ。
車を運転できないわけがない。
「〜わけだ」は、「63.説明」でとりあげます。
[V−っこない]
否定的な確信を表すものをもう一つついでにあげておきます。くだけた話し
ことばです。中立形に接続します。
そんなこと、おきっこないよ。
ちょっとぐらい食べちゃったって、どうせわかりっこないから、大
丈夫だよ。
39.6 〜に決まって いる/います
動詞が名詞節をとる場合、その動詞が本来とる格助詞の前に「の/こと」が
入れられて、それが名詞節である標識となるのがふつうですが、この文型では
それがありません。
それで、他の名詞節とは別にして、特にここで扱うことにします。意味とし
ては、「決まっている」という動詞の意味が「確信」を表すだけで、「ムード」
の文型というほどのものではないのですが。
心配しなくても、明日は晴れるに決まっているよ。大丈夫だよ。
そんなこと、だめに決まってるよ。
あいつの顔を見ればわかるよ。負けたに決まっている。
私が作ったんだ。いいに決まっている。
どうせできないに決まってるさ。
[文献]
三枝・中西(2003)『日本語文法演習 話し手の気持ちを表す表現−モダリティ・
終助詞−』スリーエーネットワーク
グループ・ジャマシイ(1998)『教師と学習者のための日本語文型辞典』くろしお出版
庵他(2000)『初級を教える人のための日本語文法ハント゛フ゛ック』スリーエーネットワーク
森山・安達19『セルフマスターシリーズ6 文の述べ方』くろしお出版
寺村秀夫1984『日本語のシンタクスと意味供戮ろしお出版
阪田・倉持1993『教師用日本語教育ハンドブック 文法II 改訂版』国際交流基金
吉川編(2003)『形式名詞がこれでわかる』ひつじ書房
日本語記述文法研究会(2003)『現代日本語文法4 第8部モダリティ』くろしお出版
木下りか1997「ハズダの意味分析−他の真偽判断のモダリティ形式と比較して−」
『日本語教育』92
篠崎一郎1981「「ハズ」の意味について」『日本語教育』44
田村直子「ハズダの意味と用法」不明・紀要
仁田義雄1997「断定をめぐって」『阪大日本語研究』9大阪大学
藤城浩子1997「「判断のモダリティ」についての一考察」『日本語教育』92
『日本語類義表現の文法(上)』(1995)くろしお出版
「ト思ウ、ハズダ、ニチガイナイ、ダロウ、副詞〜φ」(森山卓郎)
「ニチガイナイとハズダとダロウ」(三宅知宏)
野田尚史(1984)「〜にちがいない/〜かもしれない/〜はずだ」『日本語学』3-10