物を買ったり、サービスを利用した際に支払うお金のことを「価格」「値段」「料金」「代金」「代価」「金額」などという。
こららの語の中で、それぞれの意味の中心となるのは「金額」である。
「所得金額」や「当選金額」などとも使われるように、金額は物品の売買などで支払うお金の意味に限らず、具体的な数字で表した金銭の量のことをいう。
価格と値段は、「市場価格」や「お値段以上」などと使われるように、物の値打ちを金額で表したもので、価値に重点が置かれた言葉である。
商品を売買する際の金額の意味では、一般的に「値段」が使われ、「価格」はやや文章語的で改まった言い方になる。
料金と代金と代価は、物を買ったり、サービスを利用したことに対して支払う金額のことで、価格や値段のように価値ではなく、物を得たりサービスを受ける代わりに支払う金銭という意味に重点が置かれる。
物を利用・使用したり、サービスを受けたりしたことに対する金銭には「料金」が使われ、品物や物件を得る代わりに支払う金銭には「代金」や「代価」が使われる。
また、代価には、あることを達成するために生じた犠牲や損害という意味もある。
無料も無償も、商品やサービスに対する料金を払わなくてよいという意味では同じだが、どちらが得かといえば、無償の方が得である。
無料には、料金を払う必要がないという意味しかなく、無条件ということではない。
裏を返せば、料金を必要としない代わりに、会員登録をしたり、商品のレビューを書くなど、料金以外の対価を求められる可能性もあるのが無料である。
無償は、「無償の愛」や「無償の奉仕」といった言葉もあるように、一切の見返りを求めないこと。
料金が必要ないだけではなく、会員登録や商品レビューなど、相当する見返りも求められないのが無償である。
現在、日本で通常発行されている硬貨は、1円、5円、10円、50円、100円、500円の6種類ある。
そのうち、穴が空いている硬貨は5円玉と50円玉。
5円玉の孔径は5mm、50円玉の孔径は4mmで、穴の大きさに違いがあるが、穴が空けられた理由にも違いがある。
元々発行されていた5円玉は、穴の空いていないものであった。
昭和24年に急激なインフレが起こり、硬貨の原材料を節約する必要があったため、当時の硬貨の中で一番大きかった5円玉に穴を空け、原材料を節約した。
50円玉が穴の空いた形状になったのは昭和34年のこと。
それまでの50円玉は穴が空いておらず、100円玉と同じくらいの大きさで紛らわしかったため、穴が空けられるようになった。
つまり、5円玉の穴は原材料を節約するため、50円玉の穴は100円玉と区別しやすくするために空けられたのである。
現在では、原材料を節約する必要もなく、50円玉と100円玉の大きさも異なるため、穴を空けておく必要がないように思える。
しかし、大きさや重さ、ギザギザの有無、穴の有無によって、すべての硬貨を手触りだけで区別できることや、偽造防止対策のためにも、5円玉と50円玉には穴が空いていた方がよいのである。
弁済も返済も、借りた金品を返すことで、一般に使われる意味では両者に違いはない。
しかし、返済は法律用語として使われないが、弁済は法律用語として使われ、法律用語の弁済の意味は、債務を履行し債権を消滅させることをいい、一般に使われる返済とは意味が異なる。
弁済の「債務を履行し債権を消滅させる」というのは、お金を借りた場合であれば、借りたお金を相手に全額返すこと。
返済の場合は借りた金額の一部を返すことも返済だが、弁済の場合は一部を返して弁済したということはない。
債務というのは金品の貸し借りだけでなく、商品の売買にも当てはまることで、売る側にも買う側にも、それぞれに債務・債権がある。
お店で商品を買い、後日支払いをする場合、店側には商品代金を受け取る債権があり、お客側には代金を支払う債務がある。
お客がお店に対して、商品代金を期日までに全額支払うことが弁済である。
反対に、商品代金を支払ったが、納品は後日という場合は、店側には商品を納めるという債務があり、お客側には商品を受け取るという債権がある。
お店がお客に対し、期日までに全ての商品を納品することが弁済となる。
定価は、あらかじめ決められた販売価格のことで、原則として値上げや値下げは認められていない。
希望小売価格(メーカー希望小売価格)は、商品のメーカーなどが小売業者に対し、「この値段で販売して欲しい」という希望で付けられた価格。
定価のような拘束力はなく、実際の販売価格は小売業者の裁量で決められる。
オープン価格(オープンプライス)は、出荷価格だけをメーカーが決め、販売価格については小売業者が自由に設定できるものである。
かつては、あらゆる商品に「定価」の文字があったが、メーカーや卸業者が出荷先に販売価格を拘束する行為は、独占禁止法によって一部例外を除いて禁止されており、定価は販売価格の拘束と受け取れるため、「希望小売価格」や「参考小売価格(参考価格)」「標準小売価格」の表示が多くなった。
定価表示を例外として認められているのは、「再販売価格維持制度(再販制度)」で価格の維持が認められている、書籍・雑誌・新聞・レコード・音楽用テープ・音楽用CDといった著作物や、国の許認可で販売されるタバコである。
「希望小売価格」の次に登場したのが「オープン価格」。
1980年代中頃から家電量販店などによる値下げ競争が激化し、「希望小売価格」が有名無実化したことが「オープン価格」の契機といわれる。
「希望小売価格5万円の50%OFF」と表示しているが、半額の2万5千円が相場であった場合、他より安い訳でもないのに、消費者は激安販売されているよう錯覚させられる。
このような二重価格表示問題が起きたことから、公正取引委員会が「15%以上の値引きが市場の2/3以上で、20%以上の値引きが市場の1/2以上で行われている場合は二重価格」という基準を設けた。
その基準に抵触しないため、メーカーはモデルチェンジで値崩れしやすい旧モデルに「オープン価格」を採用したが、「希望小売価格」が設定されている商品に関しては、値引き率の強調表示続いたため、多くの家電製品に「オープン価格」が採用されるようになった。
現在では家電以外のメーカーでも、「オープン価格」を採用するところが増えてきている。
ATMを日本語では「現金自動預け払い機」、CD(キャッシュディスペンサー)」は「現金自動支払い機」という。
日本語を見比べると、預け入れ機能の有無となるが、両者の違いはそれだけではない。
CDは「Cash Dispenser」の略。
意味はそのまま「現金自動支払い機」で、預貯金の引き出しのほか、残高照会、カードローン、クレジットカードのキャッシングなど、現金の支払いにかかわる機能に制限されたものとなっている。
ATMは「Automated Teller Machine」の略。
「Teller」は金融機関の窓口業係のことで、「Automated Teller Machine」を直訳すれば「自動金融窓口業務機」。
つまり、金融機関の窓口の業務に近い機能をもつのがATMである。
金融機関や機械によって使える機能は異なるが、ATMは預貯金の預け入れ・引き出しのほか、残高照会、通帳記入、振込、振込予約、振替、ローンの返済などできるものが多く、カードローン、定期預金や外貨預金の申し込みや解約、キャッシュカードの暗証番号変更といった、様々な機能がついたATMもある。
このように、ATMとCDでは機能に大きな違いがあるが、あまり区別されておらず、「CD」も「ATM」と呼ばれることが多い。
将来の利益を見込んで株や不動産などに資金を投下することを「投資」や「投機」という。
リスクの低いものが「投資」、リスクの高いものが「投機」と言われたり、中長期の保有は「投資」、短期の保有ならば「投機」と言われることもあるが、投資と投機の違いは、「資(資本)」に投じるか、「機(機会)」に投じるかの違いと考えるのが妥当である。
同じ株式で資産運用する場合でも、将来の成長が期待できそうな企業に対して投下するのが「投資」。
企業が成長すれば、配当金や優待などの形で還元される。
また、企業の価値が高くなれば、株価も上がるため、株の売却益も増える。
企業の成長に対する投資をして利益を出すことは、短期では難しくなるため、中長期の保有となり、リスクもある程度は抑えられる。
一方の「投機」は、株価の推移を見て値の上がりそうな株に投下するものである。
機会(チャンス)とあれば、1日に何度も売買を繰り返すデイトレードなどがそれで、企業の業績よりも、株価の値動きに応じて売買するため、短期的でギャンブル性の高い運用となる。
不動産でも、投下したもの自体が利益を生む資本への投下であれば「投資」、値動きを見て機会へ投下するのが「投機」であることに変わりなく、家賃収入を見込んでマンションを購入した場合は「投資」であるが、不動産相場が上がったタイミングで売る目的の場合は「投機」となる。
小額は「小さな額」で、金額の単位が小さいという意味。
1万円札に対して1円玉や100円玉などが小額で、「小額紙幣」「小額貨幣」「小額通貨」などと用いる。
少額は「少しの額」で、金額が少ないという意味。
同じ1万円であっても、1円や10円からすれば多い金額だが、100万円や1,000万円からすれば少ない金額で、基準となる額から見た時に少ない金額が「少額」となる。
「少額出資」「少額訴訟」「少額の寄付」「少額の費用」など、小額に比べて使用される頻度が高い。
小額の対義語は高額で「高額紙幣」など、少額の対義語は多額で「多額の費用」などと用いられる。
ただし、「少額訴訟」の対義語となるのは、「多額訴訟」ではなく「高額訴訟」であるように、少額と高額が対となることも多い。
これは、高額が金額の単位が大きい意味のほか、多額の類語で「高い金額」も表すためである。
また、少額の類義語には「低額」があり、低額も高額の対義語である。
節約も倹約も、無駄を省いて切り詰めることを意味するが、対象範囲は異なり、「経費の節約」「電気の節約」「時間の節約」など、節約はお金以外の場合にも用いるのに対し、「電気の倹約」や「時間の倹約」とは言わないように、倹約はお金に関することのみ用いられる。
節約と倹約では、ニュアンスにも違いがあり、節約は合理的に無駄を省き切り詰めることで、プラスの印象を与えるが、倹約は無駄を省いて出費をできる限り少なくすることで、けち臭い印象を与える。
このような節約と倹約の違いは、使われる漢字の違いに通じる。
節約と倹約に使われる「約」には「引き締める」、節約の「節」には「区切り」、倹約の「倹」には「無駄や贅沢をしない」といった意味がある。
節約は、制限のもと切り詰めることに重点があるため、金銭に限らず用い、プラスの評価となるが、倹約は、贅沢な生活をせず切り詰めることに重点があるため、金銭に関することにのみ用い、出し惜しみをするケチな人というマイナスの評価になるのである。
利率とは、一定期間内の元金に対する利息の割合のことで、「表面利率」や「クーポンレート」とも呼ばれる。
一般的に年利で表され、100万円を預けて一年間に受け取る利息が1万円であれば、利率は1%になる。
利回りとは、投資金額に対する利益の割合のことで、国債や社債など、販売価格が変動し、額面金額と異なる商品で用いられる。
額面金額100万円、表面利率が5%の債券を95万円で購入し、4年間保有して償還した場合、4年間に受け取る利益は、利子20万円と売却差額5万円の25万円で、一年あたりの利益は6.25万円となる。
購入金額は95万円だったので、年平均利回りは6.25万円÷95万円×100で、約6.58%となる。
ただし、実際の利回り計算では、税金や管理費などの費用も考慮する必要がある。
利率と比較した場合、利率6.58%と、利回り6.58%であれば、最終的に受け取る金額は同額となる。
しかし、利回りの計算には売却時の利益が含まれているため、償還前に受け取る金額は、利回り6.58%よりも利率6.58%の方が多く、利率6.58%であれば年6.58万円の利息、利回り6.58%でも表面利率は5%なので、償還前に受け取る利息は年5万円である。
寄付金(寄附金)とは、公共団体や宗教施設、学校法人などに金銭を贈ること。
災害時に寄せられる寄付金は、用途によって「義援金(義捐金)」と「支援金」に分かれる。
義援金とは、災害などの被害を受けた被災者を支援をするために、日本赤十字社や赤い羽根共同募金などに寄せられる寄付金のこと。
支援金とは、被災地で支援活動するNPO法人やボランティア団体に対して送られる寄付金のこと。
義援金は被災地の自治体に送られ、義援金配分委員会によって寄付金の100%が公平・平等に被災者へ配布される。
確実に被災者の元へ届けたいということであれば、支援金よりも義援金の方が良いが、公平・平等に配分しなければならず、その作業も自治体が被災した混乱の中行うため、被災者の元へ届くまでに、かなり時間がかかるという問題がある。
支援金は被災者へ直接届けられるものではないため、義援金の方が良いとか、支援金の用途は各支援団体が決め、使途や収支報告は行われているが、無駄遣いされる可能性がゼロではないため、義援金の方が良いなどと言われることも多い。
しかし、被災地での救命・復旧活動に役立てられるのは、義援金ではなく支援金で、被災者のニーズに応じて迅速な対応ができるのも支援金である。
支援団体の活動内容を把握し、その支援団体を応援するために寄付するものと考えた方がよい。
「寄付金」と「寄附金」、「義援金」と「義捐金」の漢字表記の違いは、下記の通りである。
「寄付金」と「寄附金」の意味に違いはなく、一般には「寄付金」が多く使われ、法令や公用文では「寄附金」が使われる。
「義援金」は、本来「義捐金」と書くが、「捐」の字が常用漢字ではないため、新聞などでは「支援」の意味から代用して「義援金」と表記される。
「捐」には「捨てる」の意味があるため、「義捐金」よりも「義援金」の方が好ましいとも言われるが、「義捐金」でいう「捨てる」は、「私財を出して(捨てて)人を助ける」という意味である。
精算の「精」は、「精細」「精密」「精巧」などにも使われるように、「細かい」「詳しい」の意味があり、精算は、金額などを細かく計算することや、料金などの過不足を計算し処理することを意味する。
「出張費の精算」「駐車料金の精算」「経費を精算する」などと使う。
清算の「清」には、「清める」「綺麗にする」の意味があり、清算は、債権・債務などの貸し借りに結末をつけることや、解散した会社や組合などの財産処分をすることの意味で、「借金を清算する」「清算会社」などと使う。
また、結末をつけるという意味から、「不倫関係を清算する」「過去を清算する」など、金銭に限らず、それまでの関係や事柄に片を付ける意味でも「清算」は使われる。
「算」の字を含み「せいさん」と読む言葉には「成算」もあるが、成算は、成功する見込みのこと。
精算や精算の「算」は「計算」の意味だが、成算の「算」は「もくろみ」「はかりごと」の意味である。
金融機関にお金を預けることを「預金」「貯金」「貯蓄」などと言い、同義に扱われるが、それぞれが表す意味と預ける金融機関に違いがある。
貯金とは、お金を貯めること。
ゆうちょ銀行(郵便局)・農協(農業協同組合)・漁協(漁業協同組合)では「貯金」と呼ばれる。
預金とは、金融機関にお金を預けること。
銀行・信用金庫・信用組合といった民間金融機関のほか、労働金庫では「預金」と呼ばれる。
つまり、ゆうちょ銀行・農協・漁協では「貯金」、それ以外の金融機関では「預金」が使われているのである。
「預貯金」と言う時は、銀行などに預けた「預金」と、ゆうちょ銀行などに預けた「貯金」を合わせたお金を表す。
金融機関によって「預金」と「貯金」の呼称に違いがあるのは、明治初期に銀行や郵便局が作られる過程で、元にした英語に違いがあり、預金は「deposit(デポジット)」から、貯金は「saving(セービング)」からだったためや、銀行は企業のお金を扱うことが多かったため「預金」を使い、郵便貯金は個人のお金を扱うことが多いため「貯金」を使うようになったといわれるが、正確なことはわかっていない。
「預金箱」とは言わず「貯金箱」と言うように、個人が手元で貯めるお金は、普通「貯金」が用いられ、「預金」とは言わない。
つまり、「貯金」はお金を貯める意味として広く用い、「預金」は金融機関に限られた表現になる。
例外として「タンス預金」という言葉があるが、これは「銀行に預ける代わりに家の中で現金を保管する」という意味からであるため、この場合も金融機関に限った表現といえる。
「貯金」よりも更に広い意味となるのが「貯蓄」である。
「預金」や「貯金」という時の対象は「金銭」だが、「貯蓄」という時の対象は「財貨」で、預貯金に限らず、保険の積み立て・有価証券、不動産投資なども含まれる。
食品衛生法やJAS法(日本農林規格法)などの規定により、加工食品の多くに「賞味期限」か「消費期限」のいずれかが表示されている(以前は「品質保持期限」もあったが、現在は「賞味期限」に統一)。
消費者が最低限知っておかなければならないことは、賞味期限と消費期限が表す意味の違いである。
賞味期限は、おいしく食べられる期限で、期限を過ぎたからといって食べられないという訳ではない。
消費期限は、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠くこととなるおそれがないと認められる期限で、期限を過ぎたら食べないほうがよい期限のこと。
どちらの場合も、定められた方法で保管し、開封前の状態の期限を表しているので、開封後は期限にかかわらず早めに食べたほうがよい。
賞味期限の対象となる食品は、スナック菓子やレトルト食品、缶詰、清涼飲料水など、品質が比較的劣化しにくいもの。
期限の表示の仕方は二通りあり、製造日から3カ月未満の食品には年月日、3カ月以上の食品には年月のみ記載される。
卵も賞味期限の表示対象で、生でおいしく食べられる期限を表しているため、状態によっては、期限を過ぎていても加熱調理すれば食べられる。
消費期限の対象となる食品は、弁当やパン、惣菜、生菓子など、5日前後で傷みやすいもの。
期限の表示は、年月日で記載される。
弁当や総菜などは、消費期限に時間まで記載されているが、食品衛生法やJAS法では「時間まで記載することが望ましい」としているだけで、義務としては年月日までとなっている。
加工食品でも、品質劣化が極めて少ない塩や砂糖などは、「消費期限」も「賞味期限」も表示義務がない。
アイスクリームもそのうちのひとつで、マイナス18度以下での冷凍保存状態であれば、微生物の繁殖がしにくく、品質劣化が極めて少ないため、賞味期限の表示対象外となっている。
レンタルは、レンタルビデオやレンタカー、レンタルルーム、日用品のレンタルなど種類は豊富。
レンタル業者が在庫として保有する品物を、不特定多数の個人消費者を対象に貸し出すのが一般的である。
使用回数が少ない割に購入金額が高いものを扱うことが多く、契約は短期契約となる。
リースは、コンピュータやコピー機、車など、高価な最新機器・設備の導入を必要とする企業を対象としたものが多い。
リース業者が借り手の代わりに買い取り、貸し出すため、契約は3~6年程度の長期契約で、途中解約は原則認められない。
業者が購入した物を借りるレンタルやリースと異なり、ローンは買ったものの代金を分割払いすることである。
車を使う場合、短い期間や使う頻度が少なければレンタルを利用し、長期で頻繁に使うのであればリースやローンの利用が向いている。
リースとローンでは、それぞれにメリットデメリットがあるため、重視する条件から選択する必要がある。
リースは、総支払額から契約満了時の予定残存価格を差し引いた金額で月々の支払額が決まるため、ローンで購入するよりも月々の支払額は少なくなる。
その代わり、リースは契約満了時に返却が必要になるため、それ以降も必要な場合は、残存価格での買い取りや、リース契約の延長、新規リース契約などが必要となる。
税金面では、リースは全額経費(損金)となるが、購入した場合は資産となり、減価償却分が経費として計上できるだけなので、一括払いした場合、その年の出費は経費として認められる金額よりも多くなる。
ローンで購入した場合は分割払いなので、出費と経費計上の額は近くなるが、資産によっては固定資産税がかかる。
リースは出費と経費が同額で資金繰りしやすく、固定資産税もかからないため、事務機器や設備などに限らず、工場や店舗を一式全体をリースするという契約も増えている。
商品は、商売の品物の意味で、売るため品物・販売を目的とした品物のこと。
製品は、製造された品物の意味で、原料から作られた品物のこと。
簿記会計においても、商品は加工せずに販売するものを指し、製品は加工して販売するものを指す。
自社工場で製造し、販売まで行っているメーカーの場合、同じ品物でも、工場で出来上がった段階は「製品」であるが、市場に販売される段階には「商品」となる。
他社製品を仕入れて販売する場合は、仕入れ先の他社工場にある段階では「他社製品」であるが、仕入れて販売する段階には「自社商品」となる。
また、商品は品物に限らず、「財テク商品」や「保険商品」といったサービスについても用いられる。
金銭などの貸借の対価として、一定の割合で支払われる金銭を「利子」や「利息」といい、これらの意味に違いはないが、慣用的には使い分けがされている。
利子は借りた際に支払うもので、「ローンの利子を払う」などと使われる。
利息は貸した際に受け取るもので、「預金の利息を受け取る」などと使われる。
借りた者がいれば貸した者もいるため、立場によって使い分けされる「利子」と「利息」だが、借りた側が相手の立場に立って話す時は「利息」であり、貸した側が相手の立場に立てば「利子」となるため、必ずしも、「借りた側=利子」「貸した側=利息」とは限らない。
銀行預金では「利息」と呼び、ゆうちょ銀行では「利子」と呼ばれている。
法律用語としては「利息」が通常用いられるが、税法では「利子所得」や「利子税」のように「利子」も用いられる。
「金利」も「利子」や「利息」と同じく、賃借や預金に対する対価を表すが、「金利〇%」と使われるように、金利には元金に対する「割合」「利率」の意味もあり、特に、この意味で使われることの方が多い。
災害が起き時に、被災地に届けられる寄付金は、「義援金」と呼ぶ場合と「支援金」と呼ぶ場合があります。 この二つの寄付金には次のような違いがあります。
義援金とは
災害などの被害を受けた被災者を支援をするために、日本赤十字社などに寄せられる寄付金のことです。 寄付金は一旦、赤十字社に送られ、その総額が被災者に平等に分配されます。 総額を分配するため、分配は災害後少したってからという事になります。
支援金とは
被災地の支援活動をするNPOやNGO等のボランティア団体へ送られます。 「支援金」は各団体がその支援活動に応じて柔軟に用いることができ、食料や衣類や毛布等の支援物資の購入等に使われます。
もちろん「義援金」「支援金」共に大事な寄付金ですが、その違いをしっかりと把握しておくと、より心のこもった支援に繋がりますね。
要するに!
・「支援金」→赤十字を通して被災者に分配
・「支援金」→NPO、NGO等が支援活動に用いる
家電量販店や商品のカタログなどでよく見かける「オープン価格」や「希望小売価格」という表記。「これってどういう意味?」と思ったことはありませんか? この二つの表記には次のような違いがあります。
オープン価格とは
メーカーが小売価格を特に設定せず、販売価格を各販売店にゆだねる方式です。 売値を販売店が自由に設定できるので、目玉商品として利益マイナスの価格設定をすることも出来ます。 販売店によって大きく値段に差がつく場合もあります。
希望小売価格とは
メーカーが「これぐらいの価格で売って欲しい」と希望する価格を設定する方式です。 安売り合戦で価格が大きく崩れてしまうのを防ぎます。
要するに!
・「オープン価格」→メーカーが小売価格に設定せず、販売が自由に設定できる。
・「希望小売価格」→メーカーが基準となる販売価格を設定している。
銀行などの金融機関にお金を預ける時、「預金」という場合と「貯金」というばあいがあります。 どちらも同じ、お金を預けて貯めるという意味ですが、次のような理由により使い分けられています。
預金とは
字の通り、お金を預か(け)るという意味です。銀行は、個人のお金だけでなく企業や商店などの事業に関わるお金も預かります。 お金を貯めるという目的ではなく、一時的に預かるという特性が強いことから、都銀、地銀、長信銀、信用金庫、信用組合などでは「預金」といいます。
貯金とは
こちらも字の通り、お金を貯めるという意味です。ゆうちょ銀行などは個人がお金を貯める目的で利用することが多いことから、「貯金」という言葉が使われています。 ゆうちょ銀行の他にも農協、漁協等では「貯金」使われます。
要するに!
・「預金」→お金を預ける
・「貯金」→お金を貯める
商品がお金を払わずにもらえたり、サービスをタダで利用できる、いわゆる「無料」。これと似た言葉に「無償」というものがあります。 どちらも同じような意味で用いられますが、この二つの言葉には次のような違いがあります
無料とは
「料」という字が使われているとおり、「料金」を払う必要が無いという意味です。 お金を払う必要が無いだけで、商品のレビューを書いたり、何か別のサービスに登録したり、それ以外のものが対価として求められる可能性があります。 「ただより怖いものはない」とよくいいますが、「無料」と書いてある場合は、決して無条件という訳ではありません。
無償とは
お金を含めた、一切の代償を払う必要が無いという意味です。ボランティアなど全く見返りを求めないサービス等に用います。
要するに!
・「無料」→料金を払う必要が無い
・「無償」→一切の代償を払う必要が無い
銀行の一角や、スーパー、コンビニなどに設置されている、現金の引き出しが自動でできる機械といえば、ATMですが、同じような機械をCD(キャッシュディスペンサー)と呼ぶことがあります。 この2つには次のような違いがあります。
ATMとは
ATMは「Automated Teller Machine」の略で、このTeller(テラー)とは金銭出納窓口という意味があります。つまり本来銀行の窓口で行う業務を代行する機械という事ができます。 現金の出し入れや通帳記入、振込み、定期預金の申し込み、解約等多彩な窓口業務を機械で行う事ができます
CDとは
CDは「cash dispenser」の略で、「現金自動支払い機」という意味です。基本的には現金の払い出しのみの機能です。中には通帳記帳が出来るものもありますが「ATM」ほど多機能ではありません。
要するに!
・「ATM」→銀行の窓口で行う業務を代行する機械
・「CD」→現金の払い出しを行う機械
お金の代わりとして使える紙切れと言えば「小切手」。しかしこれと似たものに「手形」と呼ばれるのもがあります。 「手形」イコール借金と、なんとなく怖いイメージをお持ちの人も少なくないはずです。この二つ仕組みには次のような違いがあります。
小切手とは
金融機関等に金銭支払いを委託するための有価証券です。委託と言っても、払うのは当然小切手を振り出した人(会社)の口座からです。
まず銀行で当座預金を設けると、小切手帳をもらう事が出来ます。振出人は、小切手に署名捺印をし金額を記入します。 受取人は、取引銀行に小切手を持っていくと現金化することが出来ます。 銀行から現金を持ち出す必要がないため、多額の金銭を取引する場合等に用いられます。
手形とは
正式には約束手形と言いますが、振り出しの仕組みは「小切手」と同じです。 大きく異なるのは、小切手が受け取り直後に現金化できるのに対し、手形は記載の期日後でなければ払い出しができないという点です。
というのも、約束手形は振り出し日に資金が足りていなくても、会社に信用があれば振り出すことが出来ます。つまり、「支払期日までにお金を用意します」という約束の証と言えます。 因みに、期日までにお金を用意できないと「不渡り」といい、半年で2回以上不渡りをだすと、銀行との取引ができなくなり、会社は事実上の倒産となります。
要するに!
・「小切手」→金融機関に金銭支払いを委託するための有価証券
・「手形」→期日に金銭を支払う事を約束する証券
サラリーマンであれば、給料から源泉徴収という形で所得税を納税しますが、個人事業主は毎年自分で確定申告をしなくてはいけません。 この確定申告には「白色申告」と「青色申告」の2通りの申告方法があります。この二つの申告方法には次のような違いがあります。
白色申告とは
取引の記帳義務が(所得300万まで)なく手軽なのが白色申告です。経費の申告は領収書を保管しておくという簡単なものでOKですが、 受けられる控除が少なく、経費の按分が難しい等のデメリットがあります。所得300万以下の副業などに向いています。
青色申告とは
税務署に個人事業主の届出をすると青色申告となります。複式簿記での記帳義務がありますが、青色申告控除を受けることができる、経費の按分が出来るなど、税制面で様々な優遇を受けることが出来ます。
要するに!
・「白色申告」→記帳義務のない手軽な申告
・「青色申告」→複式簿記での記帳義務がある正式な申告
銀行に口座を作る時、たいていの人は「普通預金」で口座を作ります。 しかし、振り込み先の口座を選ぶ時「当座預金」というものを見たことがあるのではないでしょうか。 この「当座預金」っていったい何だろうと思った人も多いはず。 普通預金と当座預金には次のような違いがあります。
普通預金とは
その名の通り、普通の預金。誰でも簡単に口座を持つことが出来ます。 取引時間内であれば、自由に預入れや払い出しが可能で、少しの利息が付きます。
当座預金とは
小切手や手形の支払いを委託し、決済するための預金口座です。 普通預金と違い口座を持つには審査が必要で半年以内に2回不渡りを出すと取引が出来なくなると言う制約があります。 当座預金は、利息が付かず通帳もありません。普通の預金とは用途が全く異なるという訳です。
要するに!
・「普通預金」→誰でも簡単に口座を持つことができる普通の預金
・「当座預金」→小切手や手形の支払いを委託し、決済するための預金
税金や手数料などを納めるための切手に似た証票、よく見ると「収入印紙」または「収入証紙」と書いてあるのをご存知でしょうか? 漢字一文字違いで似ていますが、この二つは発行機関が異なり全く別ものですので互換性はありません。二つの違いについて解説します。
収入印紙とは
財務省が発行している印紙税や登録税、手数料、罰金などを支払うための証票です。郵便局や法務局、郵便切手類販売所、最近はコンビニでも販売されていて、全国どこでも購入することができます。 額面は1円?100,000円まで31種類発行されていて、所定の額面の印紙を貼付、押印することで納付が認められます。
最もよく見かけるのは「領収書」に貼られた印紙で、2014年4月1日以降は税込54,000円以上の領収書に「収入印紙」を貼付、押印すると定められています。
収入証紙とは
地方公共団体が条例に基づき発行している証票で、各地方公共団体によりデザインや販売場所も異なっています。 「あんまり見かけないよ」と思う人もおられる事でしょう。「収入証紙」は東京都や大阪市、京都市など一部の自治体では既に廃止されています。 また、使用されている地域でも、運転免許試験の申請や運転免許証更新手数料の支払い時など、目的がかなり限定されています。
要するに!
・「収入印紙」→財務省が発行している印紙税や登録税、手数料、罰金などを支払うための証票
・「収入証紙」→地方公共団体が条例に基づき発行している証票
仕事・職業・職は、生計を立てるために日常従事する活動の意味で共通するが、同じ意味で使えることは少ない。
仕事の元々の意味は、すること、しなくてはならないことであるため、「仕事が忙しい」といった使い方ができるが、「職業が忙しい」「職が忙しい」といった使い方はできない。
「忙しい―」と後につく場合には仕事・職業・職のいずれも使えるが、表すことに違いがある。
「忙しい仕事」の場合は経理や営業といった具体的な内容であったり、教師や弁護士といった職種(種類)をいうが、主に具体的な内容についていう。
「忙しい職業」の場合は職種をいい、具体的な内容をいうことはない。
「職」は「職業」の意味のほかに、担当の務めや、担当する地位の意味もあるため、「忙しい職」の場合は職種であったり、常務や部長といった職務をいう。
「―に就く」の場合は生計を立てるための活動についてのことなので、仕事・職業・職のいずれも使える。
しかし、「―を失う」の場合は働き口・勤め口のことをいう。
仕事や職には働き口・勤め口の意味があるため、「仕事を失う」「職を失う」と使えるが、職業にはそのような意味がないため「職業を失う」とは言わない。
職には身につけた技能や技術の意味もあるため、「手に職をつける」といった言い方はできるが、仕事や職業にはその意味がないため、「手に仕事をつける」「手に職業をつける」とは言わない。
在宅ワークと内職は、好きな時間に自宅で仕事をするという点では共通するが、仕事の内容や法律に違いがある。
在宅ワークは、どこかに雇用されるわけではなく、請負契約を結んで仕事を行い報酬を受け取る「個人事業主」という位置づけになる。
在宅ワークの仕事は、パソコンを使ったものが多く、専門性の低いものではデータ入力やテープ起こし、専門性の高いものであればプログラミングやデザインなどがある。
内職は、製造業者や販売業者から委託を受けて物品の製造加工を行うことで工賃を得る「労働者」という位置づけになる。
内職の仕事は、シール貼りや紙の加工、箱の組み立てや縫物など単純作業が多い。
内職は「家内労働法」という法律によって定義されており、労働者であるため、最低賃金が保証されている。
在宅ワークは個人事業主で、下請法(下請代金支払い遅延等防止法)には該当するが、労働に関する法律はないため、最低賃金の保証はされない。
在宅ワークは保証がないため内職の方が良いように思えるが、在宅ワークの方が高収入を得られる可能性は高い。
内職は単純作業で基本的に誰でもできる仕事であるため工賃が低く、こなせる量に限界があるため、高収入を得ることは難しい。
在宅ワークは時間給に換算すると、中には内職と変わらない低い単価の仕事もあるが、基本的には内職より単価が高く、業績に応じて単価が上がることもあるため、在宅ワークの方が高収入を得やすいのである。
専務と常務は、一般に「専務取締役」と「常務取締役」のことを指す。
どちらも、社長を補佐して会社の業務執行にあたる取締役で、会社法上の執行役を兼務することから、専務や常務は「役付き取締役」と呼ばれ、役職を持たない取締役は「平取締役」と呼ばれる。
会社法上の執行役を兼務をする取締役だが、会社法に「専務」「常務」といった呼称の規定はないため、法律上はどちが上ということはない。
企業の内部規定による経営陣の役職になるため、全ての会社が同じではないが、社長や副社長の下位に専務が置かれ、専務の下位に常務が置かれることが多い。
常務の下位に位置するのが、役職のない取締役(平取締役)である。
仕事上の専務と常務の違いも、企業毎の規定によるため明確なことはいえないが、一般的に、専務は会社の業務全体を管理・監督し、社長の補佐をする役割。
常務は日常的な業務の管理・執行を行い、社長の補佐をする役割となる。
専務は会社経営の舵取り的な役割で、常務は日常業務を執行する役割になるため、常務よりも専務の方が、社長や副社長に近い役職となるのである。
会社員とは、会社に雇われ、働いている人のこと。
ふつう、パートやアルバイト、契約社員や派遣社員などの非正規雇用を含めず、正規雇用の者をいう。
社員は、会社に勤める人をいうことが多いが、本来は、社団の構成員や株式会社の株主である出資者をいう。
法律的な用語でも、社員は構成員や出資者のことをいい、会社に勤める人をいうのは俗称となるため、公的文書などで会社勤めの人を表す際は、「労働者」「被用者」「被雇用者」「商業使用人」などという。
非正規で雇われる派遣社員や契約社員などの非正社員にも「社員」という言葉が入るが、元々、「社員」といえば正規雇用者(正社員)のことを指す言葉であるため、単に「社員」という場合、非正社員や非正規雇用者は除かれることが多い。
「会社員」と通俗的に用いられる「社員」は同じ意味になるが、「会社員」という場合は職業としての区分として用い、「我が社の社員」や「社員食堂」のように特定の企業に限定した意味では「社員」が用いられる。
従業員とは、ある業務に従事している人のこと。
正規雇用だけではなく、パートやアルバイト、契約社員や派遣社員などの非正規雇用者も含まれ、会社だけでなく、個人事業主の元で働く者も「従業員」である。
職員は、ふつう、学校・官公庁・国や地方公共団体、行政法人・社会福祉法人・宗教法人などの会社組織以外の法人に所属し、働く人のことをいう。
一般的にはあまり使わないが、職員は職務を担当する人を表す言葉なので、会社組織の法人に勤務する者を「職員」と呼ぶことは間違いではない。
サラリーマンは、「salary(給料)」と「man(男)」を繋げた和製英語で、特定の仕事に従事する給料生活者を意味する。
給料生活者であっても、通常は、現場の作業員、役員、医師・弁護士などの専門職を除いて「サラリーマン」という。
英語では、「office worker」や「white collar worker」などと表現される。
ビジネスマンは、英語の「businessman」からで、英語では実業家や経営者を意味するが、日本では会社員や事務員の意味で使われる。
これは、英語での「事業家」や「経営者」の意味からというよりも、「ビジネス」の「仕事」という意味から使われるようになったものである。
事務系の会社員という意味では、サラリーマンもビジネスマンも同じであるが、両者の違いはイメージである。
サラリーマンは給料を貰うために働く人、会社の言いなりとなっているだけの没個性的な企業の歯車、くたびれた組織人。
ビジネスマンは、会社の利益を生み出すために働く人、積極的に仕事をこなす人、バリバリ仕事ができる人というイメージで使われる。
取締役は、株主総会で選任され、会社の業務執行に関する意思決定をする者のこと。
会社内部での呼称と合わせ、「取締役会長」「代表取締役社長」「代表取締役」「専務取締役」「常務取締役」などと呼ばれる。
会社の役員は、法律によって定義が異なり、一般に使われる範囲とも異なる。
会社法でいう「役員」は、取締役・会計参与・監査役。
会社法施行規則では、上記役員に加え、執行役・理事・監事も含められる。
独占禁止法では、理事・取締役・執行役・業務を執行する社員、監事若しくは監査役若しくはこれらに準ずる者(相談役・顧問・参与等)、支配人又は本店若しくは支店の事業の主任者をいう。
会社法で「役員等」という場合は、取締役・会計参与・監査役に、執行役・会計監査人を含める。
「法律上の役員」という場合、ふつうは会社法の「役員」を指す。
一般に「役員」という時は、執行役員を含めていうことが多いが、執行役員は取締役会の決定に基づいて業務の執行を行うポストである。
経営と業務執行の役割分担をするためのポストであるため、ふつうは執行取締役が取締役であることは少なく、取締役の下に置かれるもので、経営権や法律上の責任がある訳ではない。
つまり、執行役員は部長や課長などと同じ、社員の役職名。
従業員の中のトップという位置づけになり、役員待遇の従業員である。
辞任とは、今まで就いていた任務・職務を自分の意志で辞めること。
辞職とは、今まで就いていた職を自分の意志で辞めること。
社長や大臣などが、不祥事で「責任を取ってを辞任する」「責任を取って辞職する」などと言うが、「辞任する」という場合は、社長や大臣という任務や役職を自らの意志で辞めることをいい、会社を辞めたり、国会議員を辞める訳ではない。
しかし、「辞職する」という場合は、会社を辞めたり、国会議員を辞めるなど、職業自体を辞めることを表す。
退任とは、任務を退くこと。
退職とは、現職を退くこと。
退任と退職の違いは、辞任と辞職の違いと同様に、任務を退くのか、職場を去るのかという違いである。
辞任と退任の違いは、自らの意志であるか否かが関係している。
辞任は自らの意志で退くことをいうが、退任は自発的に退くことにも、任期満了で退くことにも用いる。
辞職と退職の違いも、辞任と退任の違いと同様に、自らの意志で辞める場合に用いるのが「辞職」、自発的な場合にも、定年や解雇などで職場を去る場合にも用いるのが「退職」となりそうだが、一般の会社では、役員以上が会社を辞める場合に「辞職」、一般従業員が会社を辞める場合に「退職」を使うのが普通である。
行政書士も司法書士も、公的な機関に提出する法律関係の書類作成や申請などを代行する仕事である。
いずれも国家資格だが、行政書士は、総務省管轄の行政書士法に基づいた国家資格で、自治体や警察署への手続きが主な業務。
司法書士は、法務省管轄の司法書士法に基づいた国家資格で、裁判所・検察庁・法務局・地方法務局への手続きが主な業務となる。
行政書士の仕事で身近なものには、遺言書や財産調査などの相続に関するもの、各種契約書・就業規則・告訴状・告発状などの事実証明や権利業務に関するもの、住民基本台帳・測量図などの閲覧代行、位置図・現況図など実地調査に基づく図面類の作成、建設業・飲食店業・風俗業・旅館業・古物商などの営業許可申請、自動車登録などがある。
司法書士の仕事で身近なものには、法人登記、不動産登記、供託手続き、裁判の訴訟手続き、成年後見、多重債務の整理などがある。
また、司法書士のうち、所定の研修を修了し、簡裁訴訟代理能力認定考査に合格した者は、簡易裁判所の140万円までの民事事件で、民事訴訟の代理人を務めることができるという認定司法書士制度もある。
カフェと喫茶店の違いというと、オシャレで明るい感じの店が「カフェ」、昭和レトロな感じの店が「喫茶店」。セルフサービスや半セルフサービスの店が「カフェ」、店員が席まで運んでくれる店が「喫茶店」など、それぞれのイメージの違いを挙げられることも多い。
しかし、カフェのような印象を受ける喫茶店もあれば、喫茶店のような印象を受けるカフェもあり、見た目だけでは区別できないものである。
カフェと喫茶店の違いは、営業許可の違い。
食品営業許可を申請する際に、飲食店営業許可を取っている店が「カフェ」、喫茶店営業許可を取っている店が「喫茶店」である。
飲食店営業許可よりも喫茶店営業許可の方が許可を取りやすいが、喫茶店営業許可では、アルコールの提供や、単純な加熱以外の調理全般ができない。
そのため、喫茶店が提供できるものは、コーヒーや紅茶などの飲み物、菓子、果物、軽食などに止まるが、カフェは飲み物にアルコールを含めることができ、「カフェ飯」と呼ばれるように調理した料理を提供することもできる。
ただし、飲食店営業許可は「カフェ」、喫茶店営業許可は「喫茶店」と名乗らなければならないという決まりはないため、店名に「喫茶店」と付いていても、飲食店営業許可を取っている「カフェ」もあれば、喫茶店営業許可を取って「カフェ」を名乗っている店もある。
また、飲食店営業許可を取ったからといって、アルコールや食事を必ず提供しなければならない訳ではない。
喫茶店のように飲み物や軽食程度のメニューしかなく、「喫茶店」を名乗っていても、実は「カフェ」ということもあるのである。
会社のトップは「代表取締役社長」のことが多が、「代表取締役」と「社長」は異なる定義による呼称で、「代表取締役」と「社長」が同じ人とは限らない。
代表取締役は、会社法の規定にある呼称。
取締役会で代表として選ばれた役員で、業務を執行し、会社を代表して契約や裁判などの行為をする権限を持つ。
一人とは限らず複数名いることもあり、その場合は、代表取締役が互いに協議することなく、それぞれが代表として業務を執行することができる。
社長は、「会長」「CEO」「専務」「常務」「部長」「課長」などと同じ、会社内部の規定による呼称。
社長も会社の業務を執行する最高責任者だが、企業の内部的な責任者で、外部的な責任者ではない。
あるプロジェクト案が出た場合、プロジェクトを進めることの意思決定は、会社内部の代表である「社長」が行う。
プロジェクトを進める上で、取引先との契約や多額の借り入れなどが必要な場合、会社法上の規定にある代表の「代表取締役」が執行する。
最終的な意思決定をする者が、社内向けと社外向けで異なることは不便であるため、ふつうは社長が代表権を持ち、「代表取締役社長」となっているケースが大半である。
しかし、会長が代表権を有して「代表取締役会長」となり、社長には代表権がなく「取締役社長」といったケースも稀にある。
アナウンサーは、ニュースで原稿を読んだり、番組の司会、スポーツの実況、ナレーションなどをする人。
テレビ局やラジオ局に所属するアナウンサーと、放送局に所属していないフリーアナウンサーがいる。
駅や競技場などで、マイク放送する係も「アナウンサー」と呼ぶように、主な役割は、明瞭な発声で情報の伝達・告知を行うことである。
キャスターは「ニュースキャスター」の略だが、日本独特の呼称で、アメリカでは「アンカーパーソン」や「アンカーマン(アンカーウーマン)」、イギリスでは「プレゼンター」と呼ばれる。
キャスターの主な役割は、解説・論評を交えながらニュース番組の司会・進行をすることである。
ただニュースを伝えるだけでなく、内容を理解・分析をして視聴者・聴衆者にわかりやすく伝えるという、ジャーナリストとしての能力が求められるため、アナウンサー以外では、新聞記者や報道記者など、取材経験豊富な人が務めることも多い。
エンターテインメント化されたニュースショーでは、芸能人がキャスターを務めることもある。
また、スポーツニュース担当の「ニュースキャスター」、天気予報担当の「お天気キャスター」など、それぞれのコーナーを担当する人も「キャスター」と呼ばれる。
リポーターは、報告者のことで、現地を取材して報告する人を指す。
主な役割は、現場の状況を正しく伝えることであるが、原稿があることは少なく、自分で内容を構成する力が必要となる。
リポーターになる人は、記者・アナウンサー・ディレクターやアシスタントディレクターなどのスタッフ、芸能人など様々で、キャスターがリポートすることもある。
ニュース番組のリポーター以外に、芸能リポーターやグルメリポーター、野球のベンチリポーターなど、リポーターにも様々なジャンルがある。
事業家とは、事業を企て、経営する人のこと。
特に、事業の経営に巧みな人をいう。
実業家とは、事業の経営をする人のことだが、事業家よりも対象となる事業の範囲が狭くなる。
実業とは、農業・工業・商業・水産など、生産・流通・販売に関する事業のこと。
実業の対義語は「虚業」で、投機取引のような堅実でない事業をいう。
このような事業を営むものは、実業家ではなく虚業家である。
しかし、若いお金持ちの経営者というイメージを強調するために、「青年実業家」が使われる場合は、投機を繰り返しているだけの虚業家が含まれることも多い。
企業家とは、企業を起こした人や、企業の経営者のこと。
「経営者」や「事業家」と言わず、あえて「企業家」と表現する場合は、新技術や新製品、新しい生産方式の導入、経営や組織の改善をするなど、創造的な面を持ち合わせた経営者の意味で使われる。
起業家とは、新しく事業を起こす人。新しく事業を起こして運営する人のこと。
特に、新しく事業を起こすことを専門に行う人に対していうことが多い。
企業家と起業家は似ているが、企業家が企業を新たに起こした人であるのに対し、起業家は事業(仕事)そのものを新たに起こした人である。
事業家とも似ているが、新たな事業という点では異なる。
経営者とは、企業を経営する人のこと。
企業や事業を新たに起こしてない人でも、経営権の譲渡などで経営する立場になっていれば経営者である。
コックは、西洋料理や中華料理の料理人のこと。
オランダ語の「kok」に由来し、英語では「cook」である。
シェフはコック長、つまり料理長のことで、フランス語の「chef」から。
英語の「chief(チーフ)」と共に、「頭(かしら)」を意味するラテン語に由来する。
シェフは、メニューや食材の決定、コックの教育指導などを担当し、調理に関するすべての責任を持つ。
オーナーシェフとなれば、経営力も求められる。
板前は、寿司屋や料亭などの日本料理を提供する店の料理人をいう言葉で、関西では「板場」ともいう。
「板さん」や「板」とも呼ばれ、西洋料理などのシェフ(料理長)に相当するのは「板長」である。
日本料理の世界で、板前(料理人)を「コック」と呼ぶことはないが、「シェフ」の呼称が使われることは増えてきている。
御社と貴社は、どちらも相手方の会社や神社を敬っていう言葉。
言葉の意味や相手を敬う度合に違いはないが、両者はきちんと使い分けされている。
御社と貴社の使い分けは簡単で、履歴書やメール・手紙などでは「貴社」と書き、面接や打ち合わせなどでは「御社」と言う。
つまり、書き言葉では「貴社」、話し言葉では「御社」を使うのである。
元々、話し言葉でも「貴社」が使われていたが、「きしゃ」には「記者」「汽車」「帰社」「騎射」「喜捨」など、同音の言葉が多くて紛らわしいため、1990年代初め頃から、話し言葉では「御社」が使われるようになったといわれる。
「おんしゃ」にも「音写」「恩赦」「温藉」などの同音語はあるが、「記者」「帰社」「汽車」のように、ビジネスの場面で使われやすい言葉ではないため、話し言葉では「貴社」よりも「御社」を使った方が伝わりやすい。
一般企業以外でも「御」と「貴」の使い分け方は同じで、病院では「御院」と「貴院」、銀行は「御行」と「貴行」、学校は「御校」と「貴校」、学園ならば「御学園」と「貴学園」が使われる。
歌手といえば、日本では歌謡曲の歌手のイメージが強いが、オペラ歌手・声楽家も含み、歌を歌うことを職業にしている人の総称である。
声楽は器楽に対する語で、声楽家は歌曲・合唱曲・オラトリオ・カンタータ・オペラなどの声楽を職業とする人。
その音域は男女で分けられ、女性は高音からソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルトとなり、男性は高音からテノール、バリトン、バスとなる。
オペラ歌手は声楽家だが、声楽家だからといってオペラ歌手とは限らない。
シンガーは、歌手・声楽家のこと。
普通、英語に訳される時以外は、演歌や民謡など、日本伝統の歌を歌う歌手に対して「シンガー」は用いられない。
神父と牧師の一番の違いは、キリスト教の教派による違い。
神父は、カトリック教会や正教会(ギリシャ正教・ 東方正教会)における司祭などの聖職者に対する尊称で、正式な職名ではない。
牧師は、プロテスタントの教職者の呼称で、職名である。
神父(司祭)は、ミサをあげたり、洗礼、堅信、聖体などの儀式を行うといった、信徒にはない権限と地位があり、聖職者として生涯独身でなければならない(正教会では、司祭となる一つ前の輔祭になる前であれば可)。
また、女性は神父になれず、男性のみとなっている。
牧師は、教区・教会を管理し、信仰を指導する信徒の代表である。
聖職者ではなく教職者であるため、結婚は奨励されている。
また、教派によっては女性の牧師も認められている。
パートとアルバイトは、法律上は名称による区別がされておらず、パートタイム労働法では「1週間の所定労働時間が同一の事業所に雇用される通常の労働者の1週間の所定労働時間に比べて短い労働者」と定義されているだけである。
しかし、世間一般では、厳密ではないもののパートとアルバイトを区別して使っていることが多く、それは言葉の成り立ちに近いものとなっている。
パートはパートタイムの略で、フルタイムの対義語。
正社員が一日8時間労働とすれば、パートは6時間など、企業の所定の労働時間よりも短い時間働くことである。
アルバイトは、仕事や勤労を意味するドイツ語「Arbeit」からきた言葉。
戦前の旧制高等学校の学生の間で使われはじめた隠語で、家庭教師など、学業の片手間にする仕事を「アルバイト」と呼んでいたことから広まった。
パートが短時間の労働を意味し、アルバイトが学生が片手間の仕事の意味で使い始めた言葉であるため、一般に、パートは主婦がするもので、アルバイトは学生など本業が別にある人がするもの、といったイメージが持たれているのである。
求人を出す企業側も、パートは正社員より労働時間の少ない人、アルバイトは臨時で雇う人と考えており、パートは正社員より労働時間が短いというだけで、正社員と同じ仕事内容をするものが多く、期間も長期的。
アルバイトは繁忙期だけ、土日だけ、夜だけといったスポット的な扱いで、正社員とは異なる仕事内容が多く、期間も短期的なものが多い。
ただし、これらは一般的な例であり、長期アルバイトもあれば、正社員と同じ仕事内容のアルバイトもある。
学生やフリーターの場合は、フルタイムでもパートタイムでも「アルバイト」と呼び、主婦の場合は、フルタイムでも「パート」と呼ぶことがあるというように、厳密な定義がないため例外も多い。
パートやアルバイトは、所定の労働時間より短いというだけで、労働者には変わりないため、有給休暇の取得や社会保険の加入も可能である。
社会保険の加入条件は、労働時間、労働日数が正社員の3/4以上の場合となっており、条件を満たせばパートやアルバイトも加入しなければいけない。
また、条件に満たない者でも、会社に申し出ることで加入は可能となるが、期間が短期的なアルバイトは手続きが面倒になるため、加入しないのが一般的である。
代議士は衆議院議員、国会議員は衆議院議員と参議院議員を指す。
戦前の帝国議会は、衆議院と貴族院の二院制であった。
貴族院議員は、皇族議員・華族議員・多額納税者などの勅任議員からなり、国民の代表として選挙で選出されるのは衆議院議員だけであったため、「国民を代表して国政を議する人」という意味から、衆議院議員を「代議士」と呼ぶようになった。
日本国憲法の施行によって貴族院は廃止され、代わって参議院が国会を構成するようになった。
参議院議員は国民の代表として選挙で選出されるが、大日本国憲法時代からの名残で、衆議院議員のみを「代議士」と呼んだ。
現在では、「国会議員=代議士」という誤解や、「国民を代表して国政を議する人」という本来の意味から、参議院議員を含めた国会議員のことを「代議士」と呼ぶようになってきている。
一般職と総合職は、民間企業のコース別人事管理の職務区分で、1986年の男女雇用機会均等法を契機に導入されるようになったもの。
一般職は補助的な業務に従事する職で、責任を負う可能性や転勤・異動の可能性が低い代わりに、昇給・昇進も一定範囲にとどまる。
総合職は社内の中枢業務を担い、総合的業務に当たる職で、「事務職」とも呼ばれる。
責任を負う可能性や転勤・異動の可能性が高い代わりに、昇給率が高く、管理職や役員にまで昇進の可能性をもつ。
芸能人は芸能を職業とする人の総称で、俳優・芸人・歌手・ミュージシャン・アイドル・ファッションモデル・フリーアナウンサーなど、その範囲は広い。
タレントは「才能」「技能」の意味から、「才能のある人」「芸能人」を指すようになった言葉で、芸能人とほぼ同じ意味で使われる。
有名人は世間に名が知られている人のことで、芸能人に限らず、スポーツ選手や文化人なども意味する。
本来の意味からすれば、芸能人の中でも才能のある人を「タレント」と呼ぶべきであるが、才能の有無に関わらず「タレント」と呼ばれる。
芸能人は広義に伝統芸能の人も含み、タレントよりも格が上に感じられるためか、漢字表記とカタカナ表記の違いでタレントの方が軽い印象があるためか、テレビのバラエティ番組に出演しない俳優やミュージシャンなど、その道のみで活躍する芸能人は、才能があっても「タレント」と呼ばれることが少なく、バラエティ番組出演の有無により、「タレント」と「芸能人」が使い分けられる傾向にある。
世間に名が知られていない無名芸能人(タレント)を「有名人」とは呼ばないが、ローカルタレントの場合、全国的に名が知られていなくても、活動している地域では「有名人」であることもある。
床屋は男性が行くところでシャンプーは前かがみ、美容室は女性が行くところでシャンプーは仰向けといったイメージがあるが、性別による区別もなければ、仰向けにシャンプーをする床屋も増えている。
床屋と美容室の違いは、理容師法と美容師法という法律による業務範囲の違いで、理容と美容の定義が異なる。
理容は、頭髪の刈込、顔剃り等の方法により容姿を整えること。
美容は、パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること。
理容師の仕事は、断髪令がしかれた文明開化あたりに遡り、髪をカットして揃えるのは男性であった。
一方、女性は髪を結うのが一般的で、カットして揃えるという概念がなかった。
そのため、理容と美容に分かれ、「男性が床屋」「女性が美容室」というイメージが定着した。
顔剃りができるのが床屋、顔剃りができないのが美容室と区別するのは法律的にも間違っていない。
ただし、「化粧に付随した軽い顔剃りは行っても差し支えない」とされており、床屋と美容室の垣根はなくなりつつある。
床屋の呼称には「理容室」「理髪店」「散髪屋」などがあり、美容室には「美容院」といった呼称がある。
これらの呼称の違いは、屋号による違いだけで、特に決まったルールはない。
法律用語で理容施設をいう場合は「理容所」、美容施設は「美容所」といい、「室」も「店」も「院」も「屋」も使われない。
クレヨンとは、パラフィンや蝋などと顔料を練り合わせた棒状の画材のこと。
クレヨンは硬質なため線描に適しているが、混色・重ね塗り・面描などには適していない。
このような特徴から、クレヨンはクロッキーやスケッチ、線で描くことが中心となる幼児のお絵描きに多く使われる。
日本では、上記のものを指して「クレヨン」というのが一般的だが、広義には鉛筆・コンテ・パステル・チョークなどの棒状の画材を指し、フランス語では、それらを用いた絵画のことまでも意味する。
クレパスとは、クレヨンの主原料に液体油を混ぜ合わせた棒状の画材のこと。
1925年に株式会社サクラクレパスが開発したもので、「クレパス」の名は登録商標となっている。
クレパスの一般名称は「オイルパステル」であり、「クレパス」はオイルパステルの特定商品名である。
「クレパス」の名は、定着性があり簡便だが線描以外に向いていないクレヨンと、微妙で柔らかい色調を表現できるが粉状で定着性のないパステルの長所を併せ持つ画材であることから名付けられた。
クレヨンよりも軟質で伸びが良いため面描ができ、厚塗りができるため、混色・重ね塗り・スクラッチ技法が使えるなど、幅広い表現が可能な画材である。
カフェと喫茶店の違いというと、オシャレで明るい感じの店が「カフェ」、昭和レトロな感じの店が「喫茶店」。セルフサービスや半セルフサービスの店が「カフェ」、店員が席まで運んでくれる店が「喫茶店」など、それぞれのイメージの違いを挙げられることも多い。
しかし、カフェのような印象を受ける喫茶店もあれば、喫茶店のような印象を受けるカフェもあり、見た目だけでは区別できないものである。
カフェと喫茶店の違いは、営業許可の違い。
食品営業許可を申請する際に、飲食店営業許可を取っている店が「カフェ」、喫茶店営業許可を取っている店が「喫茶店」である。
飲食店営業許可よりも喫茶店営業許可の方が許可を取りやすいが、喫茶店営業許可では、アルコールの提供や、単純な加熱以外の調理全般ができない。
そのため、喫茶店が提供できるものは、コーヒーや紅茶などの飲み物、菓子、果物、軽食などに止まるが、カフェは飲み物にアルコールを含めることができ、「カフェ飯」と呼ばれるように調理した料理を提供することもできる。
ただし、飲食店営業許可は「カフェ」、喫茶店営業許可は「喫茶店」と名乗らなければならないという決まりはないため、店名に「喫茶店」と付いていても、飲食店営業許可を取っている「カフェ」もあれば、喫茶店営業許可を取って「カフェ」を名乗っている店もある。
また、飲食店営業許可を取ったからといって、アルコールや食事を必ず提供しなければならない訳ではない。
喫茶店のように飲み物や軽食程度のメニューしかなく、「喫茶店」を名乗っていても、実は「カフェ」ということもあるのである。
餃子の王将」と「大阪王将」と「餃子の王さま」は、餃子を看板メニューにする中華料理店で、名前も似ているが、それぞれの経営母体は異なる。
餃子の王将は、株式会社王将フードサービスが、京阪神地区を中心に全国展開する中華料理チェーン。
創業は1967年、1号店は京都四条大宮。
本社は、京都府京都市山科区。
大阪王将は、イートアンド株式会社が、大阪を中心に全国展開する中華料理チェーン。
創業は1969年、1号店は大阪市都島区京橋(本店は道頓堀)。
本社は、東京都港区。
元々、大阪王将は、餃子の王将の創業者の親類が、のれん分けという形で独立したもので、当初は「餃子の王将」という名前であった。
その後、「大阪王将食品」として法人化し、チェーン展開を進めていったが、本家「餃子の王将」が拠点としている京都にまで進出したため、本家側から「王将」の名を使用をしないよう裁判を起こされた。
その結果、「餃子の」は使わないが「王将」を残すという形で和解し、「大阪王将」になったのである。
しかし、一般には「王将で餃子を食べた」と言っても、「餃子の王将」か「大阪王将」か分かりづらいため、「京都王将」と「大阪王将」と呼び分けられることが多い。
餃子の王さまは、2代目店主の佐々木正寿さんが経営する中華料理店。
「餃子の王将」のパクリとも思える店名だが、創業は1954年で、餃子の王さまの方が古い。
店舗数は、東京都台東区浅草の一店である。
それぞれ、メニューや味、店の雰囲気など様々な違いがあるが、外観での見分け方は看板。
餃子の王将の看板は、白と赤を中心にした配色で、白い「王将」の文字が赤・黄・オレンジ・緑で囲われている。
大阪王将の看板は、大阪城をイメージした絵の中心に「王将」の文字が入っている。
餃子の王さまは、黄色に黒文字で店名が書かれただけの、非常にシンプルな看板である。
御社と貴社は、どちらも相手方の会社や神社を敬っていう言葉。
言葉の意味や相手を敬う度合に違いはないが、両者はきちんと使い分けされている。
御社と貴社の使い分けは簡単で、履歴書やメール・手紙などでは「貴社」と書き、面接や打ち合わせなどでは「御社」と言う。
つまり、書き言葉では「貴社」、話し言葉では「御社」を使うのである。
元々、話し言葉でも「貴社」が使われていたが、「きしゃ」には「記者」「汽車」「帰社」「騎射」「喜捨」など、同音の言葉が多くて紛らわしいため、1990年代初め頃から、話し言葉では「御社」が使われるようになったといわれる。
「おんしゃ」にも「音写」「恩赦」「温藉」などの同音語はあるが、「記者」「帰社」「汽車」のように、ビジネスの場面で使われやすい言葉ではないため、話し言葉では「貴社」よりも「御社」を使った方が伝わりやすい。
一般企業以外でも「御」と「貴」の使い分け方は同じで、病院では「御院」と「貴院」、銀行は「御行」と「貴行」、学校は「御校」と「貴校」、学園ならば「御学園」と「貴学園」が使われる。
薬局は、薬剤師が常駐し、薬を調剤する調剤室が併設されている。
薬局では、医師の処方箋に基づいて薬を調剤する医療用薬品と、一般用医薬品(市販薬)のどちらも取り扱うことができる。
薬店は、一般用医薬品は取り扱えるが、薬剤師の常駐や調剤室がなく、医療用薬品を扱うことはできない。
一般用医薬品は、リスクが高いものから順に第一類・第二類・第三類医薬品に分類される。
第一類医薬品を扱う薬店では、薬剤師か業務三年以上の登録販売者を、第二類・第三類医薬品店舗管理者のみを扱う薬店では、薬剤師か登録販売者を店舗管理者として置かなければならない。
また、購入者への対応は、第二類・第三類医薬品は薬剤師か登録販売者でよいが、第一類医薬品の販売には薬剤師が対応しなければならない。
ドラッグストアは、一般用医薬品のほか日用品なども扱うところというイメージが強いが、薬店を英語にしただけで、基本的には薬店と変わらない。
ただし、薬剤師が常駐し、調剤室を併設したドラッグストアも増えてきており、必ずしもドラッグストアが薬店であるとは限らず、薬局として医療用薬品も取り扱える店舗の場合もある。
床屋は男性が行くところでシャンプーは前かがみ、美容室は女性が行くところでシャンプーは仰向けといったイメージがあるが、性別による区別もなければ、仰向けにシャンプーをする床屋も増えている。
床屋と美容室の違いは、理容師法と美容師法という法律による業務範囲の違いで、理容と美容の定義が異なる。
理容は、頭髪の刈込、顔剃り等の方法により容姿を整えること。
美容は、パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること。
理容師の仕事は、断髪令がしかれた文明開化あたりに遡り、髪をカットして揃えるのは男性であった。
一方、女性は髪を結うのが一般的で、カットして揃えるという概念がなかった。
そのため、理容と美容に分かれ、「男性が床屋」「女性が美容室」というイメージが定着した。
顔剃りができるのが床屋、顔剃りができないのが美容室と区別するのは法律的にも間違っていない。
ただし、「化粧に付随した軽い顔剃りは行っても差し支えない」とされており、床屋と美容室の垣根はなくなりつつある。
床屋の呼称には「理容室」「理髪店」「散髪屋」などがあり、美容室には「美容院」といった呼称がある。
これらの呼称の違いは、屋号による違いだけで、特に決まったルールはない。
法律用語で理容施設をいう場合は「理容所」、美容施設は「美容所」といい、「室」も「店」も「院」も「屋」も使われない。
ポッキーもプリッツも、共に江碕グリコから発売されているスナック菓子で、商標登録されている。
プリッツは1963年に発売され、プリッツにチョコレートをコーティングしたポッキーは1966年に発売された。
現在では様々な味の商品が発売されているが、ポッキーとプリッツの大きな違いはこのコーティングで、コーティングされているものがポッキーである。
その他の違いは、商品の中身やパッケージの改良によって、今後変化してくる可能性はあるが、現時点で定番の「ポッキーチョコレート味」と「プリッツサラダ味」を比較した違いは、以下のとおり。
ポッキーのパッケージは前開け、プリッツは後ろ開け。
ポッキーよりもプリッツのパッケージは厚みがあり、わずかに背が低い。
パッケージを開け口から見て、ポッキーが横並びに2パック、プリッツは縦並びに2パック入っている。
ポッキーの長さは13.7cm、プリッツは11.2cm。
ポッキーは1本当たり2.1g、プリッツは1本当たり1.2g。
ポッキーは1本当たり10.6kcal、プリッツは6.2kcal。
スポーツや音楽のファンの中には、「にわかファン」や「ミーハー」と呼ばれる人たちがいる。
無知であるにもかからわず知ったかぶりをする人や、本質的な部分の良さを知らずにファンを公言したりする人を揶揄する際に共通して使われるが、これらは派生した意味の使われ方であり、本来の意味には違いがある。
にわかファンの「にわか」は、物事が急に起こるさまや、一時的であるさまを意味する言葉で、それまで全く興味を持っていなかったのに、何かをきっかけに突然ファンになる人のことを「にわかファン」という。
また、突然降ってきて突然やむ雨を「にわか雨」というように、急に盛り上がりすぐに冷めるファンという意味でも「にわかファン」は使われる。
ミーハーの意味は、流行りもの飛びついて熱中しやすい人のことで、「ミーハーなファン」といえば、流行に乗ってファンになっている人をいう。
つまり、にわかファンは「突然ファンになった人」「熱しやすく冷めやすいファン」という、時間的なことを表した言葉。
ミーハーなファンは「流行に乗ったファン」という、きっかけの部分を表した言葉という点に違いがある。
「にわかファン」の中には、流行に乗って突然ファンになった人もいる。
そのような人は「ミーハーなファン」と同じだが、必ずしも「にわかファン」だからといって流行に乗った人とは限らない。
たとえば、オリンピックで日本代表選挙が戦っている姿を見て、以前から熱烈だったかのように応援し始める人がいる。
同じ日本人として応援したくなるというのは当然の心理であり、流行に乗ったというわけではない。
しかし、それまで興味がなかったので、熱心に応援する割には無知である。
そのため、にわかファンもミーハーなファンのように、流行に乗っただけの人に見えるのである。
専務と常務は、一般に「専務取締役」と「常務取締役」のことを指す。
どちらも、社長を補佐して会社の業務執行にあたる取締役で、会社法上の執行役を兼務することから、専務や常務は「役付き取締役」と呼ばれ、役職を持たない取締役は「平取締役」と呼ばれる。
会社法上の執行役を兼務をする取締役だが、会社法に「専務」「常務」といった呼称の規定はないため、法律上はどちが上ということはない。
企業の内部規定による経営陣の役職になるため、全ての会社が同じではないが、社長や副社長の下位に専務が置かれ、専務の下位に常務が置かれることが多い。
常務の下位に位置するのが、役職のない取締役(平取締役)である。
仕事上の専務と常務の違いも、企業毎の規定によるため明確なことはいえないが、一般的に、専務は会社の業務全体を管理・監督し、社長の補佐をする役割。
常務は日常的な業務の管理・執行を行い、社長の補佐をする役割となる。
専務は会社経営の舵取り的な役割で、常務は日常業務を執行する役割になるため、常務よりも専務の方が、社長や副社長に近い役職となるのである。
先祖は、家系の初代のこと。
また、初代以後、その家系に属した現存者以前の代々の人々のことをいう。
「先祖代々の墓」というように、主に後者の意味で使われる。
祖先も同じ意味で使われるが、「人類の祖先は猿」というように、進化する前のもの、系統の元となるものの意味でも使われる。
そのため、家系の代々の人々を表す場合も、先祖は数世代前までの新しい系統をいい、祖先は何世代も前の古い系統を指していうことが多い。
また、先祖は新しい系統を指しやすいことから、直系についていうことが多く、個人的で日常語的に使われる。
それに対し、祖先は古い系統を指しやすいことから、直系とは限らない血縁者を含めていうことが多く、客観的で文章語的に使われる。
夫婦のうち、男性の方を表す言葉には、夫・主人・旦那・亭主などがあるが、最も一般的な呼称は「夫」で、自分の配偶者に対しても、第三者の配偶者に対しても使われる。
ただし、話し相手の配偶者に対して、「夫」を使うことはない。
夫の次に、「主人」が多く使われる。
夫よりも丁寧な言い方で、自分の配偶者をいう際は、夫を立てた表現となり、「ご主人」の形で第三者の配偶者をいう際には、敬意を込めた表現となる。
しかし、主人という言葉は元々、上下関係・主従関係を表し、「一家のあるじ」「自分の仕える人」といった意味を含む言葉であるため、最近では避けられることも多い。
旦那も亭主も、「一家のあるじ」という意味があり、本来は敬意を込めた言い方であったが、現代では、ややくだけた表現として捉えられており、自分の配偶者についても、第三者の配偶者についても、親しい間柄でのみ使われるようになってきている。
主人に「雇用主」の意味があるように、亭主には「宿屋や茶店などのあるじ」の意味がある。
また、旦那は元々「お布施」から「寺院の施主」を表すようになり、転じて、「生活の面倒を見る人」「パトロン」の意味となり、奉公人が主人をいったり、妻が夫を呼ぶときの敬称となった言葉である。
ちなみに、「寺院の施主」の意味で「だんな」を用いる際は、「檀那」と表記される。
夫婦のうち、女性の方を表す言葉には、妻・嫁・奥さん・女房・家内・かみさんなど多くあるが、婚姻制度上、婚姻関係にある女性は「妻」であり、書類の続柄にも「妻」が使われるように、夫が配偶者のことをいう最も一般的な呼称は「妻」である。
ちなみに、婚姻制度が生まれる以前から、生活を共にする女性は「妻」と呼んでおり、古くからある言葉だが、明治以前は「妻」を「さい」と呼ぶ方が多く、「つま」という呼び方は比較的新しい。
嫁は、息子の配偶者。夫の親が嫁いできた女性をいう呼称。
しかし、結婚したばかりの女性や、結婚した相手の女性(妻)を表す言葉としても、古くから使われており、あまり好ましくはないが、妻を「嫁」と呼ぶことは、必ずしも間違いというわけではない。
ただし、「夫」の対義語としては「妻」が正しく、「嫁」は「婿」の対義語になる。
奥さんは、他人の妻に対して敬っていう「奥様」のくだけた言い方で、軽い敬意含む呼称。
他人の妻に対する敬称なので、「うちの奥さん」などと、自分の妻のことをいうのは間違いである。
妻に対する尊敬語がなかったため、「奥さん」や「奥様」を使うことは正しいといわれることもあるが、自分の妻のことを他人にいう際、敬称を用いることはない。
女房は、同等や親しい間柄の相手に自分の妻のことをいう場合や、親しい人の配偶者を話題にする場合に用いる呼称である。
親しい人であっても、それが話し相手の場合には用いず、会話に入っていない第三者の場合に限る。
また、相手が目上の場合には、自分の妻を「女房」とは言わない。
女房は、元々、宮中で使用人の女性の部屋を表した。
そこから、使用人の女性を呼ぶようになり、自分の妻のことを表すようになった言葉で、「世話人」というニュアンスを含むため、現代においては好まれない呼称である。
家内は、目上の相手や、それほど親しくない相手に対して、ややへりくだって自分の妻をいう言葉。
家内には「家の中にいる人」の意味があるため、男性は家の外で働き、女性は専業主婦が当たり前の時代には使えたが、現代ではあまり適さない。
かみさんは、自分の妻や他人の妻を呼ぶ言葉。
ややくだけた言い方になるため、話し相手が親しい間柄の場合には使えるが、目上の相手には使えない。
元々は、目上の人を表す「上様」が変化した言葉で、商人・職人の妻や、女主人を「おかみさん」と呼び、「お」を除いて「かみさん」と呼ぶようになったものである。
そのため、かみさんは「かかあ天下」「尻に敷かれている」ということを匂わせる表現になるが、実際はそれをネタのように言っている場合が多い。
ベテランとは、その分野で長年の経験を積み、熟達した人のこと。
「ベテランドライバー」「ベテラン俳優」「ベテラン選手」など、職能・芸能・スポーツなどの分野の人に使われる。
熟達していなくても、単に経験年数が長い人、古株の意味で使われることもある。
エキスパートとは、ある分野で経験を積んだり研究を重ねたりして、高度な技能や知識を持っている人のこと。熟練者。専門家。
「授業のエキスパート」「医療機器のエキスパート」など、学問や技術の分野の人に使われる。
ベテランのように、長年の経験を積んだだけの人には使うことはなく、熟練者よりも専門家の意味が強い。
スペシャリストとは、特定の分野を専門にする人や、特殊な技能を持つ人のこと。専門家。
「ゼネラリスト(様々な分野の知識や技能をこなす人)」の対義語である。
特に使われやすい分野があるわけではなく、経験年数の長さも関係ないが、特別な知識や技能を要することを専門に行う人、専門性の高い人に対して、「スペシャリスト」と呼ぶことが多い。
相撲を取ることを職業とする人のことを力士や関取と呼ぶが、力士は相撲を取る人の総称、関取は十両以上の番付(階級)の力士の敬称である。
相撲部屋に所属し、四股名を持つ人であれば、番付に関わらず「力士」であるが、相撲を取る人でも、学生相撲や実業団相撲などのアマチュア相撲の選手は含まれない。
つまり、日本相撲協会に所属する大相撲の選手の総称が「力士」。「相撲取り」「お相撲さん」とも呼ばれる。
相撲の番付は上から順に、横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口、番付外となっている。
このうち、十両以上の力士を「関取」と呼び、幕下以下の力士は「取的(とりてき)」「ふんどし担ぎ」「力士養成員」などと呼ばれる。
四股名の下に添える「〇〇関」という敬称は、「関取」の略であるため、幕下以下の力士を「〇〇関」と呼ぶのは間違いで「〇〇さん」と呼ぶ。
一人前の力士として認められるのが、十両に昇進した力士。つまり、関取であるため、関取と幕下以下の力士では、待遇に様々な違いがある。
関取には日本相撲協会から給料が出されるが、幕下以下の力士には給料がなく、部屋で支給される食事や、先輩力士からの小遣いで生活をする。
幕下以下の力士は大部屋で共同生活をするが、関取には専用の個室が用意されたり、部屋を出て一人暮らしすることが許される。
結婚が許されるのも、関取になってからである。
関取は大銀杏を結うことが許されるが、幕下以下の力士は大銀杏ではないちょんまげを結う。
関取は化粧まわしで土俵入りを披露するが、幕下以下の力士は化粧まわしも、土俵入りもない。
幕下以下の力士のまわしは、本場所用と稽古用は同じ木綿製の黒色のまわしだが、関取のまわしは、本場所用は繻子製で、稽古用のまわしは木綿製の白色である。
関取は正装として紋付袴の着用が許されるが、幕下以下の力士は袴の着用を許されていない。
本場所の取り組み数は、関取が15番であるのに対し、幕下以下の力士は7番。
関取は塩撒きや力水の儀式ができ、幕下以下の力士はできないが、幕下の取組では、時間が余っている時や十両と取組をする際に塩巻きができる。
関取には土俵下の控の座布団が用意される。前頭以上の幕内力士は四股名の入った専用の座布団、十両は共用の座布団で、幕下以下の力士は薄い板である。
関取になると付け人がつくようになり、付け人となるのが幕下以下の力士である。
飛行機の移動は、関取がビジネスクラス(横綱と大関はファーストクラス)、幕下以下の力士はエコノミークラスである。
サインができるのは関取からで、幕下以下は基本的にサインができないが、初切や弓取り式を行う力士に限ってサインをしても良いことがある。
夫婦も夫妻も、夫と妻、婚姻関係にある男女のことで、意味に違いはないが使い方に違いがある。
夫婦は自分たちにも他人にも使うが、夫妻は他人に対してのみ使う。
そのため、「私たち夫婦」とは言うが、「私たち夫妻」とは言わない。
他人に対しては夫婦も夫妻も使えるが、夫妻は夫婦よりも改まった言い方であるため、上司や先生など敬意を払わなければいけない相手には、「〇〇(ご)夫妻」と「夫妻」を使ったほうがよい。
「夫婦喧嘩」を「夫妻喧嘩」、「夫婦別姓」を「夫妻別姓」、「仮面夫婦」を「仮面夫妻」、「似た者夫婦」を「似た者夫妻」などと言わないように、他の単語と合わさってひとつの名詞となっている言葉の場合は、敬意を払う必要のある相手のことであっても「夫妻」は使わない。
「弟夫婦」など親族、「友達夫婦」など対等な相手、「犯人夫婦」など敬意を払う必要がない相手には、「夫婦」を用いるのが一般的である。
ただし、対等な相手であっても、普段から上品な言葉を使っている場合や、相手と一線を引いた関係にある場合などは「夫妻」が使われる。
その他、「夫婦というものは」というように、一般論として婚姻関係にある男女のことを話す場合は、「夫妻」ではなく「夫婦」が使われる。
日本の行政権の長を表す正式な呼称は「内閣総理大臣」。
「総理」や「総理大臣」は、「内閣総理大臣」の略称である。
「首相」は、「内閣総理大臣」の通称。
外務大臣を「外相(外務相)」、財務大臣を「財相(財務相)」と呼ぶように、「相」は「大臣」のことで、首相は「内閣の首席大臣」を表す。
法律上の正式名称は「内閣総理大臣」であるため、法令で「首相」を使うことはない。
しかし、「内閣総理大臣」は日本固有の官職名であるため、海外のメディアでは、英語で「Prime minister」、つまり「首相」と呼ばれる。
他の国にもそれぞれ固有の官職名があるが、議院内閣制をとっている国の政治の最高責任者を表す際は、基本的に「Prime minister(首相)」で、一般的な呼称はどちらかといえば、「内閣総理大臣」よりも「首相」の方である。
正式名称を必要としない場面では、「首相」に統一しても良さそうだが、新聞やニュースの文字では「首相」、ニュースの読みでは「総理大臣」や「総理」と使い分けられていることが多い。
「首相」と「総理大臣」「総理」で使い分けられている理由は、聞き間違いをなくすためである。
財務大臣を「財務相」、外務大臣を「外務相」と読んだ場合、「財務省」や「外務省」と区別がつかないことから、官僚の呼称は「大臣」で統一された。
それに合わせて「首相」も「総理大臣」や「総理」と呼ぶようになったことから、文字には一般的な「首相」を使い、読みには「総理大臣」や「総理」と使い分けられるようになったのである。
「総裁」も「首相」や「内閣総理大臣」と同義語に思われがちだが、「総裁」と「首相」「内閣総理大臣」は大きく異なる。
日本銀行のトップを「日銀総裁」と呼ぶように、「総裁」は組織や団体の長として全体を取りまとめる職務のことで、内閣に「総裁」という職名があるわけでない。
日本では自民党が政権を握っている期間が長く、自民党の党首名が「総裁」で、党首が内閣総理大臣を務めることが多かったことから、「総裁=内閣総理大臣」となり、「総理総裁」とも呼ばれたのである。
しかし、他の党の党首名は「総裁」とは限らないため、他党が第一党で過半数を獲得していたり、連立で過半数を獲得していれば、「総裁=内閣総理大臣」ではなくなる。
また、自民党が第一党で過半数を獲得していたとしても、内閣総理大臣は国会議員であればよく、党首がなる必要はないため、必ずしも、「総裁=内閣総理大臣」になるとは限らないのである。
おばさんの漢字表記には、「伯母さん」「叔母さん」「小母さん」がある。
使い分け方は、おじさんの漢字「伯父さん」「叔父さん」「小父さん」と同じで、父または母の姉にあたる人には「伯母」、父または母の妹にあたる人には「叔母」を使い、近所のおばさんなど、よその年配の女性を表す場合は「小母」と書く。
兄の妻も姉にあたり、弟の妻も妹にあたるため、父や母より年下であっても、父母の兄の妻であれば「伯母」、父や母より年上であっても、父母の弟の妻であれば「叔母」と書く。
なお、「伯」の字は「頭」「統率者」、「叔」の字は「若い」「年少者」を意味する。
会社員とは、会社に雇われ、働いている人のこと。
ふつう、パートやアルバイト、契約社員や派遣社員などの非正規雇用を含めず、正規雇用の者をいう。
社員は、会社に勤める人をいうことが多いが、本来は、社団の構成員や株式会社の株主である出資者をいう。
法律的な用語でも、社員は構成員や出資者のことをいい、会社に勤める人をいうのは俗称となるため、公的文書などで会社勤めの人を表す際は、「労働者」「被用者」「被雇用者」「商業使用人」などという。
非正規で雇われる派遣社員や契約社員などの非正社員にも「社員」という言葉が入るが、元々、「社員」といえば正規雇用者(正社員)のことを指す言葉であるため、単に「社員」という場合、非正社員や非正規雇用者は除かれることが多い。
「会社員」と通俗的に用いられる「社員」は同じ意味になるが、「会社員」という場合は職業としての区分として用い、「我が社の社員」や「社員食堂」のように特定の企業に限定した意味では「社員」が用いられる。
従業員とは、ある業務に従事している人のこと。
正規雇用だけではなく、パートやアルバイト、契約社員や派遣社員などの非正規雇用者も含まれ、会社だけでなく、個人事業主の元で働く者も「従業員」である。
職員は、ふつう、学校・官公庁・国や地方公共団体、行政法人・社会福祉法人・宗教法人などの会社組織以外の法人に所属し、働く人のことをいう。
一般的にはあまり使わないが、職員は職務を担当する人を表す言葉なので、会社組織の法人に勤務する者を「職員」と呼ぶことは間違いではない。
サラリーマンは、「salary(給料)」と「man(男)」を繋げた和製英語で、特定の仕事に従事する給料生活者を意味する。
給料生活者であっても、通常は、現場の作業員、役員、医師・弁護士などの専門職を除いて「サラリーマン」という。
英語では、「office worker」や「white collar worker」などと表現される。
ビジネスマンは、英語の「businessman」からで、英語では実業家や経営者を意味するが、日本では会社員や事務員の意味で使われる。
これは、英語での「事業家」や「経営者」の意味からというよりも、「ビジネス」の「仕事」という意味から使われるようになったものである。
事務系の会社員という意味では、サラリーマンもビジネスマンも同じであるが、両者の違いはイメージである。
サラリーマンは給料を貰うために働く人、会社の言いなりとなっているだけの没個性的な企業の歯車、くたびれた組織人。
ビジネスマンは、会社の利益を生み出すために働く人、積極的に仕事をこなす人、バリバリ仕事ができる人というイメージで使われる。
取締役は、株主総会で選任され、会社の業務執行に関する意思決定をする者のこと。
会社内部での呼称と合わせ、「取締役会長」「代表取締役社長」「代表取締役」「専務取締役」「常務取締役」などと呼ばれる。
会社の役員は、法律によって定義が異なり、一般に使われる範囲とも異なる。
会社法でいう「役員」は、取締役・会計参与・監査役。
会社法施行規則では、上記役員に加え、執行役・理事・監事も含められる。
独占禁止法では、理事・取締役・執行役・業務を執行する社員、監事若しくは監査役若しくはこれらに準ずる者(相談役・顧問・参与等)、支配人又は本店若しくは支店の事業の主任者をいう。
会社法で「役員等」という場合は、取締役・会計参与・監査役に、執行役・会計監査人を含める。
「法律上の役員」という場合、ふつうは会社法の「役員」を指す。
一般に「役員」という時は、執行役員を含めていうことが多いが、執行役員は取締役会の決定に基づいて業務の執行を行うポストである。
経営と業務執行の役割分担をするためのポストであるため、ふつうは執行取締役が取締役であることは少なく、取締役の下に置かれるもので、経営権や法律上の責任がある訳ではない。
つまり、執行役員は部長や課長などと同じ、社員の役職名。
従業員の中のトップという位置づけになり、役員待遇の従業員である。
会社のトップは「代表取締役社長」のことが多が、「代表取締役」と「社長」は異なる定義による呼称で、「代表取締役」と「社長」が同じ人とは限らない。
代表取締役は、会社法の規定にある呼称。
取締役会で代表として選ばれた役員で、業務を執行し、会社を代表して契約や裁判などの行為をする権限を持つ。
一人とは限らず複数名いることもあり、その場合は、代表取締役が互いに協議することなく、それぞれが代表として業務を執行することができる。
社長は、「会長」「CEO」「専務」「常務」「部長」「課長」などと同じ、会社内部の規定による呼称。
社長も会社の業務を執行する最高責任者だが、企業の内部的な責任者で、外部的な責任者ではない。
あるプロジェクト案が出た場合、プロジェクトを進めることの意思決定は、会社内部の代表である「社長」が行う。
プロジェクトを進める上で、取引先との契約や多額の借り入れなどが必要な場合、会社法上の規定にある代表の「代表取締役」が執行する。
最終的な意思決定をする者が、社内向けと社外向けで異なることは不便であるため、ふつうは社長が代表権を持ち、「代表取締役社長」となっているケースが大半である。
しかし、会長が代表権を有して「代表取締役会長」となり、社長には代表権がなく「取締役社長」といったケースも稀にある。
筆者は、文章を書いた人。書画を書いた人もいう。
著者は、書物を書き著した人。
文章を書いた人であれば「筆者」だが、その文章が書籍化されていなければ「著者」ではない。
書籍化されていれば、「筆者」でもあり「著者」でもあるが、「筆者」は一人称としても使えるのに対し、「著者」は一人称として使えず、書き手が自身を指す時は「筆者」である。
また、「著者」は書物を書き著した人を広く表す言葉だが、「筆者」は事実のみを書き記すのではなく、何らかの主張を含んだ文章を書く人に対して用いられる。
作者は、創作的・芸術的な内容の書物、脚本などを書いた人。文章に限らず、絵画や彫刻などの芸術作品を作った人もいう。
「著者」と重なる部分もあるが、「作者」は事実や自身の主張ではなく、小説など「作品」と呼ばれるものの作り手に対して用いられる。
トリは、寄席で最後に出演する人をいう寄席用語。
語源は「取り」で、最後の演者がギャラをまとめて受け取り、出演する芸人達に分配することから生まれた言葉である。
現在では、ギャラの受け取りに関係なく、最後の演者をいい、寄席以外でも用いられている。
大トリも最後の出演者を意味するが、最後の出演者が二組以上いる際に使われる言葉で、寄席では使われない。
NHKの紅白歌合戦では、紅組で最後となる出演者と白組で最後となる出演者がいるため、紅白のそれぞれにトリが存在する。
そのどちらか一方が、番組としての最後の出演者で、最後の中でも最後になることから、「大」を冠して「大トリ」と呼ぶようになった。
紅白以外で「大トリ」が使われるものには、数日間行われるフェスなどがあり、各日の最後の出演者は「トリ」、最終日の最後の出演者は「大トリ」となる。
2013年の紅白歌合戦では、「究極の大トリ」という言葉も生まれた。
2013年は、北島三郎が史上最多50回目の出演を誇り、2013年で紅白を引退することを表明した年。
その北島三郎が、紅組と白組の枠を超えたトリとして、紅白双方のトリが歌い終えた後に最後を飾ることから作られた、特別な表現である。
事業家とは、事業を企て、経営する人のこと。
特に、事業の経営に巧みな人をいう。
実業家とは、事業の経営をする人のことだが、事業家よりも対象となる事業の範囲が狭くなる。
実業とは、農業・工業・商業・水産など、生産・流通・販売に関する事業のこと。
実業の対義語は「虚業」で、投機取引のような堅実でない事業をいう。
このような事業を営むものは、実業家ではなく虚業家である。
しかし、若いお金持ちの経営者というイメージを強調するために、「青年実業家」が使われる場合は、投機を繰り返しているだけの虚業家が含まれることも多い。
企業家とは、企業を起こした人や、企業の経営者のこと。
「経営者」や「事業家」と言わず、あえて「企業家」と表現する場合は、新技術や新製品、新しい生産方式の導入、経営や組織の改善をするなど、創造的な面を持ち合わせた経営者の意味で使われる。
起業家とは、新しく事業を起こす人。新しく事業を起こして運営する人のこと。
特に、新しく事業を起こすことを専門に行う人に対していうことが多い。
企業家と起業家は似ているが、企業家が企業を新たに起こした人であるのに対し、起業家は事業(仕事)そのものを新たに起こした人である。
事業家とも似ているが、新たな事業という点では異なる。
経営者とは、企業を経営する人のこと。
企業や事業を新たに起こしてない人でも、経営権の譲渡などで経営する立場になっていれば経営者である。
邦人の「邦」は「国」のことで、邦人は自国の人という意味になる。
日本から見て自国の人は日本人であるため、日本人を「邦人」といい、対義語は「異邦人」。
アメリカから見た場合であれば、アメリカ人が「邦人」となるが、日本語であるため、このような言い回しをすることは少なく、基本的には日本人を指す言葉である。
日本にいる日本人を「邦人」と表現することは少なく、多くは、外国にいる日本人を表す際に用いられる言葉である。
しかし、新聞やニュースなどでは、海外にいる日本人を表す際に「日本人」と「邦人」の二通りの表現が用いられている。
「日本人」と「邦人」の使い分けは、一番目に滞在期間がある。
旅行など短期間だけ滞在している場合は「日本人」、仕事などで在留している場合は「邦人」が使われ、「海外在留邦人(在留邦人)」や「在外邦人」とも呼ばれる。
二番目に話題による使い分けがある。
政治経済の硬い話題や、災害や事件・事故に巻き込まれるといったネガティブな話題の場合は、在留している日本人を「邦人」と呼ぶが、明るい話題の場合は、在留邦人であっても「日本人」と呼ぶことが多い。
コックは、西洋料理や中華料理の料理人のこと。
オランダ語の「kok」に由来し、英語では「cook」である。
シェフはコック長、つまり料理長のことで、フランス語の「chef」から。
英語の「chief(チーフ)」と共に、「頭(かしら)」を意味するラテン語に由来する。
シェフは、メニューや食材の決定、コックの教育指導などを担当し、調理に関するすべての責任を持つ。
オーナーシェフとなれば、経営力も求められる。
板前は、寿司屋や料亭などの日本料理を提供する店の料理人をいう言葉で、関西では「板場」ともいう。
「板さん」や「板」とも呼ばれ、西洋料理などのシェフ(料理長)に相当するのは「板長」である。
日本料理の世界で、板前(料理人)を「コック」と呼ぶことはないが、「シェフ」の呼称が使われることは増えてきている。
おじさんの漢字表記には、「伯父さん」「叔父さん」「小父さん」がある。
いずれも同源だが、対象が違えば漢字も使い分ける必要があり、父または母の兄弟を表す際は「伯父」や「叔父」、よその年配の男性を表す際には「小父」を用いる。
近所のおじさんなどの「おじ」は、「小父」と書くのが正しい。
父母の兄弟であれば、「伯父」と「叔父」のどちらを使っても良い訳ではなく、父や母との関係によって使い分ける必要がある。
伯父の「伯」の字は「頭」「統率者」を意味し、父または母の兄にあたる人には「伯父」。
叔父の「叔」の字は「若い」「年少者」を意味し、父または母の弟にあたる人には「叔父」を用いる。
「伯父」と「叔父」の使い分けで間違えやすいのは、父母より年上か年下かで使い分けてしまうこと。
兄か弟かという父母との関係性が、使い分けのポイントになる。
父母の姉の夫が父母より年下であっても、父母との関係は義理の兄になるため、「叔父」ではなく「伯父」。
同じく、父母の妹の夫が父母より年上であっても、父母との関係は義理の弟になるため、「伯父」ではなく「叔父」を用いるのが正しい。
神父と牧師の一番の違いは、キリスト教の教派による違い。
神父は、カトリック教会や正教会(ギリシャ正教・ 東方正教会)における司祭などの聖職者に対する尊称で、正式な職名ではない。
牧師は、プロテスタントの教職者の呼称で、職名である。
神父(司祭)は、ミサをあげたり、洗礼、堅信、聖体などの儀式を行うといった、信徒にはない権限と地位があり、聖職者として生涯独身でなければならない(正教会では、司祭となる一つ前の輔祭になる前であれば可)。
また、女性は神父になれず、男性のみとなっている。
牧師は、教区・教会を管理し、信仰を指導する信徒の代表である。
聖職者ではなく教職者であるため、結婚は奨励されている。
また、教派によっては女性の牧師も認められている。
同居とは、同じ家に住むこと。
親族や恋人関係に限らず使う言葉だが、友達同士や他人同士が同じ家に住む場合は、「ルームシェア」と言って使い分けることもある。
同棲は同居と同じ意味で、同じ家に住むことを広く意味した言葉だが、現在では、主に婚姻関係にない男女が一緒に暮らすことをいう。
内縁は、事実上は夫婦関係にありながら、婚姻届を出していない男女の関係のこと。
一緒に暮らすことではなく、二人の関係を表す言葉である。
内縁関係と認められれば、法律上は、同居、協力、扶助義務、婚姻費用分担義務、日常家事債務の連帯責任、財産分与、貞操義務など、婚姻関係にある夫婦とほぼ同じ権利・義務がある。
ただし、氏の変更や、子の嫡出性の推定、配偶者としての相続権などは、内縁関係だけでは認められない。
また、婚姻関係にあれば、未成年であっても成年者として扱われる「成年擬制」があるが、内縁関係の場合は成年擬制の効果は生じない。
3年以上同棲(同居)をしていたら内縁関係が成立するといわれるが、3年はひとつの目安に過ぎない。
内縁関係が成立する要件は、当事者に婚姻の意思が認められることと、共同生活をしていることの2点。
3年以上同棲を続けていても、結婚する気がなければ内縁関係とは認められず、同棲期間が3年未満でも、当事者同士に婚姻の意志があり、第三者からも夫婦同然として扱われていれば、内縁関係と認められる。
単なる同棲や同居ではなく、内縁関係にあることを証明する方法としては、親族・友人・同僚などの証言があるが、一方が口裏を合わせていれば証明が難しい。
証明しやすい証拠としては、マンションの賃貸借契約書や住民票などの記載で、一緒に生活をしていることを残す方法である。
マンションの契約書であれば、「配偶者」や「内縁の妻」と記載すること。
住民票であれば、同一世帯として「同居人」と表記してもよいが、「妻(見届)」「夫(見届)」と表記すれば、更に認められやすくなる。
その他、結婚式を挙げるなど、誰の目から見ても夫婦同然といえる事実があれば、内縁関係にあるといえる。
一般の会話で、児童と生徒と学生が厳密に区別されることは少ないが、法律では区別されている。
学校教育法では、初等教育を受けている者(小学校・特別支援学校の小学部に在籍する者)を「児童」といい、小学生は「児童」。
中等教育を受けている者(中学校・高等学校に在籍する者)を「生徒」といい、中学生・高校生などは「生徒」。
高等教育を受けている者(大学・高等専門学校に在籍する者)を「学生」といい、短大生・大学生・大学院生・高専生などは「学生」である。
その他、専修学校・各種学校に通う専門学校生(専門学生)などは「生徒」といい、就学前教育の段階にある幼稚園児や保育園児は「幼児」という。
学校教育法以外の法律では、児童の定義が異なる。
児童福祉法、児童虐待防止法、児童買春・児童ポルノ禁止法、児童の権利に関する条約では、満18歳に満たない者。
道路交通法では、6歳以上13歳未満の者。
児童扶養手当法では、満18歳に達してから最初の3月31日を過ぎるまでの者を「児童」という。
学生証・学生服・学割(学生割引)などは、大学生に限らず、中学生や高校生にも用いられる。
言葉の意味としては、児童は子供、生徒は学校で教育を受ける者、学生は学業を修める者のことをいい、言葉の意味と法律上の定義は異なるため、法律と関係のない場面で使用する際は、学校・課程に合わせて、児童・学生・生徒を使い分ける必要がある訳ではない。
代議士は衆議院議員、国会議員は衆議院議員と参議院議員を指す。
戦前の帝国議会は、衆議院と貴族院の二院制であった。
貴族院議員は、皇族議員・華族議員・多額納税者などの勅任議員からなり、国民の代表として選挙で選出されるのは衆議院議員だけであったため、「国民を代表して国政を議する人」という意味から、衆議院議員を「代議士」と呼ぶようになった。
日本国憲法の施行によって貴族院は廃止され、代わって参議院が国会を構成するようになった。
参議院議員は国民の代表として選挙で選出されるが、大日本国憲法時代からの名残で、衆議院議員のみを「代議士」と呼んだ。
現在では、「国会議員=代議士」という誤解や、「国民を代表して国政を議する人」という本来の意味から、参議院議員を含めた国会議員のことを「代議士」と呼ぶようになってきている。
同級生は、同じ学級の生徒、クラスメートのことをいう。
本来は、同じ学校で同学年の生徒であっても、クラスが違う場合は使わないが、級には等級・階級の意味があるため、違うクラスで同じ学年の生徒を「同級生」と呼ぶこともある。
同期生は、同じ年度に入学または卒業をした者、入社年度が同じものをいう。
狭義には同じ学校・会社の者のみに対して使い、この意味で使うのが一般的だが、広義には同じ時期の者という意味から、違う学校や会社であっても、同じ年度に入学・卒業・入社した者に対しても使われる。
同窓生は、同じ学校、または同じ師について学んだ者をいう。
同じ学年でも違う学年でも、同じ学校の出身者であれば同窓生である。
同じ学校の卒業生が集まる会の場合、クラスが同じであれば「クラス会」「同級会」「同窓会」、クラスが違い学年が同じであれば「同期会」「同窓会」、学年も違う場合は「同窓会」という。
最近は、学校が違う同い年の人に対しても「同級生」という傾向にあるが、この場合は「同学年」か、広義の「同期生」と呼ぶのが正しい。
芸能人は芸能を職業とする人の総称で、俳優・芸人・歌手・ミュージシャン・アイドル・ファッションモデル・フリーアナウンサーなど、その範囲は広い。
タレントは「才能」「技能」の意味から、「才能のある人」「芸能人」を指すようになった言葉で、芸能人とほぼ同じ意味で使われる。
有名人は世間に名が知られている人のことで、芸能人に限らず、スポーツ選手や文化人なども意味する。
本来の意味からすれば、芸能人の中でも才能のある人を「タレント」と呼ぶべきであるが、才能の有無に関わらず「タレント」と呼ばれる。
芸能人は広義に伝統芸能の人も含み、タレントよりも格が上に感じられるためか、漢字表記とカタカナ表記の違いでタレントの方が軽い印象があるためか、テレビのバラエティ番組に出演しない俳優やミュージシャンなど、その道のみで活躍する芸能人は、才能があっても「タレント」と呼ばれることが少なく、バラエティ番組出演の有無により、「タレント」と「芸能人」が使い分けられる傾向にある。
世間に名が知られていない無名芸能人(タレント)を「有名人」とは呼ばないが、ローカルタレントの場合、全国的に名が知られていなくても、活動している地域では「有名人」であることもある。
海は大きく分けると、領海・接続水域・排他的経済水域(EEZ)・公海の4つに分けられる。
このうち、公海は特定国家の主権に属さず、世界各国が自由に使用できる海域である。
公海に対して、領海は沿岸国の主権が及ぶ水域。接続水域や排他的経済水域は公海の一部だが、沿岸国の権限や権利などが及ぶ水域である。
領海の範囲は、基線から12海里(約22.2km)まで。
接続水域は、領海の外側(12海里)から24海里(約44.4km)まで。
排他的経済水域は、基線から200海里(約370.4km)までとなる。
領海は、沿岸国の主権が及ぶ水域で、領土や領空とともに国家領域のひとつ。
他国の船は、沿岸国の安全を害さない範囲であれば、領海を通航する権利がある。
しかし、領海内で密漁や密輸などをした場合は、主権国の法律に基づいて、船長らを逮捕することができる。
接続水域は、領海の外側に接続した水域。
沿岸国に主権はないが、通関・財政・出入国管理・衛生に関して、一定の権限を行使することができる。
悪いことをしそうな船が接続水域内に入ってきた時、領海に近づかないよう監視や警告するなど、国内の法令違反となりそうなことを事前に予防ができる水域が、接続水域である。
排他的経済水域は、領海や接続水域も含めた基線から200海里の範囲の水域。
沿岸国には、海中や海底、海底下に存在する生物や鉱物資源、海水・海流・海風から得られる自然エネルギーに関して、探査・開発・保存・管理を排他的に行使できる権利がある。
権利を持つ国の許可があれば、外国船でも漁をすることができるが、許可を取っていない場合は、取り締まりの対象となる。
日本の行政権の長を表す正式な呼称は「内閣総理大臣」。
「総理」や「総理大臣」は、「内閣総理大臣」の略称である。
「首相」は、「内閣総理大臣」の通称。
外務大臣を「外相(外務相)」、財務大臣を「財相(財務相)」と呼ぶように、「相」は「大臣」のことで、首相は「内閣の首席大臣」を表す。
法律上の正式名称は「内閣総理大臣」であるため、法令で「首相」を使うことはない。
しかし、「内閣総理大臣」は日本固有の官職名であるため、海外のメディアでは、英語で「Prime minister」、つまり「首相」と呼ばれる。
他の国にもそれぞれ固有の官職名があるが、議院内閣制をとっている国の政治の最高責任者を表す際は、基本的に「Prime minister(首相)」で、一般的な呼称はどちらかといえば、「内閣総理大臣」よりも「首相」の方である。
正式名称を必要としない場面では、「首相」に統一しても良さそうだが、新聞やニュースの文字では「首相」、ニュースの読みでは「総理大臣」や「総理」と使い分けられていることが多い。
「首相」と「総理大臣」「総理」で使い分けられている理由は、聞き間違いをなくすためである。
財務大臣を「財務相」、外務大臣を「外務相」と読んだ場合、「財務省」や「外務省」と区別がつかないことから、官僚の呼称は「大臣」で統一された。
それに合わせて「首相」も「総理大臣」や「総理」と呼ぶようになったことから、文字には一般的な「首相」を使い、読みには「総理大臣」や「総理」と使い分けられるようになったのである。
「総裁」も「首相」や「内閣総理大臣」と同義語に思われがちだが、「総裁」と「首相」「内閣総理大臣」は大きく異なる。
日本銀行のトップを「日銀総裁」と呼ぶように、「総裁」は組織や団体の長として全体を取りまとめる職務のことで、内閣に「総裁」という職名があるわけでない。
日本では自民党が政権を握っている期間が長く、自民党の党首名が「総裁」で、党首が内閣総理大臣を務めることが多かったことから、「総裁=内閣総理大臣」となり、「総理総裁」とも呼ばれたのである。
しかし、他の党の党首名は「総裁」とは限らないため、他党が第一党で過半数を獲得していたり、連立で過半数を獲得していれば、「総裁=内閣総理大臣」ではなくなる。
また、自民党が第一党で過半数を獲得していたとしても、内閣総理大臣は国会議員であればよく、党首がなる必要はないため、必ずしも、「総裁=内閣総理大臣」になるとは限らないのである。
日本で「ワシントン」いえば、アメリカ合衆国の首都を指すが、アメリカには「ワシントンD.C.」と「ワシントン州」の異なる二つの地域があるため、アメリカの首都を指すならば「ワシントンD.C.」と言わなければいけない。
ワシントンD.C.は、東海岸に近いメリーランド州とバージニア州の境のポトマック川沿いに位置する都市。
ワシントンD.C.の「ワシントン」は、初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンの名に因んだものである。
ワシントンD.C.の「D.C.」は、「District of Columbia」の略で「コロンビア特別区」を意味し、「コロンビア」はアメリカ大陸を発見したコロンブスの名に由来する。
ワシントンD.C.は、アメリカで唯一どこの州にも属さない連邦政府直轄の特別区で、連邦議会議事堂や大統領官邸のホワイトハウス、連邦最高裁判所などの中央官庁が置かれている。
日本では、「首都ワシントン」「ワシントン市」などと呼ぶことも多い。
ワシントン州は、カナダに接する西海岸最北部にある州。
この州名も、初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンの名に由来する。
また、ワシントン州には、州を流れるコロンビア川に因んだ「コロンビア郡」がある。
アメリカには「コロンビア」という名の群が各地にあるが、特に、ワシントン州のコロンビア群は「ワシントン・コロンビア特別区」と混同しやすく、ややこしい。
ワシントン州の州都は「オリンピア」だが、ワシントン州の最大の都市は、MLBのシアトル・マリナーズやマイクロソフト、スターバックスなどの本拠地として知られる「シアトル」である。
社内の座を奪うために起こる「社内クーデター」、状態が急激に発展・変動する意味で使われる「産業革命」や「流通革命」という言葉からわかる通り、クーデターと革命の違いは、同一支配層内部での権力移動か、体制そのものを変革するかの違いである。
クーデターは、「国家への一撃」を意味するフランス語「coup d’État」からで、非合法的な武力行使によって、政治支配者を逮捕・追放し、政権を奪うことをいう。
クーデターは権力の移動が主であるため、独裁政権から独裁政権、民主政権から独裁政権となることが多い。
政権が変わることで、のちに政治システムまで変わることもあるが、政治システムは変わらず、支配者が変わるだけのこともある。
基本的には武力行使を伴う「軍事クーデター」であるが、結果として武力行使されない「無血クーデター」もある。
革命は、『易経(革卦)』の「湯武命を革(あらた)めて、天に順したがい人に応ず」からで、古代中国で、天命が改まり王朝が変わることを意味した言葉。
「あらためる」という通り、政治システムや社会体制などを根本から変革することを意味する。
クーデターのように政権を奪うことが目的ではなく、被支配階級が従来の支配階級を倒して政治権力を奪い、急激に変革させることを目的とするため、普通は独裁政権から民主政権へと変わる。
反乱とクーデターと似ているが、反乱は支配者階級に対する反発を持って武力行動を起こすこと。
クーデーターのように権力を奪うことが目的ではなく、支配者階級に対して不満を爆発させた結果として起こされる行為である。
反乱によって体制が大きく変わった場合は、革命となる。
内乱は、一国内の政府と反政府勢力とによって行われる武力闘争。
クーデターや、政権奪取を目的としない紛争なども内乱の一種で、国内が争い事で混乱した状態になることを広くいう。
テロは、「テロリズム(terrorism)」やドイツ語「テロル(Terror)」の略で、政治的主張を達成するために、暗殺・暴行・破壊などの暴力的手段に訴える主義。また、行為や傾向のこと。
ゲリラ(guerrilla)は、小部隊で敵の後方や施設内を奇襲して敵を混乱させる攪乱戦法。また、その部隊や戦闘員。遊撃隊をいう。
テロとゲリラの線引きは難しいが、基本的な解釈としては、テロは暴力的行為により恐怖や不安を拡散させ、政治目的を達成させようとする意味の政治用語。
ゲリラは、攪乱戦法を意味する戦法用語である。
日本の警察用語においては、上記の区別とは異なる定義があり、施設などを攻撃する対物テロを「ゲリラ」、個人を標的とする対人テロを「テロ」としている。
しかし、施設と個人のどちらにも該当するケースがあるため、国民に対する広報では「テロ・ゲリラ」と一括されている。
クーデターは、非合法的な武力行使に訴え政権を奪うこと。
テロで攻撃されるのは、普通、一般市民であるが、クーデターは政権内部での権力抗争であるため、特別な意味もなく一般市民が攻撃されることはない。
また、テロは暴力行為によって政治的主張を訴えることが第一にあり、政権を奪うという考えまであるとは限らないが、クーデターは政権を奪うことが第一にある。
そのため、クーデターは死傷者を伴わないケースもあり得る。
第一次世界大戦が始まってから最初のクリスマスとなった1914年12月25日、敵対していたドイツ軍とイギリス軍の兵士たちが武器を置き、敵の兵士たちとプレゼントとして物資の交換をしたり、サッカーの親善試合をしたことで知られる「クリスマス休戦」を「クリスマス停戦」ともいうように、停戦と休戦の違いは曖昧で、同義に用いられることも多い。
停戦は、現地の指揮官の合意に基づき、局地的かつ短期的に戦闘行為を停止することをいう。
停戦期間中は、戦死者や負傷者の収容、捕虜の交換などが行われる。
休戦も停戦と同じく、交戦当事者の合意により戦闘を停止することだが、主に、全面的な戦争の終結を目的とした時に使われ、法律用語としては、「休戦」を用いることが多い。
休戦には、全戦線にわたて戦闘を停止する全般的休戦と、特定の地域に限って停止する部分休戦があり、全般的休戦では国の代表もしくは軍の最高司令官の間で締結され、批准を必要とするが、部分休戦では現地軍司令官の間で締結され、基本的には批准も必要としない。
終戦は、平和条約を結んで戦争を終結させ、国交を回復すること。特に、太平洋戦争の終結を指すことが多い。
日本では、8月15日を「終戦の日(終戦記念日)」といわれるが、日本政府がポツダム宣言の受諾を連合国に通告した日が8月14日、玉音放送で日本の降伏が国民に発表された日が8月15日、ポツダム宣言を受諾し調印した日は9月2日であるため、世界的には9月2日が終戦の日とされている。
なお、毎年8月15日に政府主催で行われる「全国戦没者追悼式」は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の式であり、「終戦の日(終戦記念日)」の式ではない。
人類史上、実戦で核兵器が使用されたのは、1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾(以下、「原爆」)と、1945年8月9日に長崎へ投下された原爆だけである。
広島原爆と長崎原爆を比較すると、使用された燃料や爆発時の破壊力、被害状況などが異なり、破壊力の大きい原爆を使われたのが長崎原爆、被害が大きかったのが広島原爆であった。
広島型原爆
広島の約1.5倍の威力を持つ原爆が使われた長崎の方が被害が少なかったのは、長崎市は山で囲まれた地形で、山によって熱線や爆風が遮断されたためといわれる。
広島と長崎の反核運動や核廃絶運動などに対する姿勢の違いを、「怒りの広島、祈りの長崎」と形容される。
これは、広島原爆の代表文学、峠三吉の原爆詩集「にんげんをかえせ」が被爆者の怒りを表しており、長崎原爆の代表文学、永井隆の『長崎の鐘』は世界平和を訴える作品であり、長崎はキリスト教信者が多く、世界平和をひたすら祈る印象があるためで、広島市民が平和を祈らないわけでも、長崎市民に怒りがないわけでもない。
世界に向けて被爆地を表す際は、地名を「ヒロシマ」「ナガサキ」とカタカナ表記することが多いため、「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」とも書かれる。
召集も招集も、人を集めるという点は同じだが、召集が「呼び出して集める」、招集は「招き集める」という意味の違いがある。
召集の「召(召す)」は、人を呼び寄せる、招くなどの尊敬表現。身分や地位の高い人が、自分より下の者を呼んで来させることで、普通は「天皇の行為」をいう。
俗に「赤紙」と呼ばれた戦前の「召集令状」は、事変に際し、在郷軍人や国民兵などを軍隊に呼び出し集める「天皇の行為」であったため、「召集」が使われた。
国会を開くため、衆参両議院に対して一定の期日に議会に集まるよう命ずることは、内閣の助言と承認に基づく「天皇の国事行為」であるため、「召集」が用いられる。
対等な立場の者を集める際には、「招集」の字を使う。
国会とは異なり、地方議会を開くために首長が議員を集めることは、天皇の行為ではないため「招集」が使われる。
また、自衛隊で隊員を集めることも、戦時中の「召集令状」とは異なるため、「招集」が使われる。
「召集」と書いたら「何様のつもりだ」となってしまうので、一般的には「招集」を使い、「召集」は国会と旧日本軍に限った表現と覚えておくとよいであろう。
戦略も戦術も、軍事用語として使われていたものが、政治やビジネスなどでも使われるようになった言葉である。
軍事用語としては、戦略が、戦いに勝つために兵力を総合的・効果的に運用する方法で、大局的・長期的な視点で策定する計画手段。
戦術は、戦いに勝つための戦地で兵士の動かし方など、実行上の方策のことをいう。
現代では上記の意味から、戦略が、組織などが運営していくための将来を見通した方策や、目標を達成するためのシナリオ。
戦術は、目標を達成するための具体的な手段、実践的な計画といった意味で使われる。
つまり、目標を達成するための総合的・長期的な計画手段が戦略で、その戦略を行うための具体的・実践的な計画手段が戦術である。
戦争は、国家間の対立によって起こる軍事力を用いた戦闘行為、及び、その状態。
比喩として、「受験戦争」など、激しい争いや競争もいう。
紛争は、争い事・揉め事など対立する者同士が争う状態を広く意味する言葉。
戦争も内戦も紛争であるが、使い分けする際は、比較的小規模な武力衝突をいう。
内戦は、国家間の争いではなく、同一国内での争いのこと。
国家間の対立であっても、フォークランド紛争のように、規模や程度が比較的小さかったり、一時的・突発的なものは「紛争」といい、国家間の対立が恒常化したり、規模が大きくなると「戦争」を用ることが多い。
同一国内の争いであっても、南北戦争のように暫定的に国家と見なされる者同士の争いや、ベトナム戦争のように他国が介入し、国家間の争いにもなっている場合は、「内戦」ではなく「戦争」という。
代議士は衆議院議員、国会議員は衆議院議員と参議院議員を指す。
戦前の帝国議会は、衆議院と貴族院の二院制であった。
貴族院議員は、皇族議員・華族議員・多額納税者などの勅任議員からなり、国民の代表として選挙で選出されるのは衆議院議員だけであったため、「国民を代表して国政を議する人」という意味から、衆議院議員を「代議士」と呼ぶようになった。
日本国憲法の施行によって貴族院は廃止され、代わって参議院が国会を構成するようになった。
参議院議員は国民の代表として選挙で選出されるが、大日本国憲法時代からの名残で、衆議院議員のみを「代議士」と呼んだ。
現在では、「国会議員=代議士」という誤解や、「国民を代表して国政を議する人」という本来の意味から、参議院議員を含めた国会議員のことを「代議士」と呼ぶようになってきている。
違法と不法と非合法と脱法は、法律にそむくという意味では共通するが、「違法駐車」とは言っても「不法駐車」とは言わず、「不法監禁」とは言っても「違法監禁」とは言わないように、これらの言葉は使い分けされていることが多い。
違法とは、法律や規定などの決まりにそむくことで、適法の対義語。
違法駐車に対して適法な駐車があり、違法建築に対して適法な建築もあるというように、適法な行為が対としてある場合に違法が使われ、監禁のように、そもそもが法律に反している行為について違法は使われにくい。
不法は、法律に違反することのほか、道理や道義にそむく意味でも使われる。
そのため、「不法投棄」や「不法監禁」など、反社会的な行為というニュアンスを含む場合に不法が使われる。
非合法は、法律に違反することや、法律の許す範囲を越えて密かに行うことをいう。
「非合法な裏家業」や「非合法な政治活動」など、見えないところで法律に違反する組織や、政治的な体制に反することに非合法が使われる。
脱法とは、見かけは法律で禁止されている行為に当たらないが、実際は法律で禁止していることを行うこと。
取り締まりの対象となっていないが、実際は成分や効果が大麻や覚せい剤と違いがない薬物を「脱法ドラッグ(脱法ハーブ)」というように、法の規制をかいくぐり、法律に違反する行為に脱法が使われる。
なお、ここでいう「不法」は、世間一般に使われている意味について解説したものであり、民法で規定された法律用語としての「不法行為」とは異なる。
海は大きく分けると、領海・接続水域・排他的経済水域(EEZ)・公海の4つに分けられる。
このうち、公海は特定国家の主権に属さず、世界各国が自由に使用できる海域である。
公海に対して、領海は沿岸国の主権が及ぶ水域。接続水域や排他的経済水域は公海の一部だが、沿岸国の権限や権利などが及ぶ水域である。
領海の範囲は、基線から12海里(約22.2km)まで。
接続水域は、領海の外側(12海里)から24海里(約44.4km)まで。
排他的経済水域は、基線から200海里(約370.4km)までとなる。
領海は、沿岸国の主権が及ぶ水域で、領土や領空とともに国家領域のひとつ。
他国の船は、沿岸国の安全を害さない範囲であれば、領海を通航する権利がある。
しかし、領海内で密漁や密輸などをした場合は、主権国の法律に基づいて、船長らを逮捕することができる。
接続水域は、領海の外側に接続した水域。
沿岸国に主権はないが、通関・財政・出入国管理・衛生に関して、一定の権限を行使することができる。
悪いことをしそうな船が接続水域内に入ってきた時、領海に近づかないよう監視や警告するなど、国内の法令違反となりそうなことを事前に予防ができる水域が、接続水域である。
排他的経済水域は、領海や接続水域も含めた基線から200海里の範囲の水域。
沿岸国には、海中や海底、海底下に存在する生物や鉱物資源、海水・海流・海風から得られる自然エネルギーに関して、探査・開発・保存・管理を排他的に行使できる権利がある。
権利を持つ国の許可があれば、外国船でも漁をすることができるが、許可を取っていない場合は、取り締まりの対象となる。
自白とは、隠している事実や犯した罪を自ら白状すること。
自供とは、容疑者や犯人が取調べに対し、自分から犯罪事実を申し述べること。
自分の犯した罪を認めるという意味では、自白も自供も使われる。
しかし、自供は犯罪に関する場面のみの使用であるのに対し、自白は「テストでカンニングしたことを自白する」というように、犯罪にはならない事柄についても使われる。
犯罪に限った場合、自白は自ら率先して、自供は強要されてといった違いや、自白は犯行の事実を認めるのみで、自供は具体的な内容を述べた場合といった違いがあるともいわれるが、そのような使い分けは一切されていない。
自供は犯罪にのみ使われるたる言葉だが法律用語ではなく、刑事事件・民事事件ともに、自白が法律用語として使われている。
刑事訴訟法での自白は、上記のように、自己の犯行事実を認めること。
民事訴訟法での自白は、相手の主張を肯定し、自己に不利な事実を認めることをいう。
弁済も返済も、借りた金品を返すことで、一般に使われる意味では両者に違いはない。
しかし、返済は法律用語として使われないが、弁済は法律用語として使われ、法律用語の弁済の意味は、債務を履行し債権を消滅させることをいい、一般に使われる返済とは意味が異なる。
弁済の「債務を履行し債権を消滅させる」というのは、お金を借りた場合であれば、借りたお金を相手に全額返すこと。
返済の場合は借りた金額の一部を返すことも返済だが、弁済の場合は一部を返して弁済したということはない。
債務というのは金品の貸し借りだけでなく、商品の売買にも当てはまることで、売る側にも買う側にも、それぞれに債務・債権がある。
お店で商品を買い、後日支払いをする場合、店側には商品代金を受け取る債権があり、お客側には代金を支払う債務がある。
お客がお店に対して、商品代金を期日までに全額支払うことが弁済である。
反対に、商品代金を支払ったが、納品は後日という場合は、店側には商品を納めるという債務があり、お客側には商品を受け取るという債権がある。
お店がお客に対し、期日までに全ての商品を納品することが弁済となる。
ゴシップの意味は、興味本位の噂話。
スキャンダルの意味は、名誉を傷つけるような不祥事や不正事件。また、不名誉な噂のこと。
ゴシップの語源は、「名付け親」という意味の古英語で、名付け親は、その家で見聞きしたことを尾ひれを付けて他人に喋ることから、噂話の意味となった。
そのため、有名無名を問わず使う言葉である。
スキャンダルは、「障害物」や「罠」を意味するギリシャ語が語源で、社会的地位を失うような不祥事や、よくない噂の意味となっている。
事件や不名誉な噂で社会的地位を失うのは、政治家やタレント、スポーツ選手などの著名人であるため、無名な人に対しては使われない。
日本では、ゴシップを有名人に対していうことが多いため、ゴシップとスキャンダルは混同されやすいが、スキャンダルは、刑事事件や不倫などの男女関係といった、不名誉な事柄が対象となる。
一方のゴシップは、著しく名誉を傷つけられたり、謹慎や引退に追い込まれない程度のもので、私生活に関する噂話が中心である。
戸籍は本籍地の市町村に置かれるもので、各人の本籍地・氏名・生年月日・父母・続柄・配偶者・子・養子縁組などが記載されている。
戸籍の証明として戸籍原本の写しを求められることがあるが、戸籍の写しには「戸籍謄本」と「戸籍抄本」の二種類ある。
謄本の「謄」には「原本通りに写す」の意味があり、戸籍謄本は戸籍に入っている全員分の写し。
抄本の「抄」には「抜き書きする」の意味があり、戸籍抄本は戸籍の一部の人(通常一人分)の写しである。
戸籍以外に「登記簿謄本(抄本)」「訴訟記録の謄本(抄本)」なども、全部か一部かの違いで「謄本」と「抄本」が使い分けられている。
現在、多くの自治体では「戸籍謄本」を「戸籍全部事項証明書」、「戸籍抄本」を「戸籍個人事項証明書」と呼んでいるが、これらの名称の違いは、戸籍の管理の仕方の違いで、戸籍を紙で管理している自治体では、「戸籍謄本」「戸籍抄本」が正式名称。
戸籍を電子情報処理組織(コンピュータ)で管理している自治体では、「戸籍全部事項証明書」「戸籍個人事項証明書」が正式な名称となっている。
戸籍の写しを提出書類として求められる時、「戸籍謄本または抄本」「戸籍謄(抄)本」「戸籍原本の写し」などと書いてあり、どちらを取得すべきか迷うことがある。
発行する際の手数料は、戸籍謄本(戸籍全部事項証明書)も戸籍抄本(戸籍個人事項証明書)も同額なので、金銭面でいえばどちらでも良い。
謄本であれば全員分記載されているため、抄本よりも謄本の方が間違いはない。
しかし、プライバシー保護の観点からすれば、必要な個人の分だけ提出した方が良いため、どちらでも良い場合は抄本を取得した方が良いといえる。
戸籍謄本でなければいけない場合と、戸籍抄本でも良い場合の違いは、基本的に、関係性の情報が必要なのか、個人の証明が必要なのかの違いである。
謄本の提出を求められるのは、相続手続き、本籍地以外で提出する婚姻届(自治体によっては抄本でも可)、転籍届など、関係性の情報が必要な場合。
抄本でも問題ないのは、パスポートの申請や資格取得など、個人の証明を必要としている場合である。
許可は願いを許すこと、認可は認めて許可することで、意味として大きな違いはないが、行政が与える許可や認可では意味に大きな違いがある。
許可とは、法令で一般に禁止されている行為について、特定の条件の場合に行政庁がそれを解除し、適法にその行為を行えるようにすること。
風俗営業の許可や飲食店営業の許可、自動車運転免許の取得などがある。
認可とは、ある人が行う行為に対して、行政庁の同意を得なければ成立しない場合に、行政庁の同意によって法律上の効力を完成させること。
学校法人や保育園の設立、電気・ガスなどの料金や鉄道・バスなどの運賃を決定・変更する行為、銀行の合併などがそれにあたる。
許可は、得ていなければ禁止されている行為であるため、許可を得ていない場合は処罰の対象となる。
一方の認可は、禁止されている行為を許すものではないため、原則として処罰の対象とならないが、法律上の効力を完成させるものであるため、認可を受けずに行われた行為は無効になる。
押印」と「捺印」と「押捺」は、いずれも印判を押すことをいうが、意味に異なる部分があり、一般的な社会習慣としては微妙な使い分けもされている。
押印は、当用漢字の制定により、当用漢字外であった「捺印」に代わって用いられるようになった語で、印判を押すことを意味する。
捺印は、印判を押すことのほか、押した印影についてもいう。
押捺は、印判を押すことのほか、指紋を押すことについてもいう。
一般的に指紋を押すことは少ないため、押印や捺印ほど押捺は使われない。
「署名捺印」「記名押印」という組み合わせで用いられるように、一般的には、本人が自筆で氏名を書いたもの(署名)に印を押す際は「捺印」といい、本人の自筆ではなく、代筆やゴム印などで氏名を記したもの(記名)に印を押す際は「押印」ということが多い。
「署名」と「記名」には証拠能力の違いがあるが、「押印」と「捺印」は印を押すという行為に変わりないため、印を押してもらう際にどちらの言葉を使ったとしても、証拠能力に違いが出てくる訳ではない。
署名と記名とサインは、自分の氏名を書くという意味ではどれも同じだが、区別して用いる場合は、全く同じ意味ではなくなり、法的な証拠能力の高さも変わってくる。
署名とは、本人が自分の氏名を自筆で書くこと。また、その書き記したもののことで、法令では「自署」ともいう。
記名とは、氏名を書き記すこと。
書き記す方法は自筆である必要はなく、署名と区別していう場合は、本人に代わって他人が代筆したり、ゴム印を押したり、印刷したりして氏名を記すことをいう。
つまり、「署名欄」と書かれていれば必ず自筆で書く必要があり、「記名欄」と書かれていれば、自筆のほか、代筆・ゴム印・印刷などでも問題ないということである。
日本では印鑑に対する信用度が高いため、署名捺印が最も証拠能力が高く、次いで署名のみ、記名押印でも有効だが、記名のみでは認められない。
サインとは署名のことで、必ず自筆である。
クレジットカードの支払いなどの時に「ここにサインをお願いいたします」と言って署名を求めるように、日常会話の中では署名よりもサインの方が多く使われ、「署名をお願いいたします」と言うのは、署名活動の時や重要な契約時ぐらいである。
書類に署名する以外では、有名人がファンのために書くものや、符号・信号・合図といった意味でもサインは用いられるが、これらの意味で「署名」を用いることはない。
逮捕とは、刑事事件で特定された被疑者の身柄を強制的に拘束・留置することで、通常逮捕・緊急逮捕・現行犯逮捕の三種類ある。
通常は裁判所が発する逮捕状が必要で、被疑者が特定されただけでは逮捕とはならない。
検挙とは、警察や検察などの捜査機関が、犯罪の被疑者や違反行為を特定すること。
法律用語ではないが、警察内部で使われる言葉で、微罪処分に必要な捜査・任意取り調べ・逮捕・書類送検なども含めていう。
「交通違反で捕まった(検挙された)」という場合、通常は手錠をかけられない(逮捕されない)。
また、逃亡や証拠隠滅のおそれがなく、軽微な犯罪であれば、被疑者を特定したとしても、逮捕されずに任意同行や在宅での取り調べのみということもある。
このように、検挙されたからといって逮捕という訳ではなく、マスコミなど一般で用いる際は、逮捕に至らないケースに用いることが多い。
摘発も検挙と同様に法律用語ではない。
悪事などをあばいて世間に公表することをいい、「カジノ賭博店を摘発」「脱税を摘発」「麻薬組織を摘発」などと用いる。
検挙は被疑者を特定することをいうが、摘発は犯罪の事実を公表することに重点を置いた言葉である。
行政書士も司法書士も、公的な機関に提出する法律関係の書類作成や申請などを代行する仕事である。
いずれも国家資格だが、行政書士は、総務省管轄の行政書士法に基づいた国家資格で、自治体や警察署への手続きが主な業務。
司法書士は、法務省管轄の司法書士法に基づいた国家資格で、裁判所・検察庁・法務局・地方法務局への手続きが主な業務となる。
行政書士の仕事で身近なものには、遺言書や財産調査などの相続に関するもの、各種契約書・就業規則・告訴状・告発状などの事実証明や権利業務に関するもの、住民基本台帳・測量図などの閲覧代行、位置図・現況図など実地調査に基づく図面類の作成、建設業・飲食店業・風俗業・旅館業・古物商などの営業許可申請、自動車登録などがある。
司法書士の仕事で身近なものには、法人登記、不動産登記、供託手続き、裁判の訴訟手続き、成年後見、多重債務の整理などがある。
また、司法書士のうち、所定の研修を修了し、簡裁訴訟代理能力認定考査に合格した者は、簡易裁判所の140万円までの民事事件で、民事訴訟の代理人を務めることができるという認定司法書士制度もある。
刑事事件で特定された被疑者の身柄を強制的に拘束・留置する逮捕には、「通常逮捕」「緊急逮捕」「現行犯逮捕(準現行犯逮捕)」の3種類ある。
通常逮捕とは、裁判所が発する逮捕状に基づいて被疑者を逮捕する手続き。
手続きの流れとしては、事件発覚後に捜査が行われ、捜査機関が犯人と断定できる証拠を掴み、裁判所に逮捕状の発付を請求をする。
裁判官が逮捕の理由や逮捕の必要性を審査し、発付されれば、逮捕できるようになる。
緊急逮捕とは、死刑・無期懲役、3年以上の懲役・禁錮にあたる罪と判断される場合や、逃亡や証拠隠滅の恐れがあり、逮捕状を待っていては間に合わないと判断される場合などに、裁判所が発する逮捕状を待たずして逮捕する手続き。
逮捕後に逮捕状が発付されるが、請求が却下された場合は、被疑者を保釈しなければならない。
現行犯逮捕とは、現に犯罪を行っている犯人や、犯罪を行い終えたばかりの犯人を逮捕令状なくして逮捕する手続き。
犯罪を行い終えてから間がなく、明らかに犯罪を行った者と認められ逮捕する場合は、準現行犯逮捕という。
緊急逮捕は、事件発生・発覚があり、捜査ののちに逮捕する点では、通常逮捕と同じであるが、逮捕状の発付を待たずに行われるもの。
現行犯逮捕は、逮捕状の発付を待たずに逮捕する点では、緊急逮捕と同じであるが、事件の発生・発覚とほぼ同時に行われるものである。
また、通常逮捕と緊急逮捕は、警察官や検察官などの捜査関係者でなければ行えないが、現行犯逮捕は誰であっても行え、捜査関係者である必要はない。
ただし、私人が現行犯逮捕した場合は、直ちに110番通報するなどして、速やかに警察官へ引き渡さなければならない。
毒薬と劇薬には「薬」の字が入っているように「医薬品」で、薬事法によって厚生労働大臣が指定する薬。
毒物と劇物には「物」の字が入っているように「薬」ではなく「毒性のある物質」で、狭義には、医薬品・医薬部外品以外の物質で、毒物および劇物取締法で規定されるものを指す。
劇薬よりも毒薬、劇物よりも毒物の方が、生命に危険を起こす可能性が高く、経口投与(内服)の致死量が、劇薬では体重1kgあたり300mg以下なのに対し、毒薬では30mg以下。
皮下注射では、劇薬が200mg以下、毒薬が20mg以下。
静脈注射では、劇薬が100mg以下、毒薬が10mg以下と、およそ10倍ほどの差がある。
毒薬と劇薬は「薬事法」、毒物と劇物は「毒物および劇物取締法」によって、容器やパッケージへの表示、保管や販売方法が以下のとおり定められている。
容器やパッケージへの表示の違い。
毒薬には、黒地に白枠、白文字で、品名と「毒」を表示。
劇薬には、白地に赤枠、赤文字で、品名と「劇」を表示。
毒物には、「医薬用外」の表示と、赤地に白文字で「毒物」と表示。
劇物には、「医薬用外」の表示と、白地に赤文字で「劇物」と表示。
また、毒物と劇物には、名称、成分と含有量、厚生労働省で定める毒物や劇物については解毒剤の名称、取扱上や使用上特に必要と認めて厚生労働省令で定める事項が記載されていないと、販売することができない。
保管方法の違い。
毒薬は、他の薬品と区別して、専用の施錠できる保管庫に貯蔵・陳列。
劇薬は、保管庫の施錠は必要ないが、他の薬品と区別して貯蔵・陳列。
毒物と劇物は、他のものと区別し、施錠できる設備に貯蔵することと、保管庫を壁などに固定し転倒を防ぐ必要がある。
販売方法の違い。
毒薬と劇薬は、14歳未満の者、安全な取り扱いに不安を認める者への販売・交付は禁じられている。
ただし、医師などの処方箋によって調剤された医薬品は、14歳未満でも販売・交付は可能である。
薬局が一般の人へ毒薬や劇薬を販売・交付する際は、年月日・品名・数量・使用目的・購入する人の住所・氏名・職業の記入と、購入する人の署名もしくは記名押印された書類を提出してもらい、販売日から2年間、その書類を保管しなければならない。
毒物と劇物は、18歳未満の者、麻薬・大麻・あへんまたは覚せい剤中毒者、心身障害により適正な危害防止措置を行うことができない者への販売は禁じられている。
薬局などの販売業者が一般の人へ毒物や劇物を販売する際は、名称と数量・年月日・氏名・職業・住所を記載し、押印した書面を提出してもらい、最終記載日から5年間保存しなければならない。
ニュースなどの報道では、警察から犯罪の疑いをかけられた人を「容疑者」という。
これを司法手続きや法令用語では「被疑者」といい、警察などの公的機関では「容疑者」と呼ばず「被疑者」と呼ぶ。
逮捕されていなくても嫌疑を受けた時点で「被疑者」となるが、指名手配を除き、逮捕されていない段階でマスコミが「容疑者」と呼ぶことは少ない。
テレビや新聞で「容疑者」という呼称が使われ始めたのは1989年以降で、それ以前は被疑者を実名で呼び捨てにすることが多かった。
呼び捨てにすることは犯人扱いしているのに等しいという考えから、「〇〇容疑者」と名前の後に「容疑者」を付けるようになったのである。
マスコミが法令用語の「被疑者」ではなく「容疑者」を使う理由は、「被疑者」と「被害者」の発音が似ており、間違いを避けるためといわれる。
法令用語では「被疑者」、マスコミ用語では「容疑者」という区別も、実は正しくない。
基本的に法令上は「被疑者」を用いるが、出入国管理及び難民認定法違反の疑いで調査される外国人を指す際は、「容疑者」の呼称が用いられる。
「被疑者(容疑者)」と呼ばれるのは、嫌疑を受け、逮捕され、取り調べを受けている間で、犯罪の嫌疑が十分であるとして、検察から刑事訴訟で起訴された段階で「被告人」となる。
マスコミでは「被告人」を「被告」と呼ぶこともあるが、「被告」は民事訴訟や行政事件訴訟で訴えられた者のことで、刑事訴訟では「被告人」である。
犯人は、罪を犯した犯罪者のこと。
被疑者(容疑者)や被告人の段階では、有罪が確定していないため犯人ではない。
しかし、呼び捨てにしなくなったものの、マスコミの報道では「容疑者=犯人」のような扱いをしているため、無罪判決が下った被告人が社会的な不利益を被ることもある。
重症は、病気や症状が重いことで、対義語は「軽症」。
重傷は、傷の程度が重いことで、対義語は「軽傷」である。
拳銃で撃たれた場合は、「重症を負う」ではなく「重傷を負う」。
なんらかの症状が重くなった場合は、「重傷になる」ではなく「重症になる」。
比喩的に用いる場合、恋わずらいであれば「相当な重症だ」。
精神的なダメージの大きさを表現するのであれば、意味としては「重症」ではなく「重傷」になるが、「重傷」よりも「痛手」が用いられる。
このように一般には、重症が「病気」で、重傷が「傷」として使われるため、誤解されていることもあるが、重症は「症状」なので病気に限らず、ケガの状態も含めていう。
しかし、重症のうち傷のみを表す場合に、「重傷」が使われるという訳でもない。
消防が救急搬送するのは病人とケガ人で、事故によるケガであっても、消防では「重症」を用いる。
警察は事故でケガ人の状態を見るが、病気を診ることはないので、警察では「重傷」を用いる。
マスコミの事故報道で「全治3カ月の重傷」と言われているのは、警察の発表に基づいたものである。
重症と重傷では、治療に必要とする日数にも違いがあり、重症は消防の定義、重傷は警察が定義している。
消防庁による重症の定義は、傷病の程度が3週間以上の入院を必要とするもの。
入院を必要とするが、重症に至らないものを「中等症」。
入院加療を必要としないものは「軽症」という。
警察による重傷の定義は、命に別状はないが、全治30日以上必要とする深い傷や重いケガのこと。
全治30日未満のケガは「軽傷」という。
テロは、「テロリズム(terrorism)」やドイツ語「テロル(Terror)」の略で、政治的主張を達成するために、暗殺・暴行・破壊などの暴力的手段に訴える主義。また、行為や傾向のこと。
ゲリラ(guerrilla)は、小部隊で敵の後方や施設内を奇襲して敵を混乱させる攪乱戦法。また、その部隊や戦闘員。遊撃隊をいう。
テロとゲリラの線引きは難しいが、基本的な解釈としては、テロは暴力的行為により恐怖や不安を拡散させ、政治目的を達成させようとする意味の政治用語。
ゲリラは、攪乱戦法を意味する戦法用語である。
日本の警察用語においては、上記の区別とは異なる定義があり、施設などを攻撃する対物テロを「ゲリラ」、個人を標的とする対人テロを「テロ」としている。
しかし、施設と個人のどちらにも該当するケースがあるため、国民に対する広報では「テロ・ゲリラ」と一括されている。
クーデターは、非合法的な武力行使に訴え政権を奪うこと。
テロで攻撃されるのは、普通、一般市民であるが、クーデターは政権内部での権力抗争であるため、特別な意味もなく一般市民が攻撃されることはない。
また、テロは暴力行為によって政治的主張を訴えることが第一にあり、政権を奪うという考えまであるとは限らないが、クーデターは政権を奪うことが第一にある。
そのため、クーデターは死傷者を伴わないケースもあり得る。
洪水・土砂災害・津波・大規模火災・原子力災害など、災害に関する避難情報には、危険度の低い順から、避難準備情報・避難勧告・避難指示がある。
避難準備情報は、今後、避難勧告が発令される可能性が高い時に、一般住民に避難の準備を促すもの。
また、お年寄りや身体障害者など、移動に時間がかかる災害時要援護者を、早期に避難させるため呼びかけるものでもある。
しかし、避難準備情報の意味が理解されておらず、平成28年8月に発生した台風10号による水害で、高齢者施設で適切な避難行動がとられなかったことから、高齢者が避難を開始する段階であることを明確にするため、平成28年12月26日に「避難準備・高齢者等避難開始」へ名称変更されている。
避難勧告は、災害の発生する恐れがある場合に、避難のため立ち退きを勧めるもの。
避難指示は、災害が発生している、もしくは発生する恐れが非常に高と判断された時に出され、避難勧告よりも危険が切迫し、避難のため立ち退きさせるためのもの。
避難指示では緊急を要することが伝わりづらいため、避難準備情報の変更と同じ平成28年12月26日に、「避難指示(緊急)」へ変更されている。
避難指示の次の段階として、避難命令があると思われがちだが、日本に避難命令の法律はない。
日本で避難指示の次の段階にあるのは、警戒区域の設定で、実質的に警戒区域の設定が避難命令に相当する。
警戒区域の設定により、災害応急対策に従事する作業員などの許可を得た以外の者に対して、警戒区域への出入りを制限・禁止したり、退去が命ぜられ、警戒区域に無断で侵入した場合は、懲役や罰金が科されることがある。
心肺停止とは、心臓も呼吸(肺の動き)も停止した状態。心音と呼吸の有無の確認でわかるため、誰でも心肺停止の判断は可能である。
心肺停止状態であっても、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)、人工呼吸などで蘇生する可能性があるため、死亡状態とはいえない。
ただし、心臓が停止し脳に血液が行かなくなると、4~5分程度で脳は回復不可能な障害を受けるため、心肺停止状態になったら迅速な救命措置が必要となる。
日本では、心肺停止(心停止と呼吸停止)のほかに、脈拍停止と瞳孔散大の4つを確認し、医師が死亡を宣言しなければ「死亡」とはならず、医師以外の者が死亡を宣言することはできない。
事故や災害などで、明らかに死亡している人が発見された場合であっても、警察や消防では死亡の宣言ができない。
ニュースで伝えられる「心肺停止の状態」は、死亡しているだろうけれども、まだ医師の診断ができていない状態というのがほとんどである。
海外では、日本と同じ手順で死亡が確定するとは限らない。
そのため、日本のメディアが「心肺停止」と伝える状態を、海外のメディアでは「死亡」と伝えられていることも多い。
懲役・禁錮(禁固)・拘留は、受刑者の身体を刑事施設に拘置する自由刑にあたる。
懲役は、金属製品や木工の加工、靴や衣類の製作、刑事施設内の炊事、洗濯、清掃などの刑務作業が科せられる刑罰。
作業に従事した受刑者には、1人1カ月当たり平均4,700円ほどの作業報奨金が支払われる。
禁錮は、拘置されるだけで刑務作業の義務はないが、受刑者が願い出れば刑務作業を行うことができる(請願作業)。
作業義務がないといっても、現実的には単調な生活となるため退屈で、大半の受刑者が作業を願い出るといわれる。
拘留は禁錮と同じく、拘置のみで刑務作業の義務がない刑罰だが、拘置される期間に違いがある。
懲役と禁錮は、共に無期と有期があり、有期の場合は1カ月以上(30日以上)20年以下で、加重の場合はは30年まで、軽減の場合は1カ月までできる。
拘留は、1日以上1カ月未満(29日以下)の間である。
また、3年以下の懲役もしくは禁錮を言い渡す場合、情状により、執行猶予を認められることがあるが、拘留は執行猶予が付けられないため、必ず実刑となる。
拘留の対象となるのは、公然わいせつ罪、暴行罪、侮辱罪、軽犯罪法違反の罪などの犯罪や、各種法令の軽微な違反に対するもので、拘留判決となる人数は少ない。
禁錮の対象となるのは、政治犯や過失犯などで、執行猶予となるケースが多い。
そのため、拘置される受刑者のほとんどが、懲役を科せられた者となっている。
同居とは、同じ家に住むこと。
親族や恋人関係に限らず使う言葉だが、友達同士や他人同士が同じ家に住む場合は、「ルームシェア」と言って使い分けることもある。
同棲は同居と同じ意味で、同じ家に住むことを広く意味した言葉だが、現在では、主に婚姻関係にない男女が一緒に暮らすことをいう。
内縁は、事実上は夫婦関係にありながら、婚姻届を出していない男女の関係のこと。
一緒に暮らすことではなく、二人の関係を表す言葉である。
内縁関係と認められれば、法律上は、同居、協力、扶助義務、婚姻費用分担義務、日常家事債務の連帯責任、財産分与、貞操義務など、婚姻関係にある夫婦とほぼ同じ権利・義務がある。
ただし、氏の変更や、子の嫡出性の推定、配偶者としての相続権などは、内縁関係だけでは認められない。
また、婚姻関係にあれば、未成年であっても成年者として扱われる「成年擬制」があるが、内縁関係の場合は成年擬制の効果は生じない。
3年以上同棲(同居)をしていたら内縁関係が成立するといわれるが、3年はひとつの目安に過ぎない。
内縁関係が成立する要件は、当事者に婚姻の意思が認められることと、共同生活をしていることの2点。
3年以上同棲を続けていても、結婚する気がなければ内縁関係とは認められず、同棲期間が3年未満でも、当事者同士に婚姻の意志があり、第三者からも夫婦同然として扱われていれば、内縁関係と認められる。
単なる同棲や同居ではなく、内縁関係にあることを証明する方法としては、親族・友人・同僚などの証言があるが、一方が口裏を合わせていれば証明が難しい。
証明しやすい証拠としては、マンションの賃貸借契約書や住民票などの記載で、一緒に生活をしていることを残す方法である。
マンションの契約書であれば、「配偶者」や「内縁の妻」と記載すること。
住民票であれば、同一世帯として「同居人」と表記してもよいが、「妻(見届)」「夫(見届)」と表記すれば、更に認められやすくなる。
その他、結婚式を挙げるなど、誰の目から見ても夫婦同然といえる事実があれば、内縁関係にあるといえる。
食品衛生法やJAS法(日本農林規格法)などの規定により、加工食品の多くに「賞味期限」か「消費期限」のいずれかが表示されている(以前は「品質保持期限」もあったが、現在は「賞味期限」に統一)。
消費者が最低限知っておかなければならないことは、賞味期限と消費期限が表す意味の違いである。
賞味期限は、おいしく食べられる期限で、期限を過ぎたからといって食べられないという訳ではない。
消費期限は、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠くこととなるおそれがないと認められる期限で、期限を過ぎたら食べないほうがよい期限のこと。
どちらの場合も、定められた方法で保管し、開封前の状態の期限を表しているので、開封後は期限にかかわらず早めに食べたほうがよい。
賞味期限の対象となる食品は、スナック菓子やレトルト食品、缶詰、清涼飲料水など、品質が比較的劣化しにくいもの。
期限の表示の仕方は二通りあり、製造日から3カ月未満の食品には年月日、3カ月以上の食品には年月のみ記載される。
卵も賞味期限の表示対象で、生でおいしく食べられる期限を表しているため、状態によっては、期限を過ぎていても加熱調理すれば食べられる。
消費期限の対象となる食品は、弁当やパン、惣菜、生菓子など、5日前後で傷みやすいもの。
期限の表示は、年月日で記載される。
弁当や総菜などは、消費期限に時間まで記載されているが、食品衛生法やJAS法では「時間まで記載することが望ましい」としているだけで、義務としては年月日までとなっている。
加工食品でも、品質劣化が極めて少ない塩や砂糖などは、「消費期限」も「賞味期限」も表示義務がない。
アイスクリームもそのうちのひとつで、マイナス18度以下での冷凍保存状態であれば、微生物の繁殖がしにくく、品質劣化が極めて少ないため、賞味期限の表示対象外となっている。
自首とは、犯罪事実や犯人が誰かわかっていない段階で、犯人自ら捜査機関に対して犯罪事実を申告し、処分を求めること。
刑法に規定されている用語で、刑の軽減が考慮される。
取り調べ中に、まだ発覚していない別件の犯罪を自ら告白した場合も、自首に当たる。
出頭とは、犯罪事実や容疑者がすでに発覚している状態で、犯人自ら警察に出向くこと。
自ら出頭し逮捕されることは、刑の量定にあたるため、情状が考慮されることはある。
重要参考人として追われている場合も、「自首」ではなく「出頭」になる。
自首は法律用語であるが、出頭は法律用語ではない。
出頭という言葉は、犯罪に関する場面でよく耳にするため、警察に自ら出向くことを意味するように思われがちだが、警察に限らず、本人が自らある場所に出向くことを意味し、特に、役所・裁判所・警察など公の場に出向くことをいう。
ニュースでよく耳にする「重体」「重傷」「軽傷」は、治療を要する日数や症状の重さによる違いがある。
重傷は、命に別状はないが深い傷や重いケガをした場合で、全治30日以上要するものを指す。
軽傷は軽微で、全治30日未満のケガを指す。
「全治2カ月の重傷」はあっても、「全治2カ月の軽傷」はない。
「意識不明の重体」と言うように、重体は脳や内臓などに大きな損傷があるなど、重傷の中でも生死にかかわる場合に用いられる。
重体は生命の危機にあるため、「全治〇カ月の重体」とは言わない。
重傷ほどの治療期間は要しないが、軽傷と言えるほど軽くもない、重傷と軽傷の中間のケガは「中傷」という。
ただし、中傷は軽傷よりやや重い程度の症状なので、特に区別する必要ないことや、「誹謗中傷」と言うように、中傷は他人の名誉を傷つける意味の言葉であることから、ほとんどの場合は「中傷」を「軽傷」と呼んでいる。
警視庁は、「大阪府警察本部」や「神奈川県警察本部」など都道府県に置かれる「警察本部」と同等の組織で、東京都を管轄する都警察の本部である。
同等というのは組織図から見た場合の話で、警視庁と他府県警察本部では、規模も役割も大きく異なり、「東京都警察本部」ではなく「警視庁」と呼ばれる理由にも繋がる。
警視庁は、地方自治体としての東京都を管轄するだけでなく、日本の首都である東京都を管轄する首都警察としての役割がある。
首都警察としての役割には、皇族の警衛、立法府・行政機関・駐日大使館・総理大臣官邸等の重要施設の警備、 総理大臣等の要人の警護などがある。
また、東京都以外の警察本部トップを「警察本部長」と呼ぶのに対し、警視庁のトップは「警視総監」と呼ばれ、任免も内閣総理大臣の承認が要件となる。
警察庁は、消防庁などと同じ国の行政機関で、警視庁を含む全国の警察に関する諸制度の企画、予算の策定、他府県にまたがる広域犯罪の連絡や調整などを担当している。
保証人とは、他人の身元や債務を保証する人のこと。
債務に関する契約において保証人になった場合は、債務者が返済・支払い出来なくなると、保証人が債務者に代わって返済・支払いの義務を負うことになる。
ただし、連帯保証人の場合は債務者と同じ義務を負うが、一般の保証人は2つの権利に守られているため、連帯保証人に比べて一般の保証人の方が責任は軽い。
債務者が借金の返済を怠り、債権者が保証人に返済を求めてきた場合、一般の保証人のであれば次のような権利がある。
まず債務者に請求せよと主張できる「催告の抗弁権(民法452条)」。
債務者の財産について執行(差し押さえ)せよと主張できる「検索の抗弁権(民法453条)」。
連帯保証人には、この「催告の抗弁権」と「検索の抗弁権」の2つの権利がない。
連帯保証人は債務者と同じ立場で返済の義務を負い、債務者よりも先に財産を差し押さえられても文句が言えないため、一般の保証人よりも連帯保証人の方が責任が重いのである。
また、保証人が複数いる場合、全保証人の人数で割った額についてのみ支払いの義務が発生する「分別の利益(民法456条)」がある。
しかし、連帯保証人の場合は、「分別の利益」も適用されないため、保証人が複数いても、人数に関係なく各自が返済の義務を負うことになる。
このようなことから、世間では「保証人はともかく、連帯保証人にだけは絶対なってはいけない」と言われているのである。
テレビのニュースなどで、犯人が自ら警察に出向く行為を「自首」したという場合と、「出頭」したという場合があります。 この二つには次のような違いがあります。
自首とは
警察がまだ容疑者を特定できていない段階で「私が犯人です」と名乗り出る行為が「自首」です。
容疑者を特定できていない段階には、事件自体が発覚していない場合も含まれます。 ですから、犯行を犯した直後に自ら警察に出向くと「自首」という事になります。 また、犯行後一旦は逃亡し事件が発覚したが、警察がまだ容疑者を特定していない段階で名乗り出た場合も「自首」という事になります。
「自首」という行為は罪を悔いている事を行動で証明することになります。また事件の早期解決にもつながります。 その様な理由から、刑法上、「自首」し情状酌量の余地がある、と見なされた場合には減刑される可能性があります。 しかし、必ず減刑になるという訳ではありません。あまりにも酷い罪を犯した場合は「減刑の余地なし」と見なされる場合も十分にあり得ます。
出頭とは
「自首」とは異なり、警察が容疑者を特定し指名手配をかけた後、あるいは容疑者を既に絞り込んでいて「重要参考人」となっている者が警察に出向く場合を言います。 このような場合、自ら出頭したとしても刑が軽くなることはありません。
要するに!
・「自首」→容疑者が特定される前に名乗りでる
・「出頭」→容疑者が特定された後に警察に出向く
日本の裁判制度は「三審制」で、一審、二審の判決に不服である場合は異議を申し立てることが出来ます。 ニュースなどを見ていると、この異議申し立ての事を「控訴」する、または「上告」すると二つの言葉が使われています。 この「控訴」と「上告」には次のような違いがあります。
控訴とは
第1審に対して不服申し立てを行う場合は「控訴」といいます。
上告とは
第2審に対して不服申し立ての行う場合は「上告」といいます。
尚、「控訴」「上告」の他にも「上訴」という言葉がありますが、これは、1審、2審を問わず判決に対して不服を申し立てる行為の総称として用いることが出来ます。
要するに!
・「控訴」→第1審に対しての不服申し立て
・「上告」→第2審に対しての不服申し立て
捜査機関に対して犯罪事実を申告して犯人の処罰を求める事を、「告訴」する、または「告発」すると言います。 この「告訴」と「告発」には次のような違いがあります。
告訴とは
犯罪の被害者かその他一定の者が、捜査機関に犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示を行う事を告訴と言います。 その他一定の者とは、法により定められた親族および、法定代理人(弁護士)でこれを、「告訴権者」と言います。 また、犯罪の中には告訴権者の告訴が無い限り犯人を訴追できない場合もあり、これを親告罪と言います。
告発とは
犯罪の被害者ではない、第三者が捜査機関に犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示を行う事を告発と言います。
要するに!
・「告訴」→犯罪被害者による意思表示
・「告発」→第三者による意思表示
裁判官が刑を言い渡すとき、「懲役○年年」とする場合と「禁固○年」とする場合がある事をご存知ですか?。 刑法9条では、「懲役」と「禁固」を別の刑として定めています。この二つの刑には次のような違いがあります。
懲役とは
刑法12条2項には「懲役は、監獄に拘置して所定の作業を行わせる。」と定められています。 懲役刑は、監獄に拘置されるとともに刑務作業にを行わなくてはいけません。
懲役とは
刑法13条2項には「禁固は、監獄に拘置する。」と定められています。 禁固刑は、監獄に拘置される刑で、刑務作業を行う必要はありません。 ただし昼間に寝転がる行為禁は止されており、何もしないのはかえって苦痛なので、刑務作業を申しでる人も多いそうです。
要するに!
・「懲役」→拘置して所定の作業
・「禁固」→拘置のみ
ニュースなどの報道をみていると、事故などで重いけがをした事を「重体」と「重傷」という2つの言葉で表します。 この二つの言葉には次のような違いがあります。
重体とは
負傷の程度が極めて重く、命にかかわるような状態をいいます。このうち負傷者の意識が無い場合は「意識不明の重体」いいます。
重傷とは
負傷の程度は重いものの、命に係わるものではない場合です。概ね「全治1か月」程の怪我の場合に用いられます。 尚、病気の場合も「じゅうしょう」と言う言葉を用いますが、この場合は「重症」と書きます。
要するに!
・「重体」→命にかかわるようなけが
・「重傷」→命にかかわらないが重いけが
ニュースなどを見ていると刑事事件を起こしたと疑われている人物を「容疑者」呼んでいるのを耳にします。これと似たような言葉に「被疑者」という言い方もあります。 こちらは、映画やドラマや裁判などのシーンで用いられているのを聞いたことがあるのではないでしょうか。 被疑者と容疑者ほぼ同じ意味ですが、次のような理由により使い分けられています。
被疑者とは
被疑者はれっきとした法律用語で、裁判などでも用いられます。刑事事件の疑いがかかっている者のうち控訴が提起されていない者の事を言います。
容疑者とは
「容疑者」は「被疑者」と同じ意味で用いられますが、もう少し広く捜査対象となっている者の総称として用いられます。 主にマスコミの呼び方で、「被疑者」という呼びかたが「被害者」と似ていることから、聞き間違えを起こさないように「容疑者」と報道するようになったという説もあります。
要するに!
・「被疑者」→法律用語、疑いがかかっている者のうち控訴が提起されていない者
・「容疑者」→マスコミ用語、事件の捜査対象となっている者
テレビでニュースなどを読み上げる人をアナウンサーと言いますが、同じような役割を持つキャスターと呼ばれる人もいます。 この二つの名称には次のような違いがあります。
アナウンサーとは
基本的にテレビ局に所属し、ニュースの原稿等を読み上げる専門職です。 アナウンサーの仕事はニュースの原稿読みだけでなく、バラエティー番組の司会、VTRのナレーション、スポーツの実況など多岐にわたります。
キャスターとは
報道番組においてニュースを紹介しながら番組を進行する役割の人です。キャスターはニュースの原稿を読むだけでなく、自分の考えや意見を述べて番組を進行します。 アナウンサーが職業であるのに対し、キャスターは番組における役割の事を指しています。 そのため、タレントやジャーナリストなど様々な職業の人がキャスターを務めることがあります。もちろん、アナウンサーがキャスターを務めることもあります。
要するに!
・「アナウンサー」→テレビ局に所属し、ニュースの原稿等を読み上げる職業
・「キャスター」→報道番組において番組を進行する役割の人
テレビやラジオなどの道路交通情報、或はカーナビの交通情報を聞いていると「渋滞しています」と言う場合と「混雑しています」という場合があるのをご存知でしょうか? どちらも自動車などの移動速度が遅くなった状態を意味しますが、「渋滞」と「混雑」の違いは、日本道路交通情報センターによって明確に定義されています。
渋滞とは
日本道路交通情報センターでは、1時間の平均速度が、一般道路では10km/h以下、都市高速道路では20km/h以下、高速道路では40km/h以下、と定義されています。 道路の種類によって速度の定義が違いますので、一般道路、高速道路が共に渋滞している場合でも高速道路の方が速度が速い可能性があります。
混雑とは
日本道路交通情報センターでは、1時間の平均速度が、一般道路では20km/h以下、都市高速道路では40km/h以下と定義されています。尚、高速道路に「混雑」の定義はありません。 「遅い」が渋滞、「やや遅い」が混雑と覚えておくと良いでしょう。
要するに!
・「渋滞」→一般道路で10km/h以下、都市高速道路で20km/h以下、高速道路で40km/h以下
・「混雑」→一般道路で20km/h以下、都市高速道路で40km/h以下
漢字には「港」と「湊」の表記があるが、一般には「港」が使われ、「湊」を使うと古風な印象を与える。
「港」の「巷」は、町や村の通路を表す漢字である。
その「巷」に「水」を加えた「港」は、元は船の通る「水路」を表し、船が発着する場所という意味はなかった。
「湊」の「奏」は、お供え物を集めて神様に差し出す様子を表した漢字で、多くの物が集まるという意味がある。
その「奏」に「水」を加えた「湊」は、船が集まる場所。「みなと」を表していた。
つまり、船の発着する場所は本来「湊」と書いていたが、水路を意味した「港」がその意味でも使われるようになり、「港」と表記することが一般的となったため、「港」よりも「湊」の方が古めかしい印象を与えるのである。
そのため、「昔は港町として栄えた」よりも、「昔は湊町として栄えた」と書いた方が、現在は港町ではないことを強調し、古風で素朴な印象を与えることになる。
ただし、古風な場合でも「港」を使うことが多く、「湊」は地名以外で使われることが少ないため、特に使い分けを意識せず「港」と書いておけば間違いない。
地域や建物によって、敷く畳のサイズに違いがあり、京間、中京間、江戸間、団地間の順に畳のサイズは小さくなる。
畳のサイズに違いがあるのは、柱間の寸法に違いがあるため。
柱間の寸法に違いがあるのは、それぞれの地域で気候や風土、生活様式に合わせて家が建てられたためである。
江戸間は、関東での使用が多く、東北地方の一部、北海道、三重県伊勢地方でも使用されている。
江戸間の畳のサイズは、5尺8寸×2尺9寸(176cm×88cm)の1.5488平米。江戸間の6帖は、9.2928平米である。
江戸間は、関東間や田舎間、五八間、狭間などとも呼ばれる。
京間は、主に近畿・中国・四国・九州で使用される。
京間の畳のサイズは、 6尺3寸×3尺1寸5分(191cm×95.5cm)の1.82405平米。京間の6帖は10.9443平米である。
京間は、本間や関西間とも呼ばれる。
中京間は、主に愛知・岐阜県の中京地方で使用されるほか、福島・山形・岩手の東北地方の一部、北陸地方の一部、沖縄、奄美大島で使用される。
中京間の畳のサイズは、6尺×3尺(182cm×91cm)の1.6562平米。中京間の6帖は9.9372平米である。
中京間は、三六間とも呼ばれる。
団地間は、公団住宅・アパート・マンション等、集合住宅の大半が団地間である。
団地間の畳のサイズは、5尺6寸×2尺8寸(170cm×85cm)の1.445平米。団地間の6帖は8.67平米である。
団地間は、公団間や公団サイズ、五六間とも呼ばれる。
その他、六一間や六二間と呼ばれるサイズもある。
六一間は、広島や岡山などの山陰や近畿の一部で使われるサイズで、6尺1寸×3尺5分(185cm×92.5cm)の1.71125平米。6帖は10.2675平米。安芸間や広島間とも呼ばれる。
六二間は、佐賀や長崎などの九州地方の一部で使われるサイズで、6尺2寸×3尺1寸(188cm×94cm)の1.7672平米。6帖は10.6032平米。佐賀間とも呼ばれる。
物を保管する建物の「くら」には、「倉」「蔵」「庫」の三種類の漢字表記がある。
元々の意味を辿ると、「倉」は穀物を貯えておく場所。
「蔵」には「隠す」の意味があり、大切にしまっておく場所。
「庫」は兵器を入れておく兵器庫である。
現在では、明確な違いがなくなっているが、元々の意味の違いから、次のように使い分けされる傾向にある。
「倉」と「庫」は、製品を保管する倉庫。
「庫」を「くら」と読むことは少ないため、「倉」に集約されており、「倉」は穀物などを保管する場所であったため、それほど頑丈ではない建物に対して使われる。
「蔵」は「蔵屋敷」「酒蔵」など、土壁で造られた古風な土蔵や、大切なものを保管する場所であったことから、重厚で頑丈な建物に対して使われる。
また、現在で「くら」といえば、頑丈で立派な建物を思い浮かべるため、「倉」よりも「蔵」が使われることの方が多い。
高速道路の休憩施設には、サービスエリアとパーキングエリアがある。
パーキングエリアよりもサービスエリアの方が規模が大きく、充実した施設のイメージがあるが、イメージ通りの違いとはなっていない。
サービスエリアは、おおむね50kmおき(北海道は80kmおき)に設置され、休憩所、駐車場、トイレ、売店、レストラン、ガソリンスタンドが備わっている。
パーキングエリアは、おおむね15kmおき(北海道は25kmおき)に設置され、駐車場、トイレ、必要に応じて売店が備わっているのが一般的な形となっている。
多くのサービスエリア・パーキングエリアは、上記のような施設となっているが、国土交通省の説明でも「一般的には」としているように、必ずしも全てのサービスエリア・パーキングエリアにいえることではなく、利用状況に応じて設備や規模は異なり、明確な定義・違いがあるわけではない。
サービスエリアの中にも、駐車場のほかに、トイレと売店のみ、トイレと自販機のみというところもあり、レストランが併設されたパーキングエリアもある。
また、刈谷パーキングエリアのように、フードコート・温泉・観覧車といった施設を有するハイウェイオアシスに連結したパーキングエリアもある。
専修学校は、小中高校・大学・高等専門学校(高専)・盲学校・聾学校・養護学校・幼稚園など、学校教育法第一条に規定される学校以外の教育施設で、修業年限が1年以上、昼間課程の年間授業時間が800時間以上、夜間課程の年間授業時間が450時間以上、常時40名以上の生徒を収容しているなど、一定の基準を満たし、所轄庁である都道府県知事の認可を受けた教育施設。
専修学校の課程は、中学校(準ずる学校を含む)を卒業した者を対象とする高等課程、高等学校(準ずる学校を含む)を卒業した者を対象とする専門課程、その他の一般課程に分類され、専門課程を置く専修学校が「専門学校」である。
各種学校は、上記専修学校の基準は満たさないが、学校教育に類する教育を行う施設で、認可を受けたもの。
各種学校には、自動車教習所、洋裁学校、理容学校、美容学校、料理学校、珠算学校、予備校などがある。
ただし、一部の大学受験予備校(河合塾や駿台予備学校など)は、専修学校の一般課程として認可を受けている。
大きく分類すると、建物自体を強く頑丈にした「剛」の「耐震」と、振動を軽減させる「柔」の「免震」「制震(制振)」に分かれる。
「免震」と「制震(制振)」は、揺れを軽減する仕組みに違いがあり、「制震」と「制振」の構造は同じものを指すが、使用場面によって用いられる漢字が異なる。
耐震構造とは、耐力壁などの強固な部材や筋交いなどにより、建物の強度を高め、地震の揺れに抵抗できるようにした構造。
耐震構造の場合、建物自体は衝撃に耐えうる強固なものとなるが、揺れ自体を軽減する訳ではないため、大きな地震の場合は、柱・梁・壁などの損傷や家具の転倒は避けられない。
免震構造とは、建物と地盤の間に積層ゴムやダンパーなどの装置を入れて絶縁し、地震による振動が建物に伝わるのを軽減する構造。
免震構造の建物は、揺れを大幅に軽減させることができ、家具の転倒などもほとんどなくなるが、他に比べてコストが高く、軟弱な地盤では使用できないというデメリットがある。
また、建物と地盤を絶縁しているため、強力な台風や竜巻による倒壊や、津波などで押し流される可能性もあるといわれる。
制震構造とは、建物の要所にダンパーを設置することで、振動を吸収し、建物の揺れを軽減する仕組みの構造。
免震構造ほどの効果はないが、建物の一部に可動部分を設けて揺れを吸収するため、ある程度の二次災害は回避でき、コストも免震ほど高くない。
「制震」は「地震を制する」という意味、「制振」は「振動を制する」という意味で、この構造は地震に限らず、新幹線や大型トラックの通過などの振動を軽減することが目的であるため、近年は「制振」が多く用いられるようになってきたが、地震対策の用語として「耐震」や「免震」との比較がしやすいため、「制震」を用いる民間企業も多い。
なお、日本建築学会では、「制振」を正式な用語としている。
ベランダとは、建物の外に張り出した屋根付きのところのこと。
広さにもよるが、屋根があるため、雨の日でも洗濯物を干すことができる。
バルコニーとは、2階以上の室外に張り出した屋根のない手すり付きのところのこと。
下階の屋根部分を利用したものは、「ルーフバルコニー」と呼ぶ。
テラスとは、建物の1階から突き出した部分のこと。
古フランス語で「盛り土」を意味する言葉に由来するため、コンクリートや煉瓦、敷石などを敷きつめた台状になっており、地面より高く、屋内の窓や扉と繋がっている。
ベランダとバルコニーの違いは、屋根の有無。バルコニーとテラスの違いは、1階か2階以上かの違いなのではっきりしているが、問題は1階の部屋から外に張り出し、屋根が付いているスペースは、「ベランダ」なのか「テラス」なのかである。
本来、ベランダに階数は関係なく、テラスは屋根のないスペースをいうため、1階の屋根付きスペースは「ベランダ」というのが正しいが、日本では「ベランダ」と呼ぶ場合と、「テラス」と呼ぶ場合がある。
一軒家で和風であれば、「ベランダ」ではなく「縁側」と呼び、2階以上を「ベランダ」と呼ぶ。
洋風になると、1階で屋根が付いていても「テラス」と呼ぶ。
マンションなど集合住宅の場合は、屋根がない場合に「テラス」、屋根が付いている場合に「ベランダ」と呼ぶことが多い。
また、「ルーフテラス」や「屋上テラス」という言葉もあるように、本来は「バルコニー」と呼ばれるような2階以上のスペースを「テラス」と呼ぶことがある。
屋根の有無や階数に関係なく「テラス」が用いられるのは、洋風でテーブルや椅子を置ける比較的広いスペースというイメージがあるためで、本来は誤った使い方である。
遺跡は、貝塚・古墳・集落跡など、過去の人類の営みが残された場所や、昔の建物や歴史的事件があった場所など、広い範囲で使われる言葉である。
遺跡に含まれる範囲は広いため、遺跡は日本全国に46万カ所以上あり、貝塚だけでも3千カ所以上、古墳や横穴墓は15万カ所以上あるといわれる。
史跡は、一般には、遺跡の中でも歴史的事件と関わりの深い場所や建物・遺構を指す。
文化財保護法では、一般に史跡と考えられるもののうち、特に歴史上・学術上価値が高いと認められ、保護が必要であると、国及び地方公共団体が指定したものを指す。
国の指定する史跡数は現在1,694件で、貝塚遺跡の数よりも少ない。
史跡の中でも、特に重要とみなされ、日本文化の象徴とされるものは、特別史跡に指定される。
日本の特別史跡は、現在61件指定されている。
マンションは中高層の集合住宅で、アパートは低層の集合住宅というイメージだが、建築基準法でも宅地建物取引業法でも、マンションとアパートを区別する規定はない。
明確な定義がないため、オーナー(大家)は自由に名称をつけることができるが、不動産屋が入居者を募集する際は、あまりにも世間一般の認知と異ならないよう、建物の構造で分類されていることが多い。
不動産業界の主な分類では、木造・プレハブ造・軽量鉄骨造の準耐火・低層(おおむね2階建てまで)物件を「アパート」と呼び、鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC)、鉄筋コンクリート造(RC)、鉄骨造(ALC)の耐火構造・中高層(おおむね3階建て以上)物件を「マンション」と呼んでいる。
上記のような構造上、マンションはアパートよりも耐震性・耐火性に優れ、生活音もしにくいというメリットがある。
アパートよりマンションの方がセキュリティ面も充実しており、オートロックや防犯カメラが付いたマンションも多い。
アパートのメリットとしては、家賃・管理費・共益費が安いという点が挙げられる。
かつては、分譲住宅にも「アパート」の呼称は用いられたが、現在、賃貸住宅と分譲住宅の両方に用いられる呼称は「マンション」である。
国立公園は、日本の景勝地の中でも特に傑出した地として、指定された自然公園。
自然公園法に基づき、環境大臣が指定し、原則として国(環境省)が管理する。
国定公園は、国立公園に準ずる景勝地として、指定された自然公園。
自然公園法に基づき、環境大臣が指定することは国立公園と同じだが、国定公園は都道府県が管理する。
自然公園法では、国立公園が世界に誇りうる傑出した自然の風景、国定公園はそれに準ずる風景が指定の要件となっているが、どちらに指定されるかの基準は曖昧で、景色が変わった訳でもないのに、国定公園から国立公園に編入されることもある。
基準ではいが、傾向としては、国定公園は国立公園よりも狭いものが多い。
ちなみに、都道府県立自然公園は、国定公園には入らないものの、都道府県の風景を代表する自然公園。
自然公園法に基づいた都道府県の条例に基づくもので、都道府県知事が指定し、都道府県が管理する。
国営公園は、都市公園法の要件を満たしている都市計画施設としての公園または緑地。
国立公園や国定公園とは大きく異なり、自然公園ではなく都市公園で、国土交通大臣が設置し、国(国土交通省)が維持・管理するものである。
国民公園は、国(環境省)が設置・管理する公園で、都市公園・自然公園以外のもの。
国民公園は皇居外苑・新宿御苑・京都御苑の3カ所だが、「国民公園等」といった場合は、千鳥ケ淵戦没者墓苑・戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地が含まれる。
大学は、文部科学省が管轄する学術研究および教育の最高機関で、学校教育法に基づいて設置される。
学部の修業年限は、原則として4年だが、2年・3年の短期大学や、医学部医学科や薬学部薬学科など6年制課程の学科もあり、教育課程に応じて、短期大学士・学士・修士・博士・専門職学位などの学位授与を行う。
一般には、短期大学や大学院と区別され、卒業時に学士の学位が授与される課程を指して「大学」という。
大学校は、文部科学省が管轄する機関ではなく、学校教育法に基づいた大学とは異なる施設で、教育訓練施設などの名称として用いられる。
「大学」という名称の使用は学校教育法で規定されているが、「大学校」には規定する法律がなく、どのような施設でも「大学校」と名乗ることができる。
そのため、さまざまな大学校が存在するが、大学と比較していう際の「大学校」は、省庁などの行政機関が、幹部養成や専門の技術・知識の研修のために設置した施設を指す。
大学校は大学ではないため、基本的に学位の授与はないが、防衛省の防衛大学校、防衛医科大学校、海上保安庁の海上保安大学校、気象庁の気象大学校など、その課程が大学の学士課程や大学院の修士課程・博士課程などと同水準であることが、文部科学省管轄の独立行政法人大学評価・学位授与機構に認定された大学校であれば、学位の取得も可能である。
学位が授与されない大学校でも、修業年限や教育内容も大学とほぼ同じで、大学卒業者と同様の資格・受験資格が与えられる大学校もある。
また、防衛大学校、防衛医科大学校など国が設置する一部の大学校は、入学者の身分が「学生」ではなく「国家公務員」となるため、学費が無料になるだけでなく、給料も支給される。
ゴルフ場の名称に付く「ゴルフクラブ(GC)」と「カントリークラブ(CC)」には明確な違いがあるが、アップダウンの多いコースと少ないコースの違いや、メンバーシップコースとパブリックコースの違いといったものではない。
ゴルフクラブは、その名の通り、ゴルフをプレーするための施設。
カントリークラブは、ゴルフコースに限らず、テニス・水泳・乗馬・保養などの施設を設けたクラブのことである。
名称に「カントリークラブ」が付いているのに、ゴルフコース以外の施設といえば、ショップやクラブハウス、練習場ぐらいしかないと思われるかもしれないが、この違いはあくまで海外の話。
カントリークラブは、アメリカで、田園生活を楽しむ都会人のために、郊外に設けられた複合型レジャーリゾート施設のこと。
これを日本ではゴルフ場の名称として使ったため、カントリークラブなのにテニスや水泳ができない、ゴルフをするだけの施設になったのである。
アメリカのカントリークラブが郊外にあることから、日本では、郊外のゴルフ場の名称に付けられることが多いともいわれるが、「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」のどちらを使うかは、ゴルフ場次第。
そのため、日本に限った話ならば、ゴルフクラブとカントリークラブに違いはないといってよい。
幼稚園は、学校教育法で定める学校の一つで、文部科学省が所管している。
満3歳から小学校に就学するまでの幼児を教育するための施設で、先生は都道府県の教育委員会が発行する幼稚園教諭の免許が必要となる。
保育園は、児童福祉法に基づく施設で、厚生労働省の所管。
児童福祉法では「保育所」が正式名称で「保育園」は通称であるが、世間では、施設面積が広いところを「保育園」、狭いところを「保育所」としたり、公立を「保育所」、私立を「保育園」と呼び分けられることがある。
保育所は、保護者が労働・疾病などの理由で保育できない0歳から小学校入学前までの乳幼児を保育するための施設で、先生は国家資格である保育士資格が必要となる。
「保育園」や「保育所」という名称は、認可を得ていないものが使用してはならないという法律がないため、保育所(保育園)の中には無認可の施設もある。
託児所は、乳幼児を預かり、保育する施設のこと。
デパートやイベント会場のキッズスペースといった、一時的に乳幼児を預かる施設から、保育所のような継続的に預かる施設まで幅広く指す。
無認可保育施設の託児所が、「保育所」や「保育園」の名称を用いるケースも多い。
幼稚園と保育所の施設や運営を一元化させようとする動きもあり、教育と保育を総合的に提供する施設「認定こども園」の制度が、2006年から開始されている。
医療法で医療機関は、病院と診療所に分けられる。
医院やクリニックは、医療機関の施設に付けられる呼称(屋号)で、医療法で特に規制されていないため、「病院」「診療所」のどちらでも使用可能であるが、一般に「医院」や「クリニック」が付いているところは診療所であることが多く、診療所と医院とクリニックは同じと考えてよい。
医療法で、病床数20床以上の入院施設をもつものを「病院」、無床もしくは病床数19床以下の入院施設をもつものを「診療所」という。
病院には医師・看護師・薬剤師などの最低配置人数に規制があるが、診療所には医師1名のほかに人数の規制はされていない。
建築基準法により、病院は第一種低層住居専用地域・第二種低層住居専用地域・工業地域・工業専用地域に設置できないが、診療所は条例等で特別の定めがない限り、用途地域の別に関わらず設置が可能である。
警視庁は、「大阪府警察本部」や「神奈川県警察本部」など都道府県に置かれる「警察本部」と同等の組織で、東京都を管轄する都警察の本部である。
同等というのは組織図から見た場合の話で、警視庁と他府県警察本部では、規模も役割も大きく異なり、「東京都警察本部」ではなく「警視庁」と呼ばれる理由にも繋がる。
警視庁は、地方自治体としての東京都を管轄するだけでなく、日本の首都である東京都を管轄する首都警察としての役割がある。
首都警察としての役割には、皇族の警衛、立法府・行政機関・駐日大使館・総理大臣官邸等の重要施設の警備、 総理大臣等の要人の警護などがある。
また、東京都以外の警察本部トップを「警察本部長」と呼ぶのに対し、警視庁のトップは「警視総監」と呼ばれ、任免も内閣総理大臣の承認が要件となる。
警察庁は、消防庁などと同じ国の行政機関で、警視庁を含む全国の警察に関する諸制度の企画、予算の策定、他府県にまたがる広域犯罪の連絡や調整などを担当している。
賃貸契約で借りる住居の名称としてよく使われているのが、「マンション」と「アパート」。 実はこの2つにの名称に明確な規定はありません。 しかし、一般的な認知を基準に不動産業界などでは「マンション」と「アパート」を次のような基準で決めています。
マンションとは
主に鉄骨(S)、鉄筋コンクリート(RC)、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)で、各部屋を住居として賃貸契約、または個別に販売する目的の建物です。
アパートとは
主に木造や軽量鉄骨造の2階建てまたは平屋で、各部屋を住居として賃貸契約する目的の建物です。
要するに!
・「マンション」→3階建て以上で木造や軽量鉄骨造以外。
・「アパート」→木造や軽量鉄骨造で2階建て以内。
古くなった家屋を手直ししたり、間取りを変えてより使いやすくすることをリフォームと言います。 このリフォームは大きく分けると「増築」「改築」「改装」「修繕」があります。それぞれ次のような違いがあります。
増築とは
建物の延べ床面積を増やす場合を言います。既存の建物を基礎部分から広げたり、平屋を2階建てにするなど床面積を増やす事を増築といいます。
改築とは
床面積を変えずに間取りの変更を行う事を言います。 トイレや、バスルームの位置を変更したり、2つの部屋を合わせて1つの大きな部屋にするなど、様々な変更が考えられますが、床面積が変わらないところがポイントです。
改装とは
延べ床面積も間取りも変更せず、内外装を改めることを言います。クロスの張替、ペンキの塗り替え、また畳みの部屋をフローリングにする場合などの工事がこれにあたります。
修繕とは
これは壊れた部分を直すという場合に用います。家屋の場合は、雨漏り、水漏れ、建具の立てつけ、老朽化に伴う設備の交換などが含まれます。
要するに!
・「増築」→延べ床面積を増やす工事。
・「改築」→床面積を変えず間取を変更する工事。
・「改装」→床面積も間取りも変えず内外装を改める工事。
・「修繕」→老朽化を含め壊れた部分を直す工事。
日本では、土地や建物の区分の表記方法として「地番」と「住居表示」の2種類があります。 例えば、手紙や宅配を出すときは「住居表示」。登記所、法務局などで手続きをする時は「地番」書きます。 この2つには次のような違いがあります。
地番とは
土地の一筆(土地を数える単位)ごとにつけられた番号のことです。地番の表記は、市、区、町、村、字に当たる地域によって地番区域が定められています。
登記情報の取得や税金などの法的な手続きや不動産売買等では地番が用いられます。
住居表示とは
建物を町名、街区符号、住居番号で表したものです。住居表示の番号は建物につけられたものですから、建物のない土地には関係ありません。 また、建物は土地をまたいで建設される場合もありますので、基本的にその建物の出入り口が接したところの基礎番号が使われています。
一般的に「住所」というと、「住居番号」の事を言い、手紙や宅配を出すときや、身分証明の記入等にはこちらが用いられます。
要するに!
・「地番」→土地の一筆ごとにつけられた番号
・「住居表示」→建物を町名、街区符号、住居番号で表したもの
家屋等の建物を、改装したり修繕したりすることを「リフォーム」と言いますが、最近は「リノベーション」という言葉もよく聞きます。 この2つには次のような違いがあります。違いがあります。
リフォームとは
老朽化した建物を新築の時のような状態に戻す事を言います。 壁紙など内装の張り替え、外部の塗装、瓦の取り換え、トイレやバスルームの設備の取り換えなど多岐にわたりますが、基本的には老朽化して壊れたり、汚れたりしている部分の回復を目的としています。
リノベーションとは
機能回復にとどまらず、新築の時よりも性能を向上させたり、価値を高めたりすることを目的としています。現代的なスタイルに合わせて間取りや内外装を変更したり、最新の設備を取り付けたりします。 例えば、リビングをキッチンをつなげてリビングダイニングキッチンにしたり、畳の部屋をフローリングにして洋風にしたり、オール電化住宅にしたりするのは、リノベーションに当たります。
要するに!
・「リフォーム」→老朽化した建物の機能回復
・「リノベーション」→建物の性能や価値の向上
不動産物件のチラシ等を見ると、「ベランダ付」や「バルコニー付」と書いてある物をよく見かけます。 両者とも、洗濯物を干したりできる屋外のスペース、と言うイメージではありますが、厳密には次のような違いがあります。
ベランダとは
窓やドアなどによって隔てられた屋外のスペースで、屋根付きのものをベランダと言います。 屋根はベランダ部用として設けられている場合と、家の屋根の軒部分がベランダの屋根となっている場合など様々ですが、屋根が付いているものを通常ベランダと呼びます。
バルコニーとは
窓やドアなどによって隔てられた屋外で、手すりによって囲まれたスペースです。ベランダとの違いは屋根が無いことです。 通常のバルコニーは建物から外に張り出して作りますが、下の階の屋根の部分を利用したものもあり、これをルーフバルコニーと言います。
要するに!
・「ベランダ」→窓やドアから出入りできる屋外の屋根付きスペース
・「バルコニー」→屋外の手すりによって囲まれた屋根のないスペース
建築現場でよく使われる「セメント」「モルタル」「コンクリート」。どれも聞き覚えのある言葉ですよね。 そう、水と練り合わせて、乾くと固まるアレですね。昔から現在まで様々な建築物に使われています。 さて、そんな「セメント」「モルタル」「コンクリート」ですが、どこがどう違うのか気になったことはありませんか? これら3つの違いについて解説したいと思います。
セメントとは
「コンクリート」や「モルタル」を作るための材料です。 主原料は石灰石、粘土、けい石、酸化鉄原料などで、水分を入ると化学反応で硬化します。 その性質を生かして、「コンクリート」や「モルタル」を作ります。
モルタルとは
主に「セメント」と砂と水を練り合わせた建築資材です。練り合わせた直後のものも、硬化した状態のものも「モルタル」といいます。 「モルタル」には、石などが入っておらず、目が細かいので主にレンガやブロックの目地、壁などの表面の仕上げに使われます。
コンクリートとは
「セメント」に砂と骨材(砕石など)を入れ、水で練り合わせて硬化させたものです。 硬化する前の状態は「生コンクリート(生コン)」と言ったり「フレッシュコンクリート」と呼ばれます。 骨材が入るため「モルタル」に比べて強度が高くなり、土木・建築に幅広く使用されています。
要するに!
・「セメント」→「コンクリート」や「モルタル」を作るための材料です。
・「モルタル」→「セメント」と砂と水を練り合わせた建築資材
・「コンクリート」→「セメント」に砂と骨材を入れ、水で練り合わせて硬化させたもの
長さを測る時に用いる、目盛が振ってある測定器具を「メジャー」と言いますが、同じものが「スケール」と呼ばれているのを聞いたことはありませんか? どちらも同じ、いわゆる「物差し」の事を指しているのですが、二つの名称はその由来に違いがあります。
メジャーとは
長さを測るために用いる、目盛を振った帯状の測定器具の総称です。 英語で「measure」 は、動詞では「測る、測定する」という意味があり、名詞では「測定器具、計量器、物差し」といった意味があります。 日本では、特に長さを計るための道具全般をメジャーと言います。
スケールとは
「スケール」は「メジャー」の別名で、基本的にはメジャーと同じものを指して使います。 「スケール」の由来は、製図の際に「三角スケール」と呼ばれる縮尺定規を用いることがあり、建築現場などを中心に、定規や巻尺を「スケール」と呼ぶようになったと考えられています。 ですから、建築士や職人さんの間では現在も「メジャー」より「スケール」という名称が多く使われています。
要するに!
・「メジャー」→長さを測るために用いる、目盛を振った帯状の測定器具全般
・「スケール」→「メジャー」の別名で建築現場を中心に使われる名称
家に塀や外壁などに使われる建築資材に、ブロックとレンガがあります。少し昔は、ブロックと言えばセメント色の立方体で、3つの穴で中が空洞になっている物、 またレンガと言えば赤茶色の立方体でブロックの4分の1程のサイズの物が主で、まず間違う事はありませんでしたが、近年はブロック、レンガ共に様々な色、形、大きさの物があり どれが、ブロックでどれがレンガなのか区別がし辛くなってきています。この二つには次のような明確な違いがあります。
ブロックとは
セメント、砂、砂利、水などを混ぜて型に入れて成型し、乾燥して凝固させた建築資材です。正式には「建築用空洞コンクリートブロック」と言いますが、一般的には「ブロック」と略して呼ばれます。 サイズはJIS規格で定められており、高さ190mm、長さ390mm、厚さ100?200mmで、鉄筋を配筋するための穴や溝が設けられています。 建築現場では、建物や機械等の基礎、塀や外壁等下地、内装の間仕切りに使用されます。また、比較的安価で手に入ることから、一般家庭でも、踏台や車止めにしたり、重石に使用したりと使用目的は多岐にわたります。
最も、スタンダードなものは、鉄筋を縦に入れる構造のもので、「並(ナミ)」と言い、鉄筋を横に入れる構造のものを「横(ヨコ)」、塀などの一番端に積めるよう角が平らになっているものを「コーナー」といいます。 スタンダードなもの以外にもブロック壁やエクステリア用に表面にデザインが施された化粧ブロックと呼ばれるものがあります。
さらに広い意味では、海岸に設置する消波ブロックや、道路の縁石ブロックなども含めて「コンクリートブロック」と称しますので、色、形、大きさはで一括りにはできません。 では、ブロックの定義は何なのでしょう?一言で言ってしまうと「コンクリート製」つまり、原料にセメントが使われているという事になります。
レンガとは
粘土、土、石などを混ぜて型に入れて成型し、窯などで焼き固めた建築資材です。 漢字では「煉瓦」と書き、瓦(カワラ)等と同じ、いわゆる「焼き物」です。日本における基本的サイズはJIS規格で高さ100mm、長さ210mm、厚さ60mmと定められています。しかし海外製のものや、JIS規格外のものを合わせると、様々なサイズのレンガがあります 主な用途は、建築物の塀や壁、また耐火性に優れれていることから、焼却炉や石窯などに用いられます。また、ブロックよりもアンティークな雰囲気を出せることからガーデニングなどに広く用いられています。
要するに!
・「ブロック」→セメント、砂、砂利、水を混ぜて成型し凝固させた建築資材。
・「レンガ」→粘土、土、石などを混ぜて成型し、焼き固めた建築資材。
春の七草とは、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏の座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)の7種。
この野菜を刻んで入れたお粥を「七草粥」といい、一年の無病息災を願って1月7日に食べられる。
秋の七草とは、萩(はぎ)・尾花(おばな)・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗(ききょう)の7種。
秋の七草は春の七草のように、食べたり何かの行事をするものではなく、秋を代表する草花で、観賞するものである。
春の七草は、年初に芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習に由来し、中国の「七種菜羹(七種の野菜の汁物)」と合わさって、1月7日に七草粥を食べるようになったといわれる。
秋の七草は、万葉集で山上憶良が詠んだ「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」と「萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花」の2首の歌が由来といわれる。
歌の中で「朝貌」とあるのは、桔梗の説が有力とされるが、朝顔・木槿(むくげ)・昼顔などの説もある。
鏡開き」と「鏡割り」は、正月に供えた鏡餅を下げて食べる行事のこと。
江戸時代の武家社会で、男子は具足に供えた具足餅、女子は鏡台に供えた鏡餅を手や木槌で割って食べたことに由来する。
刃物で切らず、手や木槌で割り砕くのは、切腹を連想させるためである。
「鏡割り」という言葉は、鏡餅を割って食べることからだが、「割る」という言葉も縁起が悪いため、忌み詞として「開き」を使い、「鏡開き」というようになった。
縁起の悪いことに使うことがない言葉なので、「鏡割り」よりも「鏡開き」を使うのがよい。
祝宴などで酒樽の蓋を木槌で割って開くことは、「鏡抜き」「鏡開き」「鏡割り」という。
「鏡」は酒樽の上蓋を「鏡」と呼んでいたことに由来し、酒樽の蓋を開くことは「鏡を抜く」と言っていたので、本来は「鏡抜き」と呼ぶのが正しい。
しかし、「抜く」は語感が悪いとされることもあり、鏡餅と同様、「割る」では縁起が悪いため、「開き」を使って「鏡開き」と呼ぶようになった。
報道などで酒樽を木槌で割って開くことを表す際、「鏡抜き」では語感が悪いと言われ、「鏡開き」では正しくないと言われるため、「酒樽を開ける」「四斗樽(しとだる)を開ける」といった表現をすることが多い。
お年玉とお年賀の由来(起源)は同じである。
日本では古くから、新年になると歳神様が降りてくると信じられており、門松などの正月飾りをつけ、鏡餅を供えていた。
供えた餅は「御歳魂(おとしだま)」といって、家族に分け与えたり、年始の挨拶訪問をする際の手土産としていた。
家族へ分配していたものが、現在では「お年玉」となり、挨拶訪問の手土産にしていたものが「お年賀」になったのである。
お年玉は、親から子、祖父母から孫、上司から部下、雇い主から使用人というように、目上の者が目下の者に渡す金品で、ポチ袋に入れた現金であることが多い。
お年賀は、お年玉とは反対に、目下の者が目上の者に対して渡す金品である。
家族の場合は現金のこともあるが、日ごろお世話になっている方へ渡す場合は品物である。
お年玉は目下の相手に渡すものなので、特にマナーを意識する必要はないが、お年賀は目上の相手に渡すものなので注意が必要となる。
お年賀は、品物を贈ることが本来の目的ではなく、年始の挨拶のついでに渡す手土産なので、手渡しするのが原則である。
また、1月1日~3日までの三が日に渡すのが基本だが、三が日は都合が合わないことも多いため、松の内(地域により異なるが普通は1月1日~7日まで)に渡すとよい。
松の内を過ぎてしまった場合は、熨斗に「お年賀」と書くのではなく「寒中御見舞」と書く。
キリスト教で歌われる宗教歌を英語では「Hymn」と呼ぶが、日本では「聖歌」と「讃美歌」に呼称が分かれる。
この呼称の違いは、教派やグループによる違いである。
「聖歌」と呼ぶ主な教派やグループは、東方教会(正教会・東方諸教会)、カトリック教会、聖公会、プロテスタント諸派の中の日本福音連盟など。
「讃美歌」と呼ぶのは、プロテスタント諸派の中の日本基督教団などである。
なお、「讃美歌」と呼ぶプロテスタント系の宗派でも、合唱団のことは「聖歌隊」と呼び、「讃美歌隊」とは呼ばない。
また、「讃美歌」を「賛美歌」とも表記するのは、「讃」が常用漢字表外のためで、正しくは「讃美歌」である。
二期作とは、同じ耕地で同じ作物を1年に2回栽培し、収穫すること。
二毛作とは、同じ耕地で1年に2種類の異なる作物を栽培し、収穫すること。
二期作で栽培される作物は「米」を指すのが普通だが、トウモロコシやジャガイモなどにも用いられることがある。
米の栽培は気温が大きく影響することから、二期作が行われるのは沖縄県などの平均的に温暖な地域に限られている。
二毛作は、春から秋にかけて米を栽培し、秋の収穫後から春までは麦や大豆などが栽培されることが多かった。
1回目を表作、2回目を裏作という。
現在では穀物の二毛作が行われることは少なく、畑で作られる野菜に多い。
ちなみに、同じ耕地で1年に1回作物を作ることは「一毛作」や「単作」といい、1年に3種類の異なる作物を栽培・収穫することは「三毛作」、3回以上の栽培・収穫の場合は「多毛作」という。
人種とは、人類を骨格・皮膚・毛髪・血液型などの形質的特徴によって分類した、生物学的な特徴による区分単位のこと。
一般に皮膚の色によって、コーカソイド(白色人種)・モンゴロイド(黄色人種)・ネグロイド(黒色人種)の三大人種に分類されるが、オーストラロイドを加えた四大人種、カポイドを加えた五大人種とする分類の仕方もある。
人種の分類でいえば、日本人は多くがモンゴロイドである。
民族とは、言語・宗教・生活様式・歴史・価値観など、文化的な特徴を共有するひとまとまりの人間の集団のこと。
日本人を民族としていう場合、「日本民族」と表されることがあるが、日本民族とは縄文時代以前より日本列島に住んでいた人々で構成される「大和民族」のこと。
日本で最も多い民族は大和民族ではあるが、大和民族の他に、アイヌ民族、琉球民族、ウィルタ民族、ニヴフ民族、小笠原諸島欧米系島民など、日本は多くの民族で構成された多民族国家であり、日本民族(大和民族)という集団ではない。
人魚は上半身は人間の女性の形をしているが、下半身は魚の形をしている。
鬼は体は人間の形をしているが、頭に角が生えていたり、口には鋭い牙がある。
人魚も鬼も人間と似た形をしている点では共通するが、人魚の数え方と鬼の数え方には違いがある。
人魚は「一人、二人」と数える。
同様に、上半身は人間で下半身が馬のケンタウルスも、「一人、二人」である。
鬼は基本的に「一匹、二匹」と数えるが、例外的に「一人、二人」と数えられることがある。
人魚やケンタウルスを「一人、二人」と数えるのは、人間と同等の生き物として捉えられているためで、人魚は人間と同じように恋愛をすることから、ケンタウルスは人間の言葉を話すことからである。
鬼の数え方に「一匹、二匹」と「一人、二人」があるのは、悪魔を「一匹、二匹」、天使を「一人、二人」と数えることと似ている。
鬼は性質が荒く、人に災いをもたらす生き物で、人間と友好関係にない生き物と捉えられているため、基本的には「一匹、二匹」である。
しかし、人間と友好関係にある鬼となれば、数え方は「一人、二人」。
『泣いた赤鬼』の話では、優しい心を持ち、人間と仲良くしようとする鬼が描かれているため、「一人、二人」と数えられている。
春のお彼岸は、春分の日を中日とし、前後3日を合わせた7日間。
秋のお彼岸は、秋分の日を中日とし、前後3日を合わせた7日間である。
春彼岸と秋彼岸の違いは、3月の春と9月の秋という季節のほか、「おはぎとぼたもちの違い」がある。
しかし、昔は春と秋で「おはぎ」と「ぼたもち」は呼び分けられていたが、現在では呼び分けられていない。
その他に春彼岸と秋彼岸の違いを挙げるとすれば、連歌・俳諧・俳句などで用いられる季語の違いである。
「彼岸」は春のお彼岸を意味するため、秋の季語としては用いられない。
秋のお彼岸を季語とする場合は「秋彼岸」で、子季語には「後の彼岸」「秋彼岸会」がある。
また、春の季語として用いられる彼岸の子季語には、「彼岸中日」「彼岸太郎」「入り彼岸」「さき彼岸」「初手彼岸」「終ひ彼岸」「彼岸ばらい」「彼岸前」「彼岸過」「彼岸講」「万灯日」などがある。
敬老の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法)で定められた国民の祝日の一。9月の第3月曜日。
老人の日は、老人福祉法によって定められた記念日。9月15日。
また、老人福祉法では、9月15日から21日までの一週間を老人週間としている。
敬老の日と老人の日の違いは、実施日、祝日法と老人福祉法、祝日と記念日のほかに、趣旨にも違いがあり、敬老の日の趣旨は、多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝うこと。
老人の日の趣旨は、国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促すことである。
敬老の日と老人の日の起源は、1947年9月15日に兵庫県の野間谷村で開催された敬老行事の「敬老会」である。
敬老会をきっかけに、1950年には兵庫県で9月15日を「としよりの日」とする敬老・福祉の県民運動が始まった。
1963年には老人福祉法によって、9月15日を「老人の日」、9月15日から21日までの一週間を「老人週間」と定められ、翌年から実施された。
1966年に祝日法が改正され、9月15日は「敬老の日」となり、老人福祉法でも「敬老の日」に改められた。
2001年の祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)によって、敬老の日が9月の第3月曜日となるのに伴い、老人福祉法が改正され、9月15日は「老人の日」となった。
9月の第3月曜日に敬老の日が実施されたのは2003年からだが、2003年の9月の第3月曜日は15日であったため、敬老の日と老人の日が異なる日にちとなったのは、2004年以降である。
予言と預言の使い分けは、漢字の意味を正しく理解している人ほど間違えやすい。
予言とは、未来のことを予測して言うことや、その言葉。
預言とは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの啓示宗教で、神から預けられた言葉を人々に伝えることや、その言葉である。
予言は大災害や事件・事故などの予知をする占いやチャネリングといったオカルト的分野のほか、科学的データに基づいた予測など、使われる範囲は広いが、預言は宗教に限って使われる。
「ノストラダムスの大予言」で有名なノストラダムスは、予言者であって預言者ではなく、有名な預言者といえば、モーセやイエス・キリストなどが挙げられる。
予言は予測なので的中率があるが、預言は神の言葉を伝えるものなので、的中率とは無縁である。
このような使い分け方をするようになったのは、予言には「予め(あらかじめ)」の意味があり、預言には「預かる(あずかる)」の意味があるからである。
しかし、「予」にも「あずかる」の意味、「預」にも「あらかじめ」の意味があり、予言と預言は同義で、本来は使い分けが必要な漢字ではない。
そのため、漢字の意味をよく知っている人ほど、予言と預言の使い分けを間違えやすいが、現代文で「予かる」や「預め」と書くことはないため、一般的に使われる意味の違いで、予言と預言の使い分けを覚えておくとよい。
宿命の「宿」は「宿る」ではなく、「前世からの」という意味で、前世から定まっている運命のこと。
運命の「運」は「運ぶ」ではなく、「巡り合わせ」という意味で、人間の意志に関係なく巡ってくる幸、不幸のことである。
宿命は生まれる前から決まっているものなので、変えることのできないもの。
運命は人間の意志によって幸、不幸を左右することはできないが、巡り合わせによるものなので、日頃の行いや選択の積み重ねにより、結果として変わるものである。
「宿命のライバル」というのは、まるで前世から決まっていたような、絶対に避けられないライバルという意味で使われる。
「運命の出会い」や「運命の人」の場合は、偶然が重なって巡り合った相手である。
また、宿命の意味に「運命」とあるように、運命には宿命も含まれている。
そのため、「これも運命だ仕方がない」といった場合は、自分の選択が間違っていたから仕方ないという意味と、「これも宿命だ仕方がない」と同じ、前世から決まっていたことなので仕方ないという、両方の意味が考えられる。
年賀状の冒頭に用いられる賀詞には、「賀正」「迎春」「謹賀新年」「恭賀新年」などがある。
その他にも、一文字の賀詞に「寿」「福」「賀」「春」「禧」、二文字には「新春」「初春」「賀春」「頌春」「慶春」「寿春」、四文字に「謹賀新春」「恭賀新春」「敬頌新禧」、文章の賀詞に「明けましておめでとうございます」「新年おめでとうございます」「新春のお慶びを申し上げます」「謹んで初春のお慶びを申し上げます」「謹んで新春のご祝詞を申し上げます」、英語の「Happy New Year」など多くある。
これらのうち、「寿」「福」などの一文字の賀詞、「賀正」「迎春」などの二文字の賀詞は、友人や同僚など親しい間柄や目下の相手には使えるが、目上の相手に対してはふさわしくない。
その理由は、「寿」であれば「めでたい」「福」は「幸せ」、「賀正」は「新年を祝う」、「迎春」は「新年を迎える」と言っているに過ぎず、相手に対する敬意や丁寧さに欠けるからである。
いっぽう四文字の賀詞は、「謹賀新年(つつしんで新年の喜びを申し上げます)」「恭賀新年(うやうやしく新年をお祝い申し上げます)」「敬頌新禧(うやうやしく新年の喜びをおたたえ申し上げます)」というように、丁寧さもあり、敬意も表されているため、目上の相手に使うことができる。
四文字の賀詞は、目上の相手に限らず、友人や目下の相手にも使える。
また、文章や英語の「Happy New Year」も相手を問わず使えるため、相手によって賀詞を使い分けることが難しい場合は、四文字・文章・英語の賀詞を使うのが無難である。
吸血鬼は、人の生き血を吸うと伝えられる怪物のことで、英語では「Vampire(ヴァンパイア・バンパイア)」という。
ドラキュラ(Dracula)は、1897年にアイルランド人作家のブラム・ストーカーが発表した小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場する男性吸血鬼の名前である。
小説がヒットし、舞台や映画もヒットしたことで、「ドラキュラ」は「吸血鬼(ヴァンパイア)」の代名詞となっているが、あくまで登場する吸血鬼の名前であり、「吸血鬼」を意味する英語が「ドラキュラ」ではない。
ちなみに、「ドラキュラ」はルーマニア語で「竜の息子」を意味し、「竜」には「悪魔」の意味もある。
上記のように、「吸血鬼(ヴァンパイア)=ドラキュラ」と誤解されるほど、「吸血鬼」と言えば「ドラキュラ」をイメージされることも多いが、世界中には、小説や映画の『吸血鬼ドラキュラ』とは異なる吸血鬼の話がたくさんあり、全ての吸血鬼が、ドラキュラのように目が赤く、牙があるとは限らず、夜な夜な活動したり、十字架や聖水やニンニクに弱いとも限らない。
日本にも、男の生き血を吸って衰弱死させる「紫女」や、地面につくほど長い髪をした美女が、髪の毛の触れたところから人間の血を吸う「磯女」といった吸血鬼の話がある。
通夜や葬儀の香典は不祝儀袋に包んで供えるが、不祝儀袋の表書きは、仏式・神式・キリスト教式など、故人の宗教や宗派によって異なる。
「御霊前」は仏式・神式・キリスト教式・無宗教葬を問わず使える表書きであるが、「御仏前」は「仏の前」と書くとおり、仏式のみで用いる表書きである。
仏教では、亡くなって49日後に成仏し、霊から仏になるという教えがあるため、仏式でも、四十九日までは「御霊前」を用い、四十九日以降は「御仏前」を用いるという使い分けがある。
浄土真宗では往生即成仏という教えであるため、通夜や葬儀であっても「御霊前」ではなく、「御仏前」を用いる。
「御香典」「御香料」「御香資」なども失礼にあたらない。
実際には、故人の宗教・宗派が分からず、幅広く使われる「御霊前」が無難であるため、浄土真宗でも「御霊前」と書かれることが多いが、日本一信徒が多い宗派が浄土真宗であるため、浄土真宗は「御仏前」であることを覚えておいた方がよい。
神式では「御霊前」のほか、「御玉串料」「御榊料」「御神前」「御饌料(みけりょう)」「御神饌料(ごしせんりょう)」などを用いる。
キリスト教式でも「御霊前」は使えるが、一般的なのは「御花料」。
カトリックでは「御ミサ料」の表書きもあるが、プロテスタントでは使わない。
神式やキリスト教式にも、仏教の四十九日の法要にあたる儀式はあるが、その場合、神式では「御玉串料」「御榊料」「御神前」、キリスト教式では「御花料」というように、その宗教で一般的な表書きが使われる。
無宗教式では一般的に「御霊前」だが、「志」「御花料」「御香資」「御香料」なども使われる。
蓮の花が印刷された不祝儀袋は仏式用、白百合や十字架が印刷された不祝儀袋はキリスト教用なので、印刷にも注意が必要である。
幽霊とは、この世に未練や恨みがあって成仏できない死者が、因縁のある人の前や場所で姿を現すとされるもの。
番町皿屋敷のお菊や、四谷怪談のお岩さんなどが典型的な例である。
「動物の幽霊」などと言うことがあるが、普通、人の魂が現れたものを「幽霊」といい、動物や得体の知れないものに「幽霊」は使わない。
幽霊の姿として、死装束をまとった足のない女性が描かれることが多い。
比喩的に、「幽霊会社」や「幽霊社員」など、実在するかのように見せかけたもの意味にも使われる。
妖怪とは、人知を超えた奇怪な現象や不気味な物体のこと。
鬼や天狗、河童、一つ目小僧、ろくろ首などが典型的な例である。
必ずしも、人の霊や動物といった何かが変化したものとは限らず、奇怪な存在に対していうのが「妖怪」である。
お化けとは、本来ある姿から大きく変化したもののこと。
普通は、タヌキやキツネなどの動物が変化したものや、物を粗末にした時に出てくるという「もったいないお化け」など、人以外のものが変化し、危害を加えたり恐怖感を与えるものをいうが、幽霊や妖怪も含めて「お化け」ということも多い。
幽霊や妖怪は、人間によって創造・創作されたもので、実在する可能性は低いものであるが、お化けは「お化けカボチャ」や「お化けメダカ」というように、通常より大きく変化した実在するものに対しても使われる。
俳句と川柳は、共に五・七・五の十七音を定型とした短詩で、江戸時代に連歌から分岐し、娯楽性・遊戯性を高めた俳諧連歌から生まれたものである。
俳句と川柳の違いとして、季語、切れ字、文語・口語といった形式の違いが挙げられる。
俳句には季語が必要だが、川柳に季語は必要ない。
俳句には「や」「かな」「けり」などの切れ字が必要だが、川柳に切れ字は必要ない。
俳句は主に文語表現を用い、川柳は主に口語表現が用いられる。
ただし、上記は基本的な形式の違いで、俳句の中には定型や季題にとらわれず、切れ字や文語で表現しない自由律俳句・無季俳句もある。
俳句と川柳では内容も異なり、俳句は四季や自然の描写を通し、心象などを表現する。
川柳は世相や風俗、歴史、人事などを面白おかしく指摘したり、風刺的に描写するのが特徴である。
そのため、同じ情景から生まれた作品でも、表現される内容に違いが出てくる。
このような違いは、俳句と川柳の成り立ちの違いによるものである。
俳句は、俳諧の発句(第一句)が独立したものであるため、発句に必要な季語や切れ字が重要となる。
川柳は、俳諧連歌の付け句が独立したものである。
付け句は、下の句(七・七)をお題にし、それに合う気の利いた付け句(五・七・五)を考えるという遊びだが、下の句がなくても面白おかしく作れることに気づき生まれのが川柳であるため、社会風刺などが題材とされる。
関東で作られる雛人形を「関東雛」、京都で作られる雛人形を「京雛」という。
関東雛と京雛では、顔立ちに違いがあり、雛人形を飾る際の並べ方も、男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の座る位置が左右反対である。
顔立ちの特長として、関東雛は目が大きめで、口元がふっくらしており、優し気な表情をしているものが多い。
京雛は切れ長の目で、鼻筋が通っており、高貴で品のある表情をしているものが多く、鼻筋を中心に見ると見分けやすい。
男雛と女雛の座る位置は、関東雛では、向かって左に男雛、向かって右に女雛。
京雛では、向かって右に男雛、向かって左に女雛となっている。
日本では、古来から右よりも左の方が上位とされており、京雛は御所における玉座の位置に従い、左(向かって右)に男雛、右(向かって左)に女雛が座っている。
関東雛がその反対となっているのは、大正天皇が関係しているといわれる。
明治時代に多くの西洋文化が日本に入ったが、国際儀礼では日本とは反対で、右が上位、左が下位とされているため、大正天皇の即位の礼では、天皇陛下が洋装で皇后陛下の右に立たれた。
ここから、雛人形の座る位置も、右(向かって左)に男雛、左(向かって右)に女雛という形が、関東を中心に広がっていった。
全国的には関東雛が多いため、座り位置も向かって左に男雛という形が一般的だが、関西では京雛が多く、左右のどちらが正しいとは決まっていない。
手紙を書く際、冒頭の挨拶として「拝啓」「謹啓」「前略」などの頭語を用い、頭語に対応した「敬具」「敬白」「草々」などの結語を用いて締めの言葉とする。
最も一般的な頭語は「拝啓」で、「つつしんで申し上げます」という意味。
「拝啓」に対応する結語は、「敬具」である。
その他、一般的の手紙に用いる頭語には「拝呈」「啓上」「啓白」、結語には「拝具」「敬白」がある。
「謹啓」も「つつしんで申し上げます」の意味であるが、「拝啓」よりも敬意が高く、目上の人に送る丁寧な手紙、改まった手紙に用いる。
「謹啓」に対応する結語は、「謹言」「謹白」「敬白」である。
その他、丁寧な手紙に用いる頭語には「謹呈」「粛啓」「謹白」、結語には「粛言」「頓首」がある。
「前略」は「拝啓」や「謹啓」と使い方が異なり、前文を省略する場合に用いる頭語である。
そのため、目上の人に送る際に「前略」使うのは失礼にあたる。
また、「前略」と書いた後に、時候の挨拶などの前文が続くのは不自然である。
「前略」に対応する結語は「草々(早々・匆々)」で、十分に意を尽くしていないことを表す。
その他、前文を省略した手紙に用いる頭語には「冠省」「略啓」、結語には「不一」「不二」「不備」「不尽」がある。
「拝啓」「謹啓」「前略」などの他に、返信や緊急、再信の手紙に使う頭語もある。
一般的な返信では、頭語に「拝復」「復啓」「敬復」、結語に「敬具」「拝答」「敬答」。
丁寧な返信では、頭語に「謹復」、結語に「謹言」 「謹答」。
急ぎの手紙では、頭語に「急啓」「急呈」「急白」、結語に「草々(早々・匆々)」「不一」「不尽」「敬具」。
相手の返事が届かないうちに出す再信の手紙では、頭語に「再啓」「再呈」「追啓」、結語に「敬具」「拝具」「再拝」などを用いる。
また、女性が用いる結語には、「かしこ」「あらあらかしこ」「めでたくかしこ」「あなかしこ」などがある。
土偶と埴輪は、どちらも古い時代の土製の焼き物だが、作られた時代や使用目的が異なり、関係性もない。
土偶は縄文時代に作られた土製品で、最古の土偶は三重県から出土した縄文時代草創期のものである。
土偶には人物や動物をかたどったものがあるが、特に、乳房や臀部を強調した女性像が多い。
また、完全な姿形をした土偶は非常に少なく、手や足などの体の一部が故意に破壊されたと見られる状態で出土することが多いため、出産や豊穣、悪魔払いなどの呪術的な用途で使用されたとみられている。
埴輪は古墳時代に作られた土製品で、円筒埴輪と形象埴輪があり、形象埴輪には巫女・貴人・武人などの人物埴輪、馬・鶏・猪・犬などの動物埴輪、盾・靫(ゆぎ)・鎧などの器財埴輪、住居などの家をかたどった家形埴輪がある。
埴輪は古墳の周囲や上に並べられるもので、当初は、古墳に葬られる人物の生前の権威を示したり、その死者の霊に対する捧げもののであったが、5世紀以降は、葬儀の様子を表したものになっていったといわれる。
節分には、鬼に豆をぶつける「豆まき」の行事が行われる。
鬼の色は、赤色や青色が一般的だが、他に、黄(もしくは白)・緑・黒もある。
戦隊ヒーローでいえば、超獣戦隊ライブマンや炎神戦隊ゴーオンジャーなどの配色と同じらしいが、戦隊ヒーローの役割と鬼の役割は異なる。
鬼の色には意味があり、仏教の五蓋に結び付けられている。
蓋は妨害の意味で、五蓋は修行の邪魔をする5つの煩悩のこと。
それぞれの鬼の色と、五蓋の内容、豆まきの仕方や効果は、次の通りである。
赤鬼は、「貪欲(とんよく)」。
渇望・欲望、全ての悪心の象徴で、豆をぶつけることで、自分の中の悪い心が取り除かれる。
青鬼は、「瞋恚(しんに)」。
悪意・憎しみ・怒りの象徴で、貧相で欲深い自分自身に豆をぶつけることで、福相・福徳に恵まれる。
黄鬼(白鬼)は、「掉挙悪作(じょうこおさ)」。
心の浮動・後悔の象徴で、豆をぶつけることで、自己中心的な甘い考えを取り除き、公平な判断が出来る心になる。
緑鬼は、「惛沈睡眠(こんちんすいみん)」。
倦怠・眠気・不健康の象徴で、自身の不摂生を反省し、健康に保つことを言い聞かせながら、豆をぶつける。
黒鬼は、「疑(ぎ)」。
疑いの心・愚痴の象徴で、豆をぶつけて卑しい気持ちを追い払い、平穏を願う。
「鬼に金棒」という諺もあるため、鬼は金棒を持っているイメージが強いが、持っているものも鬼の色によって異なり、赤鬼は金棒、青鬼は刺股(さすまた)、黄鬼は両刃のこぎり、緑鬼は薙刀(なぎなた)、黒鬼は斧である。
ご来光は、高山で望む荘厳な日の出のこと。
初日の出は、元日の日の出のこと。
日の出が話題になるのは元日ぐらいであるため、ご来光と初日の出は同じものと思われることもあるが、ご来光は元日に限った表現ではなく、高山から見る荘厳な日の出であれば、ご来光という。
元日に見る日の出は、どこから見ても初日の出だが、高山から見たものでなければ、ご来光ではない。
元日に富士山の頂上などから見る日の出は、ご来光でもあり、初日の出でもある。
しかし、同じ場所、同じ時に見る太陽であっても、「ご来光」と言うか、「初日の出」と言うかによって、手を合わせ拝む信仰の対象は全く異なるものとなる。
ご来光は、お釈迦様が光背を負うて来迎するのになぞらえていったもので、信仰の対象は仏教。
初日の出は、豊作の守り神である年神が、初日の出と共に降臨すると信じられていたことから拝むようになったもので、信仰の対象は神道である。
元日は、1年の最初の日で、1月1日のこと。
元旦は、元日の朝、元日のこと。
元旦の「旦」の字は、太陽が地平線から出るさまを表した漢字で、朝や夜明けを表すため、元旦は1月1日の朝のみを表すともいわれるが、1月1日(元日)も意味する。
しかし、元旦が元日の朝も意味することには変わりないため、1月1日の朝をいう場合は、「元旦の朝」とはいわず「元日の朝」というのが正しい。
年賀状は、1月1日の朝に届くよう出すのが礼儀であるため、日付は「元日」ではなく、ふつうは「元旦」と書く。
「〇〇年元旦」と年号を付けることは良いが、「一月元旦」と月を付けてしまうと、1月が重複するため間違いである。
正月は1月のことで、元日や元旦と異なり、1年の最初の月を表す。
ただし、元日から1月末日までの1カ月間を指して使われることは少なく、一般には正月を祝う期間を指す。
その期間は、大きく分けると三が日と松の内に分けられる。
三が日は、元日から3日間のこと。
国民の祝日は元日のみだが、官公庁や金融機関などは三が日を休日とし、一般企業もこれに準じていることが多い。
また、新年を迎えて世の中がお祭りムードになっている期間でもあるため、「正月休み」や「正月気分が抜けない」など、元日に近い意味での「正月」は、三が日のことをいう。
松の内は、正月の松飾りのある内の意味で、風習・行事としていう場合の「正月」は、松の内を指していることが多い。
昔は元日から15日までを「松の内」といったが、現在は7日までをいうのが一般的である。
ただし、地域の風習によって違いがあり、関西地方では15日(小正月)までが多く、一部地域では20日(二十日正月)までというところもある。
プレゼントもギフトも贈り物を意味する言葉だが、使われ方に違いがあり、日本と海外での使われ方にも違いがある。
英語の「present」は、親しい人に贈る、愛情や友情など気持ちを込めた私的な贈り物。
「gift」は「present」よりもフォーマルな表現で、価値のある贈り物を意味し、天賦の才能という意味もある。
厳密に使い分けされている訳ではないが、「present」は同士もしくは目下から目上に贈る物、「gift」は目上から目下に贈る物に使われる。
日本でも、プレゼントよりギフトの方が改まった表現という点は同じである。
しかし、日本のギフトは、お中元やお歳暮など社交上の慣例として贈る「ご進物」の意味が強いため、どちらかと言えば目下から目上に贈る物になる。
また、海外では「gift」の方が「present」よりもポピュラーだが、日本ではプレゼントの方が一般的である。
カタカナ語の「ギフト」を使うよりも、「贈り物」「ご進物」などの日本語を使った方が改まった表現になるため、会話中に「贈り物」の意味で「ギフト」の語が使われることは少ない。
「ギフト券」「ギフト商品」「ギフトセット」など、他の語と複合して用いるのが普通で、「贈り物」というよりは「贈り物商品」を表す言葉となっている。
クリスマスは、イエス・キリストの降誕を祝う祭りで、12月25日に行われる。
クリスマス・イブ(イヴ)の「イブ」の意味を「前日」と捉え、12月24日の丸一日がクリスマス・イブと考えられていることも多いが、「イブ(eve)」は「evening(夕方・晩)」と同系の語で祭日の前夜、12月24日の夜を指す。
一般の暦では上記の通りだが、ユダヤ暦を継承した教会暦を採用している教会では、日没を日付の変わり目としており、24日の日没から25日の日没までがクリスマスになる。
一般の暦に照らし合わせると、クリスマスの前日の夜がイブとなるため、前夜という表現をしているが、正確にはクリスマス当日の夜がクリスマス・イブで、クリスマスとクリスマス・イブは同じ日である。
また、一般の暦では25日の夜はクリスマス当日だが、教会暦では日没までなので、夜はクリスマス当日ではなく、普通の日になる。
日本のクリスマスは、デート・ディナー・パーティーなど季節のイベントとして捉えられており、教会暦に合わせてイベントが行われている訳でもないが、多くは24日のイブに多く行われ、クリスマスのメインはイブと考えられている傾向にある。
クリスマス当日が土曜日や日曜日であれば、25日の日中にパーティーが開かれることもあるが、25日は子供へのプレゼントぐらいで、クリスマスムードは薄れ、夜には普通の日のようになっている。
ただし、クリスマス当日が金曜日や土曜日であれば、25日の夜もパーティーが開かれ、クリスマスのメインの日になることもある。
今年の干支を言う際、2106年であれば「申年(さるどし)」、2017年であれば「酉年(とりどし)」と表現されるが、干支は十干と十二支を合わせた「十干十二支」の略なので、本来は誤りである。
十干は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)。
十二支は、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)。
この十干と十二支を順に組み合わせ、甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)というのが干支で、2016年であれば「丙申(ひのえざる)」、2017年であれば「丁酉(ひのととり)」が干支である。
干支には60の組み合わせがあり、一巡すると還暦になる。
干支の読みには、「えと」と「かんし」がある。
「えと」でも「かんし」でも十二支を表していなことに変わりはないが、十二支を表すのであれば、「干支」の音読「かんし」の方がまだ正しいといえる。
十干をよく見ると分かるが、「えと」は十干のことである。
十干は、五行(木・火・土・金・水)に、陽を表す「兄(え)」と陰を表す「弟(と)」を付けたもので、甲であれば「木の兄(きのえ)」、癸であれば「水の弟(みずのと)」を表す。
ここから、十干を「えと」と呼ぶようになり、干支も「えと」と読むようになっただけで、本来、「えと」に十二支は含まれていないのである。
ただし、現代では十干が使われることが少なく、干支といえば十二支、干支の読みは「えと」が一般的になっているため、「干支(えと)=十二支」でも間違いとは言えなくなっている。
路地は、本来は「露地」と書き、屋根など覆うものがない土地を意味するが、現代では一般的に、建物と建物の間の狭い道を表す。
路地裏とは、表通りに面していないところのこと。
路地は表通りに面していない道というニュアンスを含むため、路地の裏であれば表通りのことになりそうだが、この「裏」は路地よりも更に裏(奥)で、路地を入り込んだところを表す。
また、「裏道」や「裏通り」からの連想で、路地の狭さや薄暗さを強調した表現である。
裏路地と路地裏はほぼ同じ意味であるが、路地裏が路地に面したところも含んだ場所を指すのに対し、裏路地は路地そのものを指す。
路地の奥まったところにある店を表す際、路地裏を使って表現するならば「路地裏の店」となり、裏路地で表現するならば「裏路地に面した店」となる。
横丁とは、表通りから横に入った道筋のこと。
路地が横丁になっていることもあり、ほぼ同義で用いられることもあるが、路地は人家の間で、関係者以外は通らない極端に狭い道も指すのに対し、横丁は店が立ち並び、ある程度の道幅がある通りを指す。
また、普通は「〇〇路地」と名前を付けられることはないが、横丁はその通りの名前として「△△横丁」と付けられるものである。
遺跡は、貝塚・古墳・集落跡など、過去の人類の営みが残された場所や、昔の建物や歴史的事件があった場所など、広い範囲で使われる言葉である。
遺跡に含まれる範囲は広いため、遺跡は日本全国に46万カ所以上あり、貝塚だけでも3千カ所以上、古墳や横穴墓は15万カ所以上あるといわれる。
史跡は、一般には、遺跡の中でも歴史的事件と関わりの深い場所や建物・遺構を指す。
文化財保護法では、一般に史跡と考えられるもののうち、特に歴史上・学術上価値が高いと認められ、保護が必要であると、国及び地方公共団体が指定したものを指す。
国の指定する史跡数は現在1,694件で、貝塚遺跡の数よりも少ない。
史跡の中でも、特に重要とみなされ、日本文化の象徴とされるものは、特別史跡に指定される。
日本の特別史跡は、現在61件指定されている。
御社と貴社は、どちらも相手方の会社や神社を敬っていう言葉。
言葉の意味や相手を敬う度合に違いはないが、両者はきちんと使い分けされている。
御社と貴社の使い分けは簡単で、履歴書やメール・手紙などでは「貴社」と書き、面接や打ち合わせなどでは「御社」と言う。
つまり、書き言葉では「貴社」、話し言葉では「御社」を使うのである。
元々、話し言葉でも「貴社」が使われていたが、「きしゃ」には「記者」「汽車」「帰社」「騎射」「喜捨」など、同音の言葉が多くて紛らわしいため、1990年代初め頃から、話し言葉では「御社」が使われるようになったといわれる。
「おんしゃ」にも「音写」「恩赦」「温藉」などの同音語はあるが、「記者」「帰社」「汽車」のように、ビジネスの場面で使われやすい言葉ではないため、話し言葉では「貴社」よりも「御社」を使った方が伝わりやすい。
一般企業以外でも「御」と「貴」の使い分け方は同じで、病院では「御院」と「貴院」、銀行は「御行」と「貴行」、学校は「御校」と「貴校」、学園ならば「御学園」と「貴学園」が使われる。
お辞儀は、親愛の気持ちや敬意を表す時に頭を下げて挨拶することで、人間関係を構築する上で基本中の基本となるものである。
お辞儀の角度は、敬意の度合や状況によって、会釈・敬礼・最敬礼の三段階に分かれる。
つまり、会釈はお辞儀の一種であり、お辞儀は頭を下げて挨拶することの総称である。
会釈は、人とすれ違う時にする軽いお辞儀で、角度は15度が目安。
敬礼は、相手を迎える時や相手先に訪問した時、自己紹介をする時、感謝を伝える時などにするお辞儀で、角度は30度が目安。
敬礼が最も一般的なお辞儀であるため、「お辞儀と会釈の違い」と言った場合、「敬礼と会釈の違い」を言っていることも多い。
最敬礼は、謝罪をする時や、感謝の気持ちを強調したい時などにするお辞儀で、角度は45度が目安となる。
いずれも、頭だけを下げるのではなく、背筋を伸ばした状態で腰から上体を曲げるのが基本。
手の位置は、男性なら体の脇、女性なら両手を前で揃えるのが美しいとされる。
神父と牧師の一番の違いは、キリスト教の教派による違い。
神父は、カトリック教会や正教会(ギリシャ正教・ 東方正教会)における司祭などの聖職者に対する尊称で、正式な職名ではない。
牧師は、プロテスタントの教職者の呼称で、職名である。
神父(司祭)は、ミサをあげたり、洗礼、堅信、聖体などの儀式を行うといった、信徒にはない権限と地位があり、聖職者として生涯独身でなければならない(正教会では、司祭となる一つ前の輔祭になる前であれば可)。
また、女性は神父になれず、男性のみとなっている。
牧師は、教区・教会を管理し、信仰を指導する信徒の代表である。
聖職者ではなく教職者であるため、結婚は奨励されている。
また、教派によっては女性の牧師も認められている。
ねぶたは青森市で、ねぷたは弘前市と言われることがある。
ねぶたで有名なのが青森市の「青森ねぶた」、ねぷたで有名なのが弘前市の「弘前ねぷた」ではあるが、青森県には多くの「ねぶた祭り」「ねぷた祭り」があり、正確な違いとは言えない。
ねぶたは立体的で人形型、ねぷたは平面的で扇型と言われることもあるが、これも青森ねぶたと弘前ねぷたのイメージによるもので、形状の違いで呼称が違う訳ではない。
また、青森ねぶたに扇型はないが、弘前ねぷたには人型のねぷたもある。
掛け声をに違いがあり、ねぶたが「ラッセラー」、ねぷたが「ヤーヤドー」を使うとも言われるが、これも青森ねぶたと弘前ねぷたの掛け声の違いであって、ねぶたとねぷたの違いではない。
これらの違いが間違いであることがわかるのが、青森ねぶたと弘前ねぷたに並び、「青森三大ねぶたの」ひとつに挙げられる、五所川原市の「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)」である。
五所川原市なので、青森市や弘前市でないことは明らか。
発音は「ねぷた(nepta)」だが、立体的で人形型。
掛け声は「ラッセラー」でも「ヤーヤドー」でもなく、「ヤッテマレ」である。
ねぶたとねぷたの違いは、地域による訛り方の違いしかなく、「ねぶた」と呼ぶ地域は青森市周辺と下北、「ねぷた」と呼ぶ地域は弘前市を中心とした津軽地方に多い。
マナーとエチケットを日本語に訳すと、どちらも「礼儀」や「作法」になるが、食事中のナイフやフォークの使い方は「テーブルマナー」といい、食事中に汚い話をしないことは「食事中のエチケット」というように、異なるニュアンスで使われる。
重複する点も多いため、「どちらかといえば」ということになるが、次のように使い分けされる。
エチケットは、人と接する時の言動・態度の意味で使うことが多く、対面している相手を不快にさせないといった、心配りの意味合いが強い。
人間が本来持っている、思いやりや優しさからくる気配りが、エチケットである。
マナーは、人に接する時の態度に限らず、行動一般に使われる言葉で、エチケットよりも広範囲に使われる。
規則というほど厳しいものではないが、社会的に望ましいとされる約束事に沿った言動や態度。
対個人というよりは社会性の問題で、伝統や習慣から生まれたルール・方法が、マナーである。
通夜は、死者を葬る前に親族・知人などが遺体のそばで過ごし、供養したり、別れを惜しんだりすること。
以前は、夜を通して行われていたが、現在の多くは、1時間から3時間程度で終わる「半通夜」になっている。
また、告別式に出席できない人が故人とお別れをする場にもなってきている。
葬儀は、親族や知人が故人の冥福を祈り、死者を葬る儀式のこと。
宗教・宗派によって異なるが、僧侶が読経、神官による祭詞、しのびの歌の奉唱、聖書の朗読、祈祷、焼香、出棺、火葬などが葬儀にあたる。
告別式は、親族や知人が故人に対し、最後の別れを告げる儀式のこと。
焼香、玉串奉奠、祈祷、献花などが告別式にあたる。
転任・退官・退職などをする人に、別れを告げる儀式についてもいう。
現在では、葬儀と告別式を一緒に行うのが一般的で、「葬儀」といった場合、告別式を含んで使われることも多い。
葬儀と告別式は、通夜との違いほど明確ではなくなっているため、葬儀と告別式の総称として「葬式」を用い、葬式の中に「葬儀」と「告別式」があるという使い分け方もされるが、本来、葬儀と葬式は同じ意味なので、この使い分けはあまり意味がない。
葬儀は、近親者が故人をあの世へ送るための宗教色の強い儀式で、告別式は、一般会葬者も参加し、故人に別れを告げる儀式である。
そのため、告別式に参加する一般会葬者の便をはかり、葬儀場の外に焼香や献花を行う場が設けられることも多い。
故人が有名芸能人であれば、近親者のみで葬儀と告別式を行い、日を改めて、一緒に仕事をした仲間などが集まって別れを告げる告別式があり、その告別式の会場外に焼香台や献花台を設け、ファンなどが焼香・献花するといった形で行われることもある。
暦の上で休日となっている日を「祝日」「祭日」「祝祭日」などと言うが、「祭日」や「祝祭日」は俗称である。
昭和22年(1947年)に皇室祭祀令が廃止されるまでは、皇室で儀式や祭典を行われる日を「祭日」と呼び、祝日とともに国家の休日とされていたことから、祝日と祭日の総称を「祝祭日」といった。
「国民の祝日に関する法律」が制定された昭和23年(1948年)以降は、「祝日」もしくは「国民の祝日」と言うのが正しい。
現在は「祭日」が無いため、「祭日」や「祝祭日」と呼ぶのは正しくないが、皇室祭祀令のなごりから、今でも「祭日」や「祝祭日」と呼ばれる。
また、11月23日の勤労感謝の日は、かつての「新嘗祭」であったように、現在の祝日に受け継がれている祭日もある。
祝日以外に国の定めた休日には「振替休日」と「国民の休日」があるが、これらも含めて「祝日」を指すことが多い。
振替休日は、祝日が日曜日と重なった場合に、その日以後、最も近い国民の祝日以外の日を休日とするもの。
国民の休日は、前日と翌日が国民の休日に挟まれた日で、その日が国民の祝日にあたらない日を休日とするものである。
人種とは、人類を骨格・皮膚・毛髪・血液型などの形質的特徴によって分類した、生物学的な特徴による区分単位のこと。
一般に皮膚の色によって、コーカソイド(白色人種)・モンゴロイド(黄色人種)・ネグロイド(黒色人種)の三大人種に分類されるが、オーストラロイドを加えた四大人種、カポイドを加えた五大人種とする分類の仕方もある。
人種の分類でいえば、日本人は多くがモンゴロイドである。
民族とは、言語・宗教・生活様式・歴史・価値観など、文化的な特徴を共有するひとまとまりの人間の集団のこと。
日本人を民族としていう場合、「日本民族」と表されることがあるが、日本民族とは縄文時代以前より日本列島に住んでいた人々で構成される「大和民族」のこと。
日本で最も多い民族は大和民族ではあるが、大和民族の他に、アイヌ民族、琉球民族、ウィルタ民族、ニヴフ民族、小笠原諸島欧米系島民など、日本は多くの民族で構成された多民族国家であり、日本民族(大和民族)という集団ではない。
中部地方は、本州中央部に位置する地方で、「中部日本」ともいう。
中部地方には、日本海に面する新潟県・富山県・石川県・福井県、内陸に位置する山梨県・長野県・岐阜県、太平洋に面する静岡県・愛知県の9県が含まれる。
東海地方は、五畿七道の東海道に由来し、本州中央部の太平洋側の地方をいう。
かつては、静岡県・愛知県・三重県の3県と岐阜県の南部を指すのが一般的であったが、地方の範囲は県単位で考えられることの方が多いため、現在は、静岡県・愛知県・三重県・岐阜県の4県を指して「東海地方」と呼ぶのが一般的である。
ちなみに、五畿七道で見た場合、岐阜県は東海道ではなく東山道に属する。
東海3県は、東海地方の範囲からすれば、静岡県・愛知県・三重県の3県となりそうだが、東海3県は愛知県・岐阜県・三重県の3県を指し、「中部3県」と呼んだり、3県の頭文字を繋げて「愛三岐」などとも呼ばれる。
東海3県に静岡県を加えた、いわゆる「東海地方」は「東海4県」と呼ぶ。
静岡県でなく、岐阜県が東海3県に含まれる理由は、「中京圏」の範囲に関係している。
中京圏の「中京」は名古屋市の異称で、東京と京都の中間に位置する大都市であることから呼ばれるようになったもの。
中京圏の範囲は、名古屋市を中心に人・文化・経済の結びつきが強い、愛知県・岐阜県・三重県(東海3県)を指す。
中京圏は「中京地方」とも呼ばれ、三大都市圏で他の大都市圏を「東京圏」や「大阪圏」と呼ぶ場合は、「名古屋圏」と呼ばれる。
その他、名古屋を中心とした呼称には、「名古屋大都市圏」「中部圏」「中京都市圏」「中京大都市圏」「中京経済圏」「中京経済圏」「中部経済圏」があり、中部経済圏には、静岡県の一部が含まれる。
日本で「ワシントン」いえば、アメリカ合衆国の首都を指すが、アメリカには「ワシントンD.C.」と「ワシントン州」の異なる二つの地域があるため、アメリカの首都を指すならば「ワシントンD.C.」と言わなければいけない。
ワシントンD.C.は、東海岸に近いメリーランド州とバージニア州の境のポトマック川沿いに位置する都市。
ワシントンD.C.の「ワシントン」は、初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンの名に因んだものである。
ワシントンD.C.の「D.C.」は、「District of Columbia」の略で「コロンビア特別区」を意味し、「コロンビア」はアメリカ大陸を発見したコロンブスの名に由来する。
ワシントンD.C.は、アメリカで唯一どこの州にも属さない連邦政府直轄の特別区で、連邦議会議事堂や大統領官邸のホワイトハウス、連邦最高裁判所などの中央官庁が置かれている。
日本では、「首都ワシントン」「ワシントン市」などと呼ぶことも多い。
ワシントン州は、カナダに接する西海岸最北部にある州。
この州名も、初代アメリカ大統領のジョージ・ワシントンの名に由来する。
また、ワシントン州には、州を流れるコロンビア川に因んだ「コロンビア郡」がある。
アメリカには「コロンビア」という名の群が各地にあるが、特に、ワシントン州のコロンビア群は「ワシントン・コロンビア特別区」と混同しやすく、ややこしい。
ワシントン州の州都は「オリンピア」だが、ワシントン州の最大の都市は、MLBのシアトル・マリナーズやマイクロソフト、スターバックスなどの本拠地として知られる「シアトル」である。
大分県の温泉地で有名な「ゆふいん」の漢字表記には、「湯布院」と「由布院」がある。
温泉を指すのであれば、正しくは「由布院温泉」だが、観光ガイドでは「湯布院温泉」と書かれていることもある。
また、由布院温泉の住所は、「由布市湯布院町」とややこしい。
元々、ゆふいんは「由布院」と書いた。
昭和30年の昭和の大合併で、旧湯平村と旧由布院町が合併し、作られた町名が「湯布院」である。
町名が「湯布院」となった後も、「由布院温泉」「由布岳」「JR由布院駅」のように、合併前から旧由布院町にあったところには「由布院」を使い、「湯布院映画祭」「湯布院観光協会」など、旧湯平村を含んだ町全体を指す際には、新しい町名の「湯布院」というように使い分けがあった。
しかし、町名は「湯布院」であるため混同され、「湯布院温泉」と書かれることも多くあった。
更にややこしくなったのは、平成17年の平成の大合併。
庄内町・挾間町 ・湯布院町の3町が合併して「由布市」となり、由布院温泉や由布院駅のある湯布院町は、「由布市湯布院町」になったのである。
このように、同じ地域で「由布院」と「湯布院」と「由布」が混在し、使い分けが難しくなったため、現在では「ゆふいん」と平仮名表記されることも多くなっている。
出生地は、生まれた土地のことで、戸籍謄本に記され、法律的にも明確なものである。
出身地の解釈には、生まれた土地、生まれ育った土地、育った土地の3パターンあり、生まれも育ちも同じ土地であれば、出生地と出身地は同じになるが、親が転勤を繰り返していたなど、住む場所が転々としていた場合は、定義の仕方によって出身地が変わってくる。
「〇〇大学出身」など、その学校や団体から出ていることにも「出身」が使われるように、出身地には、その土地で育まれた、その土地の風土の影響を強く受けたという意味が強いため、子供の頃に一番長く住んだ場所、人格形成に強く影響を与えた土地を指すことが多い。
国土交通省の出身地の定義では、「生まれてから15歳までの間、一番長く過ごした場所」と書かれたサイトが多く見られる。
この定義の出所は明確ではないが、大半の人が親と一緒に住み、人格形成される時期と考えた場合は、生まれてから15歳までになるため、この定義を使うのが一番便利である。
ただし、中学卒業時に住んでいた土地と、長く住んでいた場所が異なる場合は、話が面倒になるため、中学を卒業した土地を「出身地」とする人も多い。
出身地には、生まれた土地の意味もあり、「〇〇生まれ、△△出身」と言うと違和感を生じるため、出生地と育った場所が異なる場合は、普通、「〇〇生まれ、△△育ち」という。
地元は、その人が住んでいる土地や、その人の勢力範囲である地域を意味する。
政治家などが勢力基盤となっている出身地に帰る場合に、「地元へ帰る」と言うのは正しいが、単に、実家のある生まれ育った土地に帰ることを「地元へ帰る」と言うのは本来誤りで、「故郷へ帰る」と言うのが正しい。
住んでいる土地から離れて暮らすことを「地元を出る」といい、生まれ育った土地に帰ることは、出た場所に帰ることになるため、故郷へ帰ることを「地元へ帰る」と言うようになったと思われる。
誤った表現も、使い続けられると正しい表現として扱われることもあるため、今後、生まれ育った土地の意味が「地元」に含まれる可能性はある。
故郷も生まれ育った土地を意味するが、現在はよその土地に移り住んでいる人が、生まれ育った土地をいう場合に用いる表現である。
生まれ育った土地と、現在住んでいる場所が同じ場合は、「地元」か「出身地」が多く使われる。
関東地方は、茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県の1都6県を指す。
関東が「関東地方」の略であれば、上記の1都6県を指すが、単に「関東」と言った場合は、時代によって範囲が異なる。
「関東」という言葉は飛鳥時代後期からあり、当時は、鈴鹿の関(現在の三重県亀山市関町)・不破の関(現在の岐阜県不破郡関ヶ原町)・愛発の関(現在の福井県敦賀市愛発山辺り)より東側を指し、「東国」と同じ意味で使われていた。
平安時代末期には、遠江国(静岡県)・信濃国(静岡県)・越後国(新潟県)より東を指した。
室町時代には、「坂東八国」と呼ばれた箱根の関より東の相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・常陸国・上野国・下野国に、伊豆国・甲斐国を加えた10国や、更に出羽国・陸奥国を加えた12国を「関東」といった。
江戸時代に入ると、江戸を防御する箱根関・小仏関・碓氷関より東の坂東八国を「関東」といい、現在の関東地方とほぼ同じ範囲となった。
首都圏は、首都とその周辺を含む地域のこと。
日本では首都東京を広域的、合理的に発展させることを目的にした「首都圏整備法」が1956年に制定された。
その範囲は、都心から100~120kmの地域で、関東地方の大半と山梨県の東半分であったが、人口の集中に伴い首都圏も拡大され、現在は関東地方全域と山梨県全体を「首都圏」という。
東京圏は、首都圏の中でも人口の超過密状態になっている、関東地方南部の東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県の1都3県を指す。
これは、国土交通省の「首都圏整備計画」の定義による範囲で、一般的にはこの1都3県を「東京圏」というが、都心から離れた地域も含まれる一方、東京都心(中央区・千代田区・港区)から比較的距離が近い茨城県南部が含まれないことから、東京都心から同心円状70km圏内と定義されるなど、東京圏の範囲は曖昧である。
関西は、関東に対して「逢坂の関(現在の滋賀県大津市)」から西を指す名称で、大阪府・京都府・兵庫県・滋賀県・奈良県・和歌山県の2府4県を指すのが一般的だが、さらに三重県を含めた2府5県や、西日本一帯を指すこともある。
近畿は、畿内(山城国・大和国・摂津国・河内国・和泉国の5国)の近隣地域という意味で、関西の2府4県に三重県を含めた2府5県を指す。
京阪神は、京都市、大阪市、神戸市の3市の総称。これら3市を中心とした近畿地方の主要部を指してもいう。
関西と近畿は全く同じ地域を指すこともあり、使い分けが明確でないが、「関西」を使うのは民間が多く、行政では主に「近畿」を使うことが多い。
国名「日本」の読み方には、「ニホン」と「ニッポン」がある。
昭和9年に正式な呼称を「ニッポン」とする「国号呼称統一案」が発表されたが採択にはいたらず、正式な国の呼称は「ニホン」でも「ニッポン」でも正しいとされている。
日本放送協会(NHK)では、正式な国号として使う場合は「ニッポン」、そのほかの場合は「ニホン」と言ってもよいとしている。
「日本」は「日の本」の意味で、大化の改新の頃には「日本」の表記がある。
当時の読みは「ヒノモト」と、昔の国号「大和」を引き継いだ「ヤマト」で、「ニッポン」と音読されるようになったのは奈良時代以降。
この「ニッポン」という読みは、呉音読み「ニチホン」が音変化したものである。
「ニホン」は「ニッポン」よりも後に生まれた読み方で、「ニホン」と読まれるようになった理由は定かではない。
通説としては、平安時代にひらがなが生まれたが、当初、ひらがなには促音や半濁音の表記がなかったため、「にっぽん」に含まれる促音の「っ」が抜け、半濁音の「ぽ」が「ほ」になって、「にほん」と読むようになったといわれる。