主要目次へ

night
day

ホーム文法庭三郎


                                                                      
 

  48.時を表す節

        48.1 概観               48.2 〜とき                 48.3 〜たあと(で)             48.4 〜てから             48.5 〜まえ(に)           48.6 〜まで(に)          48.7 〜うちに             48.8 〜あいだ(に)           48.9 その他            48.10 まとめ           補説§48  48.1 概観 [現在形/過去形] [アスペクト形式] 48.2 〜トキ [スル時とシタ時][イル時とイタ時][形容詞・名詞述語+トキ]   [〜時/時ニ/時ハ][〜時ノ/時ダ/時カラ] 48.3 V−タアト 48.4 V−テカラ 48.5 V−マエ 48.6 V−マデ/マデニ 48.6.1 V−マデ 48.6.2 V−マデニ 48.7 〜ウチニ 48.8 〜アイダ/アイダニ  48.8.1 〜アイダ(ハ) 48.8.2 〜アイダニ 48.9 その他 [V(ノ)ト同時ニ][V-タトタン(ニ)][V-タ瞬間][V-ルナイナヤ]   [V-スル直前/V-シタ直後][V-スル以前/V-シテ以後/V-シテ以来]   [V-テイル最中に]   48.10 まとめ  補説§48   §48.1 テカラとタアトデ:寺村秀夫 §48.2 トキ:寺村秀夫の論文から §48.3 ウチニとアイダニ:寺村秀夫の論文から

48.1 概観

 連用節の中で、時を表わすものを見ていくことにします。単文の中の時に関 する表現は前に見ました。(→「4.6 時を表す助詞」「5.4 時を示すNのN」) 基本的にはそれらと同じように考えてよいでしょう。「Nの前に」などの「N」 のところに文相当の表現が来て、連用節を形作ります。それぞれ対応させてみ ましょう。 │ │     2時に   │ 到着のときに │ 彼が来た時に     2時から  │ 到着から   │ 彼が来てから     2時まで  │ 到着まで   │ 彼が来るまで     2時までに │ 到着までに  │ 彼が来るまでに     2時間   │ 食事の間   │ 彼が食べている間           │ 食事の後で  │ 彼が食べた後で           │ 到着の前に  │ 彼が来る前に           │ 休みのうちに │ 彼が休んでいるうちに │ │  もちろん、連用節の方が形がずっと複雑ですし、注意すべき点が多くなりま す。名詞の場合、前に来る名詞に制限があったように、時の節では使われる述 語の種類・形に制限があります。  名詞と違うところは、述語はテンスやアスペクトの違いによっていくつかの 形をとり、それらの使い分けがあるという点です。      ×するあとで(→したあとで)      ×したうちに(→するうちに、しているうちに)      ×している前に(→するまえに)      ×しているまで(→するまで) これらに対して、「とき」「あいだ」は制限がありません。       する時/した時/している時       する間/いた間/している間  また、主節の述語の時間性の違いによって、      〜あいだ/あいだに      〜ときに/ときは などの使い分けがあることも、名詞の場合と同じです。      以上のように、時の連用節を作る「とき、まえ、まで」などの形式がその前 後に来る二つの述語、つまり連用節の述語と主節の述語に対して何らかの制限 を持っており、その制限を正しく知ることが必要になります。  ここで、前に来る述語に対する制限をざっと見ておきましょう。

仝什澤繊寝甬邨

まず、現在形と過去形に関する制限です。  「〜てから」は必ずテ形であるという点で特別なものです。「するから・し たから」とすると、別の意味(「理由」)に解釈されてしまいます。初級の学習 者によくある間違いです。      映画を見るから、原作を読んでいる。        映画を見たから、原作を読んでいる。         映画を見てから、原作を読んでいる。  あとの二つは、事柄の順序としては同じになります。  「〜てから」以外で過去形、つまり「〜た」の形の述語をとれないものは、     ×した前/したうちに/したまで(に) などです。逆に、必ず過去形になるのは、      した後で   (したとたんに  したきり  したのち)   などがあります。  「〜とき」や「〜あいだ(に)」は以上のような制限はありません。

▲▲好撻ト形式

次に、「〜ている」や「〜てある」の形をとれるかどうかですが、これは結 局、時間の長さを表す複合述語なので、形容詞や状態動詞がとれるかどうかと 同じになります。つまり、状態性の述語をとれるかどうかです。  まず、前に長さのある述語を要求するものは、「あいだ・うち」です。      寝ている間に泥棒に入られた。      日本にいる間に、何がしたいですか。  勉強しているうちにわかってきた。      明るいうちに家へ帰ろう。 学生のうちに/学生であるうちに 勉強しておけ。  これらはみな状態性の述語です。ふつうの継続する動作も問題ありません。      新聞を読む間に、ご飯が炊けた。      それについて勉強するうちに、いろいろなことを知った。  瞬間的な事象には使えません。     ?彼が来る間に/うちに、部屋を片づけよう。  (→までに)     ?ガラスが割れる間に/うちに、キラッと輝いた。(→ときに)      瞬きする間に/うちに、フィルムは5コマ進んでいる。 「瞬きする間」はまさに「瞬間」なのですが、この例では時間の幅のある動き として見なされているので、「あいだ」が使えます。  同じ動詞でも、次のように時間の幅を持たせれば使えます。      彼が駅からここまで来る間に、部屋を片づけよう。  逆に、「〜まえ・まで」などは、前に点の表現が使えます。      日本に来るまえは、何をしていましたか。      映画が終わるまで、ずっと眠っていた。      死ぬまでに、何か一ついい仕事をしたい。  継続する動作も、問題ありません。      ご飯を食べる前に手を洗う。      そのアパートに住む前は、日本人の家に下宿していました。  しかし、状態性の述語は不自然になります。         ×日本に住んでいる/いた 前は、中国にいました。     ?言葉ができるまで、日常生活に困った。(できるようになる〜)      ポイントがわかるまで、何度もやってみて下さい。  「英語がわかる」は状態動詞ですが、この例では「わかる」ということが完 成するまで、という意味で使われていて、瞬間動詞です。  「とき・たあと」などは、どちらの制限もありません。      日本に来る時/いた時、日本語の大きな辞書を買いました。      死んだあと、人はどうなるのですか。             ここにしばらくいたあと、国へ帰りました。  「てから」は状態性の述語とは使いにくいです。      信号が青に変わってから、渡りましょう。       ?本を読んでいてから、散歩に出かけた。     以上、前に来る述語について考えてみました。あとに来る述語、つまり主節 の述語に関しては、「に」や「で」、それに「は」が付いているかどうか、つ まり「〜あいだ/あいだに/あいだは」「〜あと/あとで/あとは」などの違 いが問題になります。それは、それぞれの用法の説明の中で見ていくことにし ます。  それでは、一つ一つの用法を見ていきましょう。

48.2 〜とき

     「〜とき」は時の連用節の中で最も代表的なものです。使い方の点でもいろ いろと興味深い点があります。「〜ときに」「〜ときは」などの形もあり、使 い方が微妙に違います。(その違いを問題にするとき以外は、代表の形として 「〜とき」を使います)  まず、「AときB」のAには、点の表現も線の表現も来られますし、現在形 も過去形も来られます。これは、後で見る他の時の連用節と違うところです。      日本に来たとき、彼に会った。(点・過去形)      日本にいるとき、彼に会った。(線・現在形)  Bのところに来る表現は、「〜ときに」と「〜ときは」で違いがあります。 「〜とき」はどちらにも使えます。      ふろに入っている時に、雷が鳴った。     ?ふろに入っている時は、雷が鳴った。      私が初めて日本に来た時は、日本はまだ貧しかった。     ?私が初めて日本に来た時に、日本はまだ貧しかった。  「AときB」のAとBの時間的関係は、「Aが前」「同時」「Aが後」「一 方が他方に含まれる」など様々です。      日本に帰ったとき、まずおそばを食べた。 (帰った→食べた)      私が日本にいたとき、彼はタイにいた。  (いた=いた)      ご飯を食べるとき、手を洗う。      (食べる←洗う)      私が着いたとき、彼女はテレビを見ていた。(着いた<見ていた)  最後の例では、「着いた」瞬間は、「見ていた」という時間の幅の中に含ま れています。  では、これらのことをもう少しくわしく見て行きましょう。

[スル時とシタ時]

 「AときB」の文型を教える時にまずぶつかる問題は、「スルとき」と「シ タとき」の違いです。主節の述語である「動き」の動詞の「する/した」と組 み合わせると4つの可能性があります。        〜するとき、〜する。                         〜するとき、〜した。                         〜したとき、〜する。                         〜したとき、〜した。                 最初と最後のもの、従属節の述語と主節の述語が同じ形のものは、学習者に もわかりやすいように感じます。      ご飯を食べる時、いつも手を洗う。      ご飯を食べ終わった時、「ごちそうさま」と言った。  しかし、ちょっと状況を変えると、ほかの形が出てきます。      けさご飯を食べる時、手を洗わなかった。      ご飯を食べ終わった時、いつも「ごちそうさま」と言う。  上に並べた4つの可能性のうち、真ん中のこの2つが、学習者にはちょっと わかりにくいかもしれません。  主節が過去の場合、よく例に出されるのは次の2つの文の違いです。      タイへ行く時に、タイ語を少し習った。(日本で)      タイへ行った時に、タイ語を少し習った。(タイで)  上の二つの文は、「どこで習ったのか」という違いがはっきりあります。  「行く時」では「まだ行っていない」ので、タイではなく、ふつうは日本で習 い、「行った時」では「もうタイにいる」ので、タイで習った、となると説明 します。  この「行く/行った」は、現在から見た「過去」かどうかではありません。 その「時」、主節が表す事柄が起こる「時」を基準時として、従属節の事柄が 実現しているかどうかを表します。  上の例では「行く/行った」のどちらも使えたのですが、      朝起きた時に、歯をみがいた。      ゆうべ寝る時に、歯をみがいた。 の場合は、スルとシタを入れ替えることはできません。     ×朝起きる時に、歯をみがく。     ×ゆうべ寝た時に、歯をみがいた。  これはもちろん、それぞれの動作の前後関係が決まっているからです。もち ろん主体が違えばいいわけですが。      夜、子どもが寝た時に、(親は)ゆっくり歯をみがく。  以上の例で、「スルとき」は「スルまえに」の意味に近く、「シタとき」は 「シタあとで」の意味に近くなっています。ただし、「AときB」のAとBは それぞれ独立した動作を表す動詞でなければなりません。   学習者にとってわかりにくいのは、それが過去の事実であっても、「タイへ 行く時に」の例のように「スルとき」の形を使い、      バンコックの空港に着いた時に、電話をします。 のように、将来のことでも「シタとき」の形を使うことです。しかし、これは 「スル前に」と「シタ後で」の使い方がはっきりわかっていれば、その類推で わかることかもしれません。  このような用法を「相対的テンス」と言います。ふつうの「テンス」は、そ の文が話された時、「発話時」の前かどうかが問題になりますが、「相対的テ ンス」の場合は、ある「基準になる時点」の前か後かによって「スル」か「シ タ」かが決まるという考え方です。  AもBも瞬間的で同時に起こるような現象の場合はどうなるでしょうか。       そのガラスが割れる時、ガチャンと大きな音がした。      そのガラスが割れた時、ガチャンと大きな音がした。  どちらも言えそうです。物理的な時間の前後ではなく、話し手のとらえ方に よってどちらかが選ばれている、と言えるでしょう。  さて、上に挙げたような例の場合がいかにも特徴的で、日本語の「スル」シ タ」の使い方が英語などと違うことをはっきりさせるのに便利なので、つい教 師はこれらの用法を強調してしまうかもしれません。  しかし、次のような場合は、AとBは前後の関係ではありません。したがっ て、「スルとき/シタとき」の対立のしかたは、上の場合とは違ってきます。      日本滞在中、和食を食べる時は、はしを使いました。      大阪へ出張する時は、新幹線に乗りました。      家に入る時、いつも裏口から入った。  「食べる前に」はしを使ったり、「家に入る前に」裏口から入ったわけでは ありません。このBは、Aをする時のいつもの「手段」を表しています。前で も後でもなく、同時に起こっていることです。順序を反対にして、「〜て」で 言うことができます。      はしを使ってご飯を食べた。      新幹線に乗って大阪へ出張しました。      裏口から(入って)家に入った。  上の例では、「いつも」のことなので「スル時」でしたが、個別的な過去の ことなら「シタ時」にもなります。                  (この前)専門店でカレーを食べた時は、手で食べてみた。      インドの人とカレーを食べる/た時は、いつも手で食べた。  そのほかにも、AとBが前後でない場合があります。その場合、「スル時」 になるか「シタ時」かは、繰り返される事柄か、個別的な過去の出来事と考え られるかなどの要因によって決まり、複雑です。      彼が出演する/した 時は、多少遠くてもいつも聞きに行った。      私の町に来て公演した時は、たまたま忙しくて行けなかった。      彼は、テレビを見る時は、いつもこのいすに座っていました。      同じ映画をテレビで見たときは、それほど面白くなかった。      雨が降る/降っている 時は、家で本を読んだ。   雨が降った時は、出かけずに、家で本を読んだ。  Bが線の表現で、Aが点の表現の場合は、前後でも同時でもなく、BがAを 含むような関係になります。    a 私がへやに入った時、彼女は寝ていた。(入った<寝ていた) b その知らせを聞いたとき、彼は研究室にいた。  これらの表現内容は、次のようにして表すこともできます。    a’彼女が寝ていたとき、私はへやに入った。    b’彼は研究室にいたとき、その知らせを聞いた。  この例のように「とき」の前に状態性の述語が来る場合を次に見てみましょ う。

[イル時とイタ時]

 Aが「いる」や「している」のような時間の線の表現の場合は、主節の内容 と従属節の内容が同じ時に成り立っています。現在形と過去形の対立はほぼな くなってしまい、どちらも使われます。特に過去を振り返るような意味合いが なければ、現在形のほうがふつうです。      私は日本にいる/いた時、アパートで独り暮らしをしていた。      金がある/あった 時はよかったが、金がない/なかった 時は悲      惨だった。  主節の述語も状態性の場合は同時期になりますが、そうでない場合は従属節 の時間的広がりの中で主節の事柄が起こります。       私が外出していた時、どろぼうが入った。(していた>入った) テレビを見ていたとき、地震があった。 私は日本にいる時、皇太子に会ったことがある。

[形容詞・名詞述語+とき] 

 状態性の動詞と基本的に同じです。過去形を使うといっそう回想的な気分が 強くなります。      彼女は若いとき、とても美人だった。      今よりもっと若かったとき、私は素敵な恋をした。      私がまだ小学生の/だったときに、今の家に引っ越してきた。      昼のいちばん暑いときに、家を出た。         

[〜時/時に/時は]

 Bのところに来る表現は、「〜ときに」と「〜ときは」で違いがあります。 「〜ときに」はある時点にある事柄が起こったことを述べます。  「〜ときは」は「〜ときに」の主題化した形「〜ときには」の「に」の省略 された形と考えられます。一般的な繰り返される事柄と、主節が名詞述語・形 容詞などの状態性の述語の場合、また対比的な意味を持っている場合に使われ ます。 「〜とき」はどちらにも使えます。      ふろに入っている時(に)、雷が鳴った。     ?ふろに入っている時は、雷が鳴った。      私が初めて日本に来た時(は)、日本はまだ貧しかった。     ?私が初めて日本に来た時に、日本はまだ貧しかった。      前回日本に来たときは、多くの友人に会った。(が、今回は誰にも      会わなかった) (「前回:今回」の対比)      cf.前回日本に来たときに、多くの友人に会った。(単一の事実)  二つ以上の時の節がある場合は「〜とき」を使います。      生きる目的を失ったとき、そして共に生きる人がいないとき、人は      絶望するものだ。    

[〜時の/時だ/時から]

 「とき」は形式名詞なので、その後に助詞を付けたり、名詞文の述語とする こともできます。 困ったときの用心      ちょうど式が始まったときだった。      小学校に入学したときから、数えて16年。

48.3 V−たあと(で)

                           「AあとでB」は「A→B」の順で起こった事柄をそのままの順で表現し ます。このような言い方はほかにも多いので、それぞれの意味合いの違い、使 い分けが重要になります。特に、すぐ後でとりあげる「V−てから」との違い が議論になります。  Aに来るのは動詞の「タ形」に限られます。そして、その動詞は「終り」が はっきりある必要があります。状態動詞や「V−ていた」はそのままでは使え ません。      読んだ/食べた/見た/行った/した あとで       ご飯を食べたあと(で/は)、歯をみがきます。     ×本を読んでいた後で、テレビを見た。     ×商店街があった後で、デパートができた。(あとに)  次の例のように、「終り」がはっきりすれば状態動詞でも使えます。      戦後しばらく日本にいた後、中国へ渡った。 「しばらく日本にいた」という表現で、「いた」範囲が限定されています。  まれに、「〜だった+あと」の形にもなります。      3年間、仕事もなく、ずっと暇だった後だから、体が動かない。  Bに来る述語は「あとで」と「あとは」とで違いがあります。「あとに」と いう形もありますが、少し意味が違います。      運動をしたあとで、シャワーを浴びます。  これが「あとで」のいちばんふつうの使い方の例文で、AとB、二つの動き の時間関係を表わしています。  Bは状態か継続の表現の場合、「あとは」になります。変化を表す述語でも、 その意味が変化のあとの状態を示している場合は「あとは」のほうが適当です。      運動をしたあとは、疲れて何もできません。(?あとで)      ご飯を食べたあとは、ずっとテレビを見ていました。(?あとで)      名古屋に引っ越したあとは、友人と会う機会が減った。      音楽を聴いたあとは、気持ちがよくなります。       これらの例は、「〜あとの時間」は「ある状態」になっている、ということ で、「機会が減る」「気持ちがよくなる」という変化が起こるということでは ありません。  習慣的な事柄も「あとは」になります。      歯を磨いたあとはすぐ寝ます。 「あとで」にすると、「これからどうするの?」という質問に対して、      歯を磨いたあとですぐ寝ます。   と答えているようです。 「あと」は「あとで」「あとは」のどちらの場合にも使えます。二つの「〜あ と」を「と/や」などで並列的につなぎたいときは、この形になります。      働いたあとや運動したあとはやっぱりビールに限る。  「あとに」は時間関係の例は少なく、その「場所」を意味する例が多くなり ます。      手紙を出してしまったあとに、そのことが明らかになった。      みんなが帰った後には、ごみがたくさん落ちていました。(所)      花が咲いたあとに、実がなります。   (時+所)      彼が昨日までいたあとに、私が入った。 (状態動詞でも可)   文末で「〜あと」+「だ」という形にもなります。      その時はちょうどみんなが帰ってしまった後でした。      ちょうどみんな帰った後だったので、誰もいませんでした。      ちょうどみんな帰った後で、誰もいませんでした。  最後の例の場合は、「〜あとで+状態述語」の形になっていますが、この  「で」は「だ」のテ形ですから、上で述べた制限の例外にはなりません。      (今は、ちょうど)運動をしたあとで、疲れて何もできません。 前に「あとは」の例として出した例も、このようにすると「〜あとだ」のテ形 になり、文末が状態動詞でも問題ありません。  「〜あとのN」の名詞修飾の形になります。      食べたあとの片づけがめんどうだ。  「〜あとから」の例。      子どもが帰ったあとからは まあるい大きなお月様  「〜あとでは」という形は、「〜時には」のように「〜あとで」に「は」が ついた主題化とは違います。その意味から「〜あと+では」と考えるべきもの です。この「では」は、条件のところでとりあげる「49.7 〜ては」が名詞の あとで「では」となったものです。      お風呂から出たときに(は)、ビールを飲みます。      お風呂に入ったあとで、ビールを飲みます。     ?お風呂に入ったあとでは、ビールを飲みます。      お風呂に入ったあとは、ビールを飲みます。  「〜あとでは」は、あとに否定的な内容が来ると自然な文になります。      うわさが広まったあとでは、取り返しがつかない。    本人に会ったあとでは、変なことは言えなくなった。

48.4 V−てから

 「〜あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「〜あとで」でも「〜てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「〜てから」の方がぴったりします。      買物をしてから、映画を見ました。      これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。      歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き      ますか。      見てから読むか、読んでから見るか。      ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。  以上の例では「〜あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。      切符を買ってから中に入る。      ちょっと口をすすいでから歯を磨く。      準備運動をよくしてから、泳いでください。  これらは、「〜あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。 これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす るのでは無意味な場合です。   また、時間の経過を表す場合も、「〜あとで」は不自然です。      夜が明けてから人家を探そう。(?あとで)      秋が来てから、急に人通りが多くなった。(×あとで)      日本に来てから、3か月になります。      占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。      最初の文明が生まれてから1万年。  「だ」が付いて文末に来る場合もあります。「〜のN」の形にもなります。      乾杯は会長が来てからだ。      起こすのは医者が来てからでいい。      そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。  「V−てからでないと、〜ない」という表現がよく使われます。      まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。      入会金を払ってからでないと、アクセスできません。  それから、「Aのあと今まで(に)」「A以来ずっと」の場合も「〜てから」 が使われます。      勉強を始めてから、多くのことを学びました。      生れてから、ずっとこの町に住んでいます。      パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。  「AてからBまで」の形にもなります。      小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。 小学校に入ってから大学を出るまでの16年間  「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。      来てからは/も  来てからさえ(も)  来てからより(も)   ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。

48.5 V−まえ(に)

                            「AまえにB」という言い方は、実際にものごとが起こる順序(B→A) とは逆の順で表現することになります。この点に気を付けて、わかりやすい例 文で教えることが必要です。単文のときの「Nの前に」と基本的には同じです。      食事のまえに、手を洗います。      ご飯を食べるまえに、手を洗います。      寝るまえに、歯を磨きます。      日本へ来るまえに、日本語を少し習いました。      走るまえに、よく準備運動をしてください。      その問題について議論するまえに、もっとよく調べるべきです。      雨が降り出すまえに、雷が鳴った。  「〜まえに」は動詞の基本形に接続します。「〜ない前に」は時々見かけま すが、正しい言い方とは言えません。  状態動詞や「〜ている」の形には接続しません。「〜まえに」が接続する動 詞は、「始まり」のはっきりしている動作を表わす動詞です。     ×2時から(座って)いるまえに、     ×3時から読んでいるまえに、      ×英語ができるまえに、   (できるようになるまえに)  「終り」ははっきりしなくてもかまいません。      ご飯を食べるまえに、手を洗います。  「AまえはB」の形になると、Bが状態か継続に限られます。      日本に来るまえは、中国にいました/中国語を勉強していました。      髪を切るまえは、ボサボサで見苦しかった。  「まえには」の形は「まえに」+対比の「は」とも考えられ、主節が継続的 でなくてもよくなります。      ご飯のまえには手を洗いなさい! 「するとき」と意味が近い場合があります。      ご飯を食べるとき、手を洗います。  (いつ手を洗いますか)      日本へ来るときに、日本語を勉強しました。      日本へくる前に、日本語を勉強しました。  「まえに」は、「日本へ来てから」ではなく、という意味合いがあります。 また、「ときに」だと「直前」という感じもします。「まえに」は間があいて いてもかまいません。次のような表現もできます。      日本へ来る1か月前(ずっと前)に、日本語を少し習いました。      日本へ来るまえの年に、日本語を少し習いました。  動詞以外の述語はふつう受けませんが、次のような例もあります。 我々は、教師である前に、まず人間である。 これは時間的前後でなく、論理的前後関係と言うべきでしょう。  「まえ」に「だ」をつけて名詞述語にできます。「の/な」などの活用形も 使えます。      彼の出発は我々が到着する前でしたから、会えませんでした。      借りる前のえびす顔。返す時のえんま顔。      まだ勤める前なので、ずいぶん暇でした。      公演が始まる前なら、いつでもキャンセルできます。 同僚になる前から、彼女のことは知っていた。

48.6 〜まで/〜までに

 「Aまで/までにB」も、起こる順序と表現の順が逆です。基本的には単文 の中の「Nまで/までに」の用法と同じと言っていいでしょう。A、Bそれぞ れに制限があります。

48.6.1 V−まで

 過去のことでも、将来のことでも「スルまで」です。「×シタまで」の形は ありません。      先生が来るまで、騒いでいた。(先生が来た、その時まで)      始まるまで、ここで待っていました。      4月になるまで、わかりません。      私が読むまで、そこの古新聞は片付けないでください。      わかるまで、がんばります。  「AまでB」のAは「終り」がはっきりあることが必要です。状態動詞や  「〜ている」はだめです。Bは継続する動作か状態です。     ×この家は、私が去年から住んでいるまで、彼が住んでいた。      (住む前は)     ×日本語が話せるまで、日本にいます。(話せるようになるまで)     ×締め切りが来るまで、レポートを出しなさい。(来るまでに)  「V−までは」の形は、対比的な意味の場合に使います。      先生が来るまでは、騒いでいた。(来たら、静かになった)      4月になるまでは、わかりません。(4月になればわかる)  「V−までのN」の形で名詞を修飾します。      大学に入るまでの辛抱だ。頑張れ。      無事救助されるまでの不安感は言葉では表せないほどでした。  「まで」の後に「が」または「を」が続いて「それまでの期間(が・を)」の ような意味を表す場合もあります。      大学教師は、なるまでが大変だが、なってしまえば後は楽だ。      この程度の文が何とか読めるようになるまでを「中級」とします。  「AまでB」が「BのはAまでだ」となって、「Vまでだ/で」の形にもな ります。      うるさいのは日が暮れるまでです/暮れるまでで、その後は・・・

48.6.2 V−までに

   こちらも、過去のことでも、将来のことでも「スルまでに」です。「×シタ までに」の形はありません。      子供が帰ってくるまでに、このお菓子を食べてしまいましょう。      学期が始まるまでにこの書類を出してください。 死ぬまでに、何か一ついい仕事をしたい。      ひらがなが読めるようになるまでに、かなり時間がかかりました。 ?夜が明けるまでに、まだかなり時間がある。(まで) 「AまでにB」のAはある時点を示します。Bはある事柄の完成を示す動詞か、 時間の経過を示す表現そのものである「(時が)かかる」です。      この仕事が終わるまで(に)、どれだけしんどい思いをすることか。  この例で「〜まで」なら「ずっと」で、「〜までに」なら「何回も」という 意味になります。  次の例では「入っている」が「完了」の意味になっていると考えられます。      始まるまでに、中に入っていて下さい。 「始まる」前のある時点で「中に入り」、その後は「入っている」状態になり ます。次の「〜まで」の例と比べてみてください。      始まるまで、中に入っていてください。 「始まる」と、外に出てくるように言っています。 「〜までには」は対比的な意味になります。      あなたが帰るまでには、何とかします/とても終わりません。  次の例は副助詞の「まで」+「になる」です。 1ヶ月の特訓で、何とか日常会話が話せるまでになった。

48.7 〜うちに

                              「AうちにB」の一つの意味はは、ある範囲(A)の終りの点を決めて、そ れより後ではBのことが成り立ちにくいから、あるいは普通ではないから、そ れより前に、という表現です。「〜あいだに」でも言える場合が多いのですが、 そうすると今述べたような意味合いが失われてしまいます。  したがって、Aには状態動詞か「V−ている」の形、または形容詞が来ます。 Bは、その時間の幅の中で起こることで、その終わりがはっきりしていなけれ ばなりません。      日本にいるうちに、ディズニーランドへ行ってみたい。       お金があるうちに、買っておいたほうがいいですよ。          子供がいないうちに、お金をためた。      子どもが学校へ行っているうちに、十分昼寝をした。  「うちは」にすると、Aの事態が変わってしまうとBのことは起こらない、 という意味合いが強くなります。       金があるうちは、皆が寄ってきた。      これができないうちは、次へは進めません。     「形容詞+うちに」の場合も、動詞とほぼ同じです。      明るいうちに、帰ってきなさいね。      熱いうちにお召し上がりください。      朝まだ暗いうちに起きて働きました。      まだ暇なうちに、先に少しやっておこう。      涼しいうちは、調子が良かったんですが。      若いうちは、何でもやってみることだ。 「名詞+のうちに」の例。      学生のうちに(学生であるうちに)      子どものうちに   「あいだ」以外の他の表現で言い換えてみると、ほぼ次のようになります。 「うちに」の前の述語の終わりを示す表現に「前に」をつけると、ほぼ近い意 味になります。      日本にいるうちに  帰国するまでに/前に      お金があるうちに  お金がなくなる前に(なくならないうちに)      明るいうちに    暗くなる前に   (暗くならないうちに)      熱いうちに     冷める前に    (冷めないうちに)       若いうちは     年をとる前は  「うちに」にはもう一つのタイプがあります。主に「Vているうちに」の形 で、Aの事態が続くなかで、Bの事柄(主に徐々に起こる変化で、無意志)が 進むということです。Bの事柄は完全に終わっているとは限りませんが、ある 段階までは進んでいるのです。      読んでいるうちに、眠くなってきた。               考えている/いく うちに、少しずつわかってきた。           その写真を見ているうちに、あることに気が付いた。       日本にいるうちに、1ドルが140円になっていた。

48.8 〜あいだ/〜あいだに 

 
   この文型は「に」が付くかどうかではっきりとした違いがあります。その点に 注意して教える必要があります。

48.8.1 〜あいだ(は)

  「AあいだB」の文型は、ある時間の幅をAで指定し、それと同じ幅だけB  の事柄が起こることを表わします。Aは動詞では状態動詞、V−ている、継続 動詞などです。      日本にいる間、ずっと日本語を話していました。      バスを待っている間、回りの景色を眺めていた。      教授が来るのを待つ間、あいさつの言葉を考えていた。      ちょっとこれを書く間、そこで待っていてください。       料理を作っている間、そばで見ていた。      ここにいる間は、ここのやり方に従ってください。  形容詞と名詞の例。      若い間は、そんなことには気付かないものだ。      忙しい間は、かえって身体の調子がよかった。      雨が激しい間は、木陰から出られなかった。 学生の間は、せいぜい見聞を広めておくことだ。      妻が留守の間、ずっと外食していた。  「AあいだB」のAは状態か継続動作で、「あいだ」と共にある時間の幅を 示します。Bも状態か継続動作で、Aが示す時間の幅の分だけBが続くことを 表わします。  「あいだは」は、「対照」か否定を意味します。「対照」とは「その時間の 幅以外の時間ではそうではないが、」という意味合いです。「うちは」と近い 意味です。 節内の述語は現在形が基本ですが、状態性の述語の場合、過去形が使われる こともあります。 雷が鳴っていた間は、怖くて動けなかった。(鳴っている間は)      子どもが昼寝をしていた間、ゆっくり本が読めた。        

48.8.2 〜あいだに

     「に」が付くと、「あいだ」とそのまえの述語によって示された時間の幅の 中のどこかで、Bの事柄が起こることを示します。言い換えると、「〜あいだ に」の「に」は「2時に」の場合の「に」と同じように「点」を示します。  「うちに」と近く、多くの例は置き換えても成り立ちます。      日本にいる間に、一度北海道へ行きたいと思っています。      あなたがいる間に、いろいろ聞いておきたいことがあります。      知らない間に、日本語が上手になった。      私が2ぺージ読む間に、彼は5ぺージ読んでしまう。      ここまで来る間に、知り合い三人に会った。      ここまで来る間に、酒屋が三軒あった。 最後の例は、時間と場所の意味にまたがっています。  形容詞の例。                                 仕事が暇な間に、勉強しておこう。      若い間に、身体を鍛えておきましょう。  「休みのあいだに」などは名詞句のところで触れました。  述語が過去形の例。      彼女がいた間に、いろいろ教わっておけばよかった。(いる間に)

48.9 その他

 時を表す従属節は他にもいろいろあります。いくつか例を挙げておきます。

[V(の)と同時に]

 「同時」とは言っても、直後を表すこともあります。「の」は省略可能です。      私が立ち上がるのと同時に、皆さんも立ってください。      警官が部屋に入ると同時に窓から逃げ出した。      ふたを開けると同時に中から煙が出てきた。  二つの事柄が矛盾せず、成立することを表します。時間的な同時性ではなく、 論理的な「同時」です。      人を集めると同時に、資金も集めなくてはならない。      大きな夢を持つと同時に、堅実な実行力を持っている。

[V−たとたん(に)]

直後を表します。AもBも瞬間的な動きの動詞です。      それを見たとたん、忘れていたことを思い出した。 店に入ったとたん、彼らは驚きの声を上げた。 会社の建物を出たとたんに、仕事のことは頭から消えてしまう。 梅雨が明けたとたんに、真夏の暑さがやってきた。

[V−た瞬間]

ほとんど同時、あるいは直後です。      それを聞いた瞬間、自分の間違いに気がついた。      人類が月面に降り立った瞬間、新しい時代が始まった。 立ち上がった瞬間、めまいに襲われた。

[V−るやいなや]

これも、「〜するとすぐ」ということです。少し古めかしい表現です。      部屋に入るやいなや、窓を大きく開け放った。      彼女の姿を見るやいなや、彼は一目散に逃げ出した。

[V−する直前/V−した直後]

「V−まえ/あと」と同様の表現です。      走り出す直前に、エンジンがおかしな音を立てた。      窓から飛び出した直後に、ガスに火がついて爆発した。

[V−する以前/V−して以後/V−して以来]

これらも同じような表現です。 ここに移り住む以前は、町中の雑踏の中で暮らしていた。      最後の著作を出版して以後は、もう筆を執ることはなかったそうだ。      初めて日本語を教えて以来、ずっとこのことがわかりませんでした。  「以前」には次のような用法もあります。論理的な順序です。      人のことを言う以前に、まずあなた自身のことを反省してみたら?

[V−ている最中に]

 あることが進行中のちょうどその時に、何かが起こります。      楽しく食事をしている最中に、変な話はしないでくれ。      面接を受けている最中に地震があった。

48.10 まとめ

 時の連用節は、その形式から見ると、名詞である「時・前・あと・あいだ」 などを述語が修飾する連体修飾節の形になっているものが多くあります。それ を、そのあとの助詞までを含めて、機能の点から「連用節」と見なしているの です。  連用節で問題になる「ハとガ」の問題は、基本的に「が」が使われるという 連体節の規則が適用されるのでかんたんです。「V−てから」も「が」が使わ れるという点では同じです。主節と同一主体の場合は「は」がふつうです。      彼女が来てから、家の中が明るくなった。(×彼女は)      彼女は、うちに来てから明るくなった。 (?彼女が)  これらの名詞が補語になる場合があります。これは連用節ではありません。      いちばん嬉しいときは、恋人から手紙が来たときです。      その話を聞いて、自分が中学生だった時を思い出した。 結婚する前がいちばん楽しいんだよ。  また、意味的な面から見ると、同時を表すものは「並列・並行動作」に近く、 前後関係は「継起」と関連します。「〜とき」の繰り返し起こる事柄は、次で 見る「条件」と強い関連があります。時の連用節の中でどの表現を選ぶかだけ でなく、他の表現との比較も必要です。  この問題は「複文のまとめ」の中で考えてみる予定です。 補説§48へ  [参考文献] 寺村秀夫 1981『日本語の文法(下)』国立国語研究所   寺村秀夫 1992『寺村秀夫論文集機戮ろしお出版              森田良行・松木正恵 1989 『日本語表現文型』アルク出版      グループ・ジャマシイ編著 1998『日本語文型辞典』くろしお出版   森田良行 1989『基礎日本語辞典』角川書店              益岡隆志・田窪行則 1992『基礎日本語文法 改訂版』くろしお出版  工藤真由美 1995『アスペクト・テンス体系とテクスト』ひつじ書房 益岡隆志 1997『複文』くろしお出版 砂川由理子 1986『セルフマスターシリーズ2 する・した・している』くろしお出版 近藤要司1995「「ときは」の意味について『日本語教育』85 浅野百合子「うちに」「あいだに」「まに」をめぐって『日本語教育』27 国広哲弥1988「時間接続表現の意味−意義素の分析−」『国語と国文学』55-5 言語学研究会・構文論グループ1988「時間・状況をあらわすつきそい・あわせ文 (1)−つきそい文が「してから」のかたちをとるばあい−」『教育国語』92むぎ書房 言語学研究会・構文論グループ1988「時間・状況をあらわすつきそい・あわせ文 (2)−つきそい文が「したあと」のかたちをとるばあい−」『教育国語』93むぎ書房 言語学研究会・構文論グループ1988「時間・状況をあらわすつきそい・あわせ文 (3)−つきそい文が「するまで」のかたちをとるばあい−」『教育国語』94むぎ書房 言語学研究会・構文論グループ1988「時間・状況をあらわすつきそい・あわせ文 (4)−つきそい文が「するまえ」のかたちをとるばあい−」『教育国語』95むぎ書房 小矢野哲夫「「〜テカラ〜」という構文をめぐって」 寺村秀夫「時間的限定の意味と文法的機能」『副用語の研究』明治書院 堀歌子「アイダとウチの表現について」学友会? ワンチャイ、シーラパッタクン1992「時間関係の複文の研究−「時(に) (は)を中心に−」『日本語学科年報』14東京外国語大学 安達太郎1995「テカラとアト(デ)」宮島他編『類義下』くろしお出版 笠松郁子他1993「同時性をあらわす時間的なつきそい・あわせ文−「あいだ」と 「うち」−」『ことばの科学6』むぎ書房  近藤要司1995「「ときは」の意味について『日本語教育』85 塩入すみ1995「トキとトキニとトキ(ニ)ハ」宮島他編『類義下』くろしお出版 加藤理恵1998「「時」を表す「たら」と「と」について」『日本語教育』97