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「オセロ」と「リバーシ」の違い

オセロとリバーシは、盤面に表裏白黒の円盤状の駒を置き、自分の駒で挟んだ相手の駒を裏返しにして自分の色に変え、最終的な駒の多さを競う2人用のボードゲームである。

リバーシよりもオセロの方が有名であるが、歴史的にはリバーシの方が古い。

リバーシは1883年にイギリスで考案されたゲームで、日本には明治時代に入り「源平碁」という名で打たれていたといわれる。

当時のリバーシのルールは、駒の色も自由、盤面の色も自由、マス目の数も自由、中央の4マスに並べる最初の駒の配置も自由、最初に駒を打つ色も自由で、相手の駒を挟んで反転させること以外、ルールらしいルールがなかった。

オセロゲームは、1970年代に茨城県水戸市の長谷川五郎が考案したものである。

オセロには、8×8のマスの緑色のオセロ盤を使う。駒の色は表裏白黒。最初、中央の4マスに置く駒は、右上と左下が黒、左上と右下が白となるように配置する。先手は黒色。打てるマスが全くない時以外はパスできないなどの細かなルールがある。

オセロは1973年にツクダから商品化され、ヒット商品となった。

商品化の際に「オセロ」という名は商標登録され、盤面の色や駒の色などは意匠登録されていたため、他社が類似商品を販売することはできなかった。

しかし、意匠権は登録から20年で失効となる。

商標権は維持されるため「オセロ」という商標名を使用しての販売は無理だが、1993年以降は、類似ゲームを販売することが可能になった。

そこで、細かなルールが決まっておらず、オセロのルールにも当てはめられる「リバーシ」が再利用されるようになった。

盤面の色やマス目の数、駒の色などをオセロに模したものが「リバーシ」という名で販売されるようになったのである。

そのため、現在のオセロとリバーシに大きな違いはなくなっているのだが、主な違いといえば、オセロはその名を使用できるのが商標権を所有する株式会社メガハウスと、株式会社メガハウスに使用承諾を許可されたところのみで、基本ルールに従う必要があるゲーム。

リバーシは誰でも使用できる名前で、必ずしもオセロのルールに従う必要はないという点である。


「卓球」と「ピンポン」の違い

温泉旅館など遊戯でする卓球は「ピンポン」とも呼ばれるが、競技としての卓球を「ピンポン」と呼ぶことはない。

この違いは、卓球(ピンポン)が生まれた経緯に関係している。

卓球は、テニスを室内遊戯として楽しもうとしたことに始まる。

最初はボールにコルク栓などが使われていたが、セルロイドの球とラケットがセットになった商品が発売された。

この商品の商品名が「ピンポン(ping-pong)」で、「ピン」は球がテーブルに弾む音、「ポン」は球がラケットに当たった時の音である。

この商品が人気となって、スポーツとしても認知されるようになり、イギリスでは「ピンポン協会」と「テーブル・テニス協会」が発足された。

しかし、協会発足後に「ピンポン」が商標登録されていることを知り、ピンポン協会は法律問題になることを避けるため解散し、この競技の協会は「テーブル・テニス協会」のみとなった。

「テーブル・テニス」を日本語に訳すと「卓球」になるため、競技としては「卓球」の呼称が使用される。

一方で、「ピンポン」は世界中に登録商標された商品であるため、競技以外では「ピンポン」とも呼ばれるのである。

また、ピンポンの語源である「ピン」と「ポン」という音は、ゆっくり打たないと出なため、「ピンポン」はお遊びという認識にも繋がり、競技としての卓球を「ピンポン」と呼ぶことは、選手に対し「卓球が下手だ」と言っているようなものになる。


「関東雛」と「京雛」の違い

関東で作られる雛人形を「関東雛」、京都で作られる雛人形を「京雛」という。

関東雛と京雛では、顔立ちに違いがあり、雛人形を飾る際の並べ方も、男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の座る位置が左右反対である。

顔立ちの特長として、関東雛は目が大きめで、口元がふっくらしており、優し気な表情をしているものが多い。

京雛は切れ長の目で、鼻筋が通っており、高貴で品のある表情をしているものが多く、鼻筋を中心に見ると見分けやすい。

男雛と女雛の座る位置は、関東雛では、向かって左に男雛、向かって右に女雛。

京雛では、向かって右に男雛、向かって左に女雛となっている。

日本では、古来から右よりも左の方が上位とされており、京雛は御所における玉座の位置に従い、左(向かって右)に男雛、右(向かって左)に女雛が座っている。

関東雛がその反対となっているのは、大正天皇が関係しているといわれる。

明治時代に多くの西洋文化が日本に入ったが、国際儀礼では日本とは反対で、右が上位、左が下位とされているため、大正天皇の即位の礼では、天皇陛下が洋装で皇后陛下の右に立たれた。

ここから、雛人形の座る位置も、右(向かって左)に男雛、左(向かって右)に女雛という形が、関東を中心に広がっていった。

全国的には関東雛が多いため、座り位置も向かって左に男雛という形が一般的だが、関西では京雛が多く、左右のどちらが正しいとは決まっていない。


「王将」と「玉将」の違い

一組の将棋駒で、「飛車」「角行」「金将」「銀将」「桂馬」「香車」「歩兵」は両者一対となっているが、「王将(王)」と「玉将(玉)」だけは、それぞれ1枚ずつしかない。

王将と玉将は、大将・主将に相当するため、「玉将」は「王」に点を付けたものと思われがちだが、元々は「玉将」しかなく、「玉」から点を取ったのが「王将」である。

王将が生まれた由来は不明だが、「玉」と「王」の字が似ているため一方を「王」にしたとする説や、豊臣秀吉が「王でないと気に入らない」「王は一人でよい」と言って一方の点を取ったなど諸説ある。

「玉」は宝石を表す言葉で、他に「将」が付く「金将(金)」と「銀将(銀)」も、宝物に通じる言葉が使われている。

王将と玉将の駒の動きに違いはなく、同じ機能の駒である。

慣例として、上位の者が「王将」、下位の者が「玉将」を使うという違いはあるが、先手と後手の決め方は振り駒であるため、王将と玉将で先手・後手が決まることもない。

上位者と下位者以外は、将棋を進める上で王将と玉将に違いはなく、あるのは下記のような表現上の違いである。

棋譜の読み上げでは、「王将」も「玉将」も「ぎょく」という。

自分側の王将(玉将)を「自玉」、相手側の王将(玉将)を「敵玉」という。

棋譜・局面図に「王」を使うと、どっちがどっちを向いているか分かりにくため、王将も「玉」で表す。

「王手」と言うが「玉手」とは言わない。

将棋のタイトルに、「王将戦」はあるが「玉将戦」はない。

村田英雄の歌に「王将」はあるが、「玉将」は歌っていない。

「餃子の王将」や「大阪王将」はあるが、「餃子の玉将」や「大阪玉将」はない。


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「切符」と「きっぷ」の違い

交通機関が発行する乗車券の「切符」。

一般には漢字表記しているが、JRでは「きっぷ」とひらがな表記しており、他の鉄道会社も多くは「きっぷ」とひらがな表記している。

JRが切符を「きっぷ」にしている理由は、幼い子どもなど漢字が読めない人のためではなく、乗車券ではないものを「切符」としているためである。

JRで「切符」は、旅客関係以外で現金を受け取る時や、内部帳票などを指し、「手回り品切符」「一時預かり品切符」「遺失物切符」などに使われる表記である。

そのため、乗車券を販売する場所を「切符売り場」と漢字表記する訳にはいかない。

それならば、「乗車券売り場」にすれば良いように思えるが、「きっぷうりば」では乗車券以外にも販売されているものがある。

「きっぷうりば」で販売されているものには、乗車券(普通乗車券、定期券、回数券、団体乗車券)、特急券、急行券、グリーン券、寝台券、指定席券、乗車整理券、ライナー券などで、旅客営業制度上、これらをまとめて「乗車券類」という。

このことから、本来は「乗車券類売り場」が適当となるのだが、「乗車券類」は一般に馴染みの薄い言葉で、乗客にとっては分かりづらい。

そのため、馴染みのある「切符」に近づける形で、案内表示には「きっぷ」とひらがな表記をし、「切符」と「きっぷ」で使い分けるようになったのである。


「サービスエリア」と「パーキングエリア」の違い

高速道路の休憩施設には、サービスエリアとパーキングエリアがある。

パーキングエリアよりもサービスエリアの方が規模が大きく、充実した施設のイメージがあるが、イメージ通りの違いとはなっていない。

サービスエリアは、おおむね50kmおき(北海道は80kmおき)に設置され、休憩所、駐車場、トイレ、売店、レストラン、ガソリンスタンドが備わっている。

パーキングエリアは、おおむね15kmおき(北海道は25kmおき)に設置され、駐車場、トイレ、必要に応じて売店が備わっているのが一般的な形となっている。

多くのサービスエリア・パーキングエリアは、上記のような施設となっているが、国土交通省の説明でも「一般的には」としているように、必ずしも全てのサービスエリア・パーキングエリアにいえることではなく、利用状況に応じて設備や規模は異なり、明確な定義・違いがあるわけではない。

サービスエリアの中にも、駐車場のほかに、トイレと売店のみ、トイレと自販機のみというところもあり、レストランが併設されたパーキングエリアもある。

また、刈谷パーキングエリアのように、フードコート・温泉・観覧車といった施設を有するハイウェイオアシスに連結したパーキングエリアもある。


「カヌー」と「カヤック」の違い

カヌーは、ボートのようにオールを使って後ろ向きに進むのではなく、パドル(櫂)を漕いで前向きに進む小舟で、カヤックもカヌーの一種である。

カヌーを大別すると、カナディアンカヌーとカヤックに分けられ、カヌーとカヤックを区別する際は、カナディアンカヌーを指して「カヌー」という。

カヌー(カナディアンカヌー)とカヤックの違いは、パドルのブレード(水かき)の違いである。

カヌーには、水をかくブレードが片方に付いたパドル(シングルブレードパドル)が使用され、パドルを左右に持ち替えて、進行方向を調整する。

二人で乗る場合は、左右のブレードを分担して、進行方法を調整することができる。

カヤックは、両端にブレードが付いたパドル(ダブルブレードパドル)を使用するため、持ち替えずに漕ぐことができる。

また、全てのカヌーとカヤックに言えることではないが、カヌーはデッキが広く開いたオープンデッキ。

カヤックは座席部分以外が閉じられたクローズドデッキで、カヌーに比べて強度が高く、船体が細長く、気密性の高いものが多い。

上記のような構造の違いは、使用目的の異なるものが原型となっているため。

カヌーは木の幹をくり抜いて作られた丸木舟で、カナダの先住民が移動手段として使用していたもの。

一方のカヤックは、エスキモーが海で狩猟のために使用していたものである。


「トラック」と「ダンプカー」の違い

トラックは、貨物自動車全般を指し、荷台がフラットになった「平ボディ」、荷台がアルミ製の箱型になった「バンボディ」、バンボディの両側が開く「ウイングボディ」、保冷車や冷蔵冷凍車、タンクローリー、ミキサー車、トレーラー、霊柩車など多くの種類がある。

また、積載量によって「小型トラック」「中型トラック」「大型トラック」にも分けられる。

ダンプカーも貨物を運搬する車なので、トラックの一種。

「ダンプ(dump)」は「どさっと落とす」という意味の英語で、ダンプカーは、荷台部分を傾斜させ、積荷を一気に滑り下ろすための装置が付いた車である。

主に、土や砂利、産業廃棄物の運搬に使用される。

ダンプカーは大型のものが多いため、大型トラックを指して「ダンプ」と呼んだり、大型トラックの運転手を「ダンプの運ちゃん」などと呼ぶこともあるが、上記のような仕様のトラックでなければダンプではない。

なお、「ダンプカー」は和製英語で、英語では「ダンプトラック(dump truck)」という。

英語にも「ダンプカー(dump car)」という言葉はあり、積荷を一気に下ろせるように傾斜する構造のものだが、自動車ではなく鉄道車両である。


「スキューバダイビング」「シュノーケリング」「スキンダイビング」の違い

スキューバダイビングとは、圧縮空気を詰めたボンベと、水深に応じて供給空気量を自動調節する弁の付いた送気管、マウスピースなどからなる潜水用水中呼吸装置の「スキューバ」を背負って水中に潜るもの。「スクーバダイビング」ともいう。

日本の法律上、レジャー目的でスキューバダイビングするのに資格は必要ないが、器材を用いたり深く潜ることで危険も生じるため、ダイビング指導団体による講習の受講を修了した者に発行される「Cカード(技能認定カード)」の提示が義務付けられているところがほとんどである。

シュノーケリングとは、スキューバを用いず、水中眼鏡・フィン(足ひれ)をつけ、シュノーケルで呼吸しながら、水面や比較的浅い水中を遊泳するもの。「スノーケリング」ともいう。

スキューバダイビングに比べ、必要な器材が少なく軽量で、安価にでき、Cカードを取得する必要もない。

スキンダイビングに使用する器材は、シュノーケリングと同じであるため、同義に扱われることもあるが、シュノーケリングは水面を遊泳するもので、スキンダイビングは潜水である。

スキンダインビングの水深は5m程度から、熟練すれば20~30mまで潜水できる者も多い。

スキンダイビングのうち、競技性のあるものは「フリーダイビング」と呼ばれる。

スキンダイビングは「素潜り」と訳され、ほぼ同義である。

しかし、「素潜り」といった場合、使用するものは水中眼鏡程度で、シュノーケリングやフィンなどの器材を使用しない潜水をいうことも多く、全くの同義とはいえない。


「レギュラー」と「ハイオク」の違い

ガソリン車の燃料として使われるガソリンには、レギュラーとハイオクがある。

「プレミアムガソリン」とも呼ばれるハイオクは、「ハイオクタン価ガソリン」の略で、オクタン価が高い(ハイ)ガソリンのこと。

レギュラーは、ハイオクに対して標準のガソリンであることを表す。

オクタン価とは、異常燃焼・ノッキングのしにくさを示す指数のこと。

オクタン価が高いほど引火点が高く、燃えにくいが、高馬力が出るため、スポーツカーや大型車に使用される。

オクタン価の高いガソリンで燃焼するよう設計されたハイオク限定車にレギュラーガソリンを使うと、ノッキングを起こしやすく、エンジン故障の原因にもなる。

ハイオク仕様以外の車にハイオクを入れた場合は、エンジントラブルなどはない。

しかし、ハイオク仕様以外の車はオクタン価が低くても正常に燃焼するよう設計されているため、値段の高いハイオクを入れるメリットはなく、わずかに燃費がよくなる可能性があるものの、ガソリン代との比ではない。

オクタン価は0~100の数値で表される。

日本では、レギュラーのオクタン価が89以上96未満、ハイオクが96以上とJIS規格によって定められている。

欧州のガソリンは、オクタン価「91」「95」「98」の3種類あるが、「91」はほぼ流通しておらず、「95」がレギュラー、「98」がハイオクとして扱われ、一般的にはレギュラーの「95」が使用されている。

日本でも「95」はレギュラーになるため、欧州車にはレギュラーを入れても良さそうだが、多くの輸入車はハイオク指定されている。

これは、実際に販売されているガソリンのオクタン価に違いがあるため。

JIS規格で「95」はレギュラーに相当するが、日本で実際に販売されているガソリンは、レギュラーが90~91程度、ハイオクが98~100程度で、「95」以上のガソリンを入れようとすれば、ハイオクを入れなければならず、欧州ではレギュラーで大丈夫な車が、日本ではハイオク指定となるのである。


「ハイキング」「ピクニック」「遠足」の違い

ハイキングとピクニックと遠足の違いは目的にあり、行く場所が同じであったとしても、目的によって使い分けされる。

ハイキング(hiking)は、直訳すると「徒歩旅行」で、健康維持や自然を楽しむため、山野を歩くことをいう。

歩くことが目的の中心にあるため、移動手段は必ず徒歩である。

ピクニック(picnic)は、直訳すると「食事を持参しての遠足」。

自然を楽しみながら、野外で食事をすることが目的の中心であるため、移動手段は特に重視されておらず、徒歩であるとは限らない。

遠足は、遠い道のりを歩くことが本来の意味。

しかし、現代では、運動や見学などを目的として行う学校行事のことをいう。

そのため、移動手段が徒歩とは限らず、バスや電車などによる日帰りの小旅行も含めて「遠足」という。


「温泉」と「鉱泉」の違い

地下水が自然に地表に湧き出ているところや、その湧き出た水を「泉」という。

泉の中でも水温が高いものを「温泉」と呼び、高くないものは「鉱泉」や「冷泉」と呼ばれる。

「温泉」と呼ばれる水温の境界線は国によって異なり、日本では25度以上、アメリカでは21.1度以上、ドイツでは20度以上で、これより低いものが「鉱泉」「冷泉」である。

上記のままであれば、25度未満の湧水は温泉でないことになるが、水温が低い温泉も存在する。

昭和23年(1948年)に施行された温泉法の定義では、治癒成分が含まれていなくても25度以上であるか、水温が低くても塩分・鉄分・硫黄など19種類の鉱物質のうち、いずれかひとつでも含有量が限界値以上であればよく、広義には鉱泉も温泉である。

しかし、「温泉」といえば温かいものと考えるのが普通であるため、一般的には鉱泉の中でも25度以上を「温泉」と呼び、25度未満を「鉱泉」や「冷泉」と呼び分けられているのである。

また、泉温(鉱泉が地上に湧き出たときの温度)によって細かく分類する際は、25度未満は「冷鉱泉」、25度以上34度未満は「低温泉(微温泉)」、34度以上42度未満は「温泉」、42度以上を「高温泉」と呼ぶ。


「冒険」「探検」「探険」の違い

冒険の「険」は、「けわしい」という意味。

冒険は、危険をおかすことや、危険を承知で行うこと、成功の確かでないことをあえてやってみることを意味する。

探検の「検」は、「調べる」という意味。

探検は、未知の地域などに入り、探り調べることで、未知の世界というのは危険が予想されることから、危険を冒して実地を探るという意味でも使う。

探検が「危険を冒す」の意味も含んで使うことから、「検」を「険」に置き換えたのが「探険」であるが、危険の有無など、微妙な意味の違いによって「探検」と「探険」が使い分けされることはなく、普通は「探検」と書く。

なお、危険を冒すことは調べることには繋がらないため、「冒険」を「冒検」と書くのは間違いである。


「船」と「舟」の違い

船は、水上を移動する乗り物の「ふね」を表す一般的な表記で、大きさや動力の有無に関わらず用いる。

舟は小型で手漕ぎのものを表し、海を渡る大きなものには用いないことから、船と舟を使い分ける場合は、小型で手漕ぎのものを「舟」、大型のもの・動力がついたものを「船」と書く。

船舶は船と同じ意味だが、船に比べて改まった場合に使うことが多く、海商法上は、商行為を目的とした手漕ぎ以外のものを指す。

船舶の「舶」の字は、海を渡る大きな船を表し、舶来や舶貨など、外国から船を使って渡ってくる意味の言葉に使われる。

ふねを表す漢字には、「船」「舟」「舶」以外に「艇」や「艦」もある。

艇は「舟」に「延(のばす)」と書くように、細長い小舟を表した漢字で、主に、小型で動力がついたボートなどを表す際に使われる。

艦は「舟」に「監(かこい)」で、敵の攻撃を防ぐために囲った船を意味し、軍艦や潜水艦など、軍用の船を表す。


「タクシー」と「ハイヤー」の違い

タクシー(taxi)は、求めに応じて目的地まで旅客を運び、基本料金・走行距離・時間などから料金を取る営業用自動車。

ハイヤー(hire)は、英語では「賃貸」「雇用」を意味する言葉で、営業所から派遣する運転手つきの貸し切り乗用車のこと。

タクシーは駅前等のタクシー乗り場や、街中の流し、無線配車によって旅客を乗せるが、ハイヤーは完全予約制で流し営業をしない。

タクシーの料金体系は、基本的に時間・距離などによるメーター制で、乗車地から降車地までが対象であるのに対し、ハイヤーは営業所の車庫から出て車庫に戻るまで間が課金対象である。

ハイヤーはメーター制ではないため、タクシーメーターが無いイメージもあるが、道路運送法ではハイヤーもタクシーの一種という位置づけで、営業許可を取るためにはメーターが必要なため、メーターは旅客から見えない位置に設置されている。

移動手段のみで考えればタクシーよりも割高なハイヤーだが、ハイヤーは交通機関の中でも高い付加価値を持った個別輸送機関といわれるように、タクシーにはない車内での過ごしやすさ、格式がある。

タクシーが街中で旅客に目立つよう車体の色はさまざまであるのに対し、ハイヤーは黒塗りの高級車が多いが、関西・中部では黒塗りのタクシー(黒タク)が多い。

これは、タクシーの屋上灯を取り外し、メーターをカバーで覆うなどして、ハイヤーとしても利用できるよう合理的にしたもので、このようなタクシーは「セミハイヤー」は呼ばれる。

街中での流し営業よりも、電話で予約し配車されるハイヤー式のタクシーが多い田舎の場合は、タクシーとハイヤーが同一のこともある。

特に、北海道の高齢層や都市部以外の地域に住む人が、タクシーを「ハイヤー」と呼んでおり、北海道ではタクシー会社の名称に「ハイヤー」が入ったものも多い。


「ハイブリッドカー」と「エコカー」の違い

ハイブリッドカーの「ハイブリッド」は「混合」という意味。

ガソリンエンジンと電気モーターなど、2つ以上の動力源を持つ自動車を「ハイブリッドカー」と呼ぶ。

走行条件によって、エンジンのみ、モーターのみ、エンジンとモーターの同時を使い分けて走行するため、ガソリンの消費が抑えられ、燃費も良くなる。

エコカーは和製英語で、「エコ」は「エコロジー」のこと。

大気汚染物質の排出が少なく、環境への負担が少ない車を総称して「エコカー」「低公害車」「環境対応車」などと呼ぶ。

エコカーと呼ばれるものには、エネルギー源に電気を使用する「電気自動車」、天然ガスを燃料とする「天然ガス自動車」、水素を燃焼させて走る「水素自動車」などがあり、他にも数種類の自動車が含まれる。

ハイブリッドカーもエコカーの一種である。


「登山」「トレッキング」「ハイキング」の違い

登山とトレッキングとハイキングは、それぞれに目的が異なるため、要する時間や道具も異なる。

登山は、山に登ること広く指す言葉であるが、主に、頂上を目指して登ることをいう。

高い山を上るから低い山を登るものまでさまざまあり、整備された登山道を歩くもの、登山道のないところを登るものがある。

そのため、日帰りの登山もあれば、何日もかけて登るものもある。

また、ザイルやハーケンなどを使って岩を登る「岩登り」や、ピッケルなどを使う「雪山登山」があり、登る山によって使用する道具も異なる。

トレッキングは、山歩き。特に、高山の麓(ふもと)を歩いて風景などを楽しむことをいう。

自転車やスキーによるトレッキングなどもあり、必ずしも徒歩である必要はないが、登山のように山頂を目指して登るものではない。

長い距離を何日もかけて歩くものが多いため、険しい高山を登るほどは道具を必要としないが、低い山の登山道を歩くよりは道具が必要となる。

ハイキングは、自然を楽しむために野山などを歩くことをいう。

自然の中を歩くことが中心であるため、必ずしも山に登る必要はない。

ハイキングは平坦地が中心で、基本的には日帰りのため、軽装で行える。


「飛行機」と「航空機」の違い

航空機は大気中を飛行する機器の総称で、飛行機は航空機の一種。

航空機は、空気より軽い「軽航空機」と、空気より重い「重航空機」に分けられる。

軽航空機には「気球」や「飛行船」があり、重航空機には「グライダー」や「ヘリコプター」「飛行機」がある。

更に、重航空機は、動力を持たない「グライダー」、動力を持つもののうち翼が回転する「ヘリコプター」、動力を持つもののうち翼が固定されている「飛行機」等に分けられる。

飛行機は航空機の代表格なので、一般的に「航空機」といえば「飛行機」を指していることが多いが、航空機が必ずしも飛行機とは限らないのである。


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「にわかファン」と「ミーハーなファン」の違い

スポーツや音楽のファンの中には、「にわかファン」や「ミーハー」と呼ばれる人たちがいる。

無知であるにもかからわず知ったかぶりをする人や、本質的な部分の良さを知らずにファンを公言したりする人を揶揄する際に共通して使われるが、これらは派生した意味の使われ方であり、本来の意味には違いがある。

にわかファンの「にわか」は、物事が急に起こるさまや、一時的であるさまを意味する言葉で、それまで全く興味を持っていなかったのに、何かをきっかけに突然ファンになる人のことを「にわかファン」という。

また、突然降ってきて突然やむ雨を「にわか雨」というように、急に盛り上がりすぐに冷めるファンという意味でも「にわかファン」は使われる。

ミーハーの意味は、流行りもの飛びついて熱中しやすい人のことで、「ミーハーなファン」といえば、流行に乗ってファンになっている人をいう。

つまり、にわかファンは「突然ファンになった人」「熱しやすく冷めやすいファン」という、時間的なことを表した言葉。

ミーハーなファンは「流行に乗ったファン」という、きっかけの部分を表した言葉という点に違いがある。

「にわかファン」の中には、流行に乗って突然ファンになった人もいる。

そのような人は「ミーハーなファン」と同じだが、必ずしも「にわかファン」だからといって流行に乗った人とは限らない。

たとえば、オリンピックで日本代表選挙が戦っている姿を見て、以前から熱烈だったかのように応援し始める人がいる。

同じ日本人として応援したくなるというのは当然の心理であり、流行に乗ったというわけではない。

しかし、それまで興味がなかったので、熱心に応援する割には無知である。

そのため、にわかファンもミーハーなファンのように、流行に乗っただけの人に見えるのである。


「体幹」と「インナーマッスル」の違い

体幹とは、頭と四肢(両手と両脚)を除いた部分。つまり、胴体ことである。

また、胴体にある筋肉のことも「体幹」とも呼ぶ。

この筋肉を「インナーマッスル」と呼んだりするが、体幹にはインナーマッスルとアウターマッスルが存在する。

アウターマッスルとは、皮膚の上からでも触ることができる三角筋・大胸筋・腹直筋などの筋肉。

体の表面に近いところ、浅いところにあることから「表層筋」や「浅層筋」ともいう。

インナーマッスルとは、大腰筋・腸骨筋など、体の深部にある比較的小さい筋肉で、体の奥深いところにあることから「深層筋」ともいう。

インナーマッスルもアウターマッスルも、胴体に限らず、腕や脚などにも存在する。

つまり、体幹は筋肉のある「場所」、インナーマッスルは筋肉が存在する場所の「深さ」を表す。

「体幹を鍛える」といえば、胴体の筋肉(インナーマッスルとアウターマッスルの両方)を鍛えること。

「インナーマッスルを鍛える」といえば、体(体幹に限らず全身)の奥深いところにある筋肉を鍛えることである。

このように、体幹とインナーマッスルは全く違うものである。

しかし、コアマッスル(体幹にある筋肉)を「体幹」と呼ぶ時には、特に、体幹のインナーマッスルを指すことが多いため、一般には「体幹=インナーマッスル」として扱われている。


「卓球」と「ピンポン」の違い

温泉旅館など遊戯でする卓球は「ピンポン」とも呼ばれるが、競技としての卓球を「ピンポン」と呼ぶことはない。

この違いは、卓球(ピンポン)が生まれた経緯に関係している。

卓球は、テニスを室内遊戯として楽しもうとしたことに始まる。

最初はボールにコルク栓などが使われていたが、セルロイドの球とラケットがセットになった商品が発売された。

この商品の商品名が「ピンポン(ping-pong)」で、「ピン」は球がテーブルに弾む音、「ポン」は球がラケットに当たった時の音である。

この商品が人気となって、スポーツとしても認知されるようになり、イギリスでは「ピンポン協会」と「テーブル・テニス協会」が発足された。

しかし、協会発足後に「ピンポン」が商標登録されていることを知り、ピンポン協会は法律問題になることを避けるため解散し、この競技の協会は「テーブル・テニス協会」のみとなった。

「テーブル・テニス」を日本語に訳すと「卓球」になるため、競技としては「卓球」の呼称が使用される。

一方で、「ピンポン」は世界中に登録商標された商品であるため、競技以外では「ピンポン」とも呼ばれるのである。

また、ピンポンの語源である「ピン」と「ポン」という音は、ゆっくり打たないと出なため、「ピンポン」はお遊びという認識にも繋がり、競技としての卓球を「ピンポン」と呼ぶことは、選手に対し「卓球が下手だ」と言っているようなものになる。


「運動会」と「体育祭」の違い

学校で行われるスポーツ行事は「運動会」や「体育祭」と呼ぶが、幼稚園・小学校が「運動会」、中学校・高校では「体育祭」と呼ぶところが多い。

このように呼び分けられているのは、運動会は運動競技や遊戯を楽しむものだが、体育祭は授業の成果や練習の成果を発揮するものといった目的の違いにあると考えられる。

保育園・地域・職場など、学校教育以外の場でも「運動会」と呼ばれるのは、体を動かすことが主たる目的で、成果を発揮するものではないためである。

また、運動会の運営は先生が中心となるが、体育祭は生徒が中心となって行事の運営をする。運動会には保護者が参加する競技があるが、体育祭には保護者の参加がないといった違いもある。

このような運営主体、保護者の参加有無なども、成果を発揮する行事かという点に通じるものである。

その他、運動会では「かけっこ」、体育祭では「短距離走」と呼び分けるといった違いや、運動会は紅白に分かれるが、体育祭ではクラスで分かれることを挙げられることもあるが、運動会でも「短距離走」と呼んだり、体育祭でも紅白に分かれるところもあり、共通の違いとはいえない。


「力士」と「関取」の違い

相撲を取ることを職業とする人のことを力士や関取と呼ぶが、力士は相撲を取る人の総称、関取は十両以上の番付(階級)の力士の敬称である。

相撲部屋に所属し、四股名を持つ人であれば、番付に関わらず「力士」であるが、相撲を取る人でも、学生相撲や実業団相撲などのアマチュア相撲の選手は含まれない。

つまり、日本相撲協会に所属する大相撲の選手の総称が「力士」。「相撲取り」「お相撲さん」とも呼ばれる。

相撲の番付は上から順に、横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口、番付外となっている。

このうち、十両以上の力士を「関取」と呼び、幕下以下の力士は「取的(とりてき)」「ふんどし担ぎ」「力士養成員」などと呼ばれる。

四股名の下に添える「〇〇関」という敬称は、「関取」の略であるため、幕下以下の力士を「〇〇関」と呼ぶのは間違いで「〇〇さん」と呼ぶ。

一人前の力士として認められるのが、十両に昇進した力士。つまり、関取であるため、関取と幕下以下の力士では、待遇に様々な違いがある。

関取には日本相撲協会から給料が出されるが、幕下以下の力士には給料がなく、部屋で支給される食事や、先輩力士からの小遣いで生活をする。

幕下以下の力士は大部屋で共同生活をするが、関取には専用の個室が用意されたり、部屋を出て一人暮らしすることが許される。

結婚が許されるのも、関取になってからである。

関取は大銀杏を結うことが許されるが、幕下以下の力士は大銀杏ではないちょんまげを結う。

関取は化粧まわしで土俵入りを披露するが、幕下以下の力士は化粧まわしも、土俵入りもない。

幕下以下の力士のまわしは、本場所用と稽古用は同じ木綿製の黒色のまわしだが、関取のまわしは、本場所用は繻子製で、稽古用のまわしは木綿製の白色である。

関取は正装として紋付袴の着用が許されるが、幕下以下の力士は袴の着用を許されていない。

本場所の取り組み数は、関取が15番であるのに対し、幕下以下の力士は7番。

関取は塩撒きや力水の儀式ができ、幕下以下の力士はできないが、幕下の取組では、時間が余っている時や十両と取組をする際に塩巻きができる。

関取には土俵下の控の座布団が用意される。前頭以上の幕内力士は四股名の入った専用の座布団、十両は共用の座布団で、幕下以下の力士は薄い板である。

関取になると付け人がつくようになり、付け人となるのが幕下以下の力士である。

飛行機の移動は、関取がビジネスクラス(横綱と大関はファーストクラス)、幕下以下の力士はエコノミークラスである。

サインができるのは関取からで、幕下以下は基本的にサインができないが、初切や弓取り式を行う力士に限ってサインをしても良いことがある。


「ヨガ」と「ピラティス」の違い

ヨガ(ヨーガ)とピラティスは似たものと思われがちだが、ヨガとピラティスでは、成り立ちや技法、使用する道具など、多くの違いがある。

ヨガは元々、古代インドに伝わる宗教的な修行法で、心身を鍛錬し、精神を統一して悟りを開くことを目的としたもので、精神面に重点が置かれる。

一方のピラティスは、第一次世界大戦の時、ドイツ人の従軍看護師ジョセフ・ピラティスが考案したリハビリ用のエクササイズから発展したもので、肉体面(インナーマッスル)に重点が置かれる。

ヨガとピラティスの技法で最も異なる点は、呼吸法。

ヨガはお腹を膨らませたりへこませたりして息をする腹式呼吸で、副交感神経が優位になるため、筋肉をやわらげ、リラックスすることができる。

ピラティスは胸を膨らませたりしぼめたりして息をする胸式呼吸で、交感神経が優位になるため、興奮した状態となり、筋肉の動きを活発にすることができる。

ヨガとピラティスのポーズは似ているものも多いが、ヨガは静止が基本で瞑想があるのに対し、ピラティスに瞑想はなく、ゆっくりとした動きではあるが一連の流れに沿って体を動かす。

ヨガで使用する道具は、ヨガマットとヨガブロックぐらいであるが、ピラティスはマットやブロックに加え、バランスボール(エクササイズボール)、セラバンド(エクササイズバンド)、フォームローラー(ストレッチポール)、フィットネスサークル(レジスタンスサークル)など、使用する道具の種類が多い。

また、ピラティスにはヨガのようにマットの上で行う「マットピラティス」のほかに、ジョセフ・ピラティスが開発したピラティス専用器具を使用する「マシンピラティス」がある。


「カヌー」と「カヤック」の違い

カヌーは、ボートのようにオールを使って後ろ向きに進むのではなく、パドル(櫂)を漕いで前向きに進む小舟で、カヤックもカヌーの一種である。

カヌーを大別すると、カナディアンカヌーとカヤックに分けられ、カヌーとカヤックを区別する際は、カナディアンカヌーを指して「カヌー」という。

カヌー(カナディアンカヌー)とカヤックの違いは、パドルのブレード(水かき)の違いである。

カヌーには、水をかくブレードが片方に付いたパドル(シングルブレードパドル)が使用され、パドルを左右に持ち替えて、進行方向を調整する。

二人で乗る場合は、左右のブレードを分担して、進行方法を調整することができる。

カヤックは、両端にブレードが付いたパドル(ダブルブレードパドル)を使用するため、持ち替えずに漕ぐことができる。

また、全てのカヌーとカヤックに言えることではないが、カヌーはデッキが広く開いたオープンデッキ。

カヤックは座席部分以外が閉じられたクローズドデッキで、カヌーに比べて強度が高く、船体が細長く、気密性の高いものが多い。

上記のような構造の違いは、使用目的の異なるものが原型となっているため。

カヌーは木の幹をくり抜いて作られた丸木舟で、カナダの先住民が移動手段として使用していたもの。

一方のカヤックは、エスキモーが海で狩猟のために使用していたものである。


「スキューバダイビング」「シュノーケリング」「スキンダイビング」の違い

スキューバダイビングとは、圧縮空気を詰めたボンベと、水深に応じて供給空気量を自動調節する弁の付いた送気管、マウスピースなどからなる潜水用水中呼吸装置の「スキューバ」を背負って水中に潜るもの。「スクーバダイビング」ともいう。

日本の法律上、レジャー目的でスキューバダイビングするのに資格は必要ないが、器材を用いたり深く潜ることで危険も生じるため、ダイビング指導団体による講習の受講を修了した者に発行される「Cカード(技能認定カード)」の提示が義務付けられているところがほとんどである。

シュノーケリングとは、スキューバを用いず、水中眼鏡・フィン(足ひれ)をつけ、シュノーケルで呼吸しながら、水面や比較的浅い水中を遊泳するもの。「スノーケリング」ともいう。

スキューバダイビングに比べ、必要な器材が少なく軽量で、安価にでき、Cカードを取得する必要もない。

スキンダイビングに使用する器材は、シュノーケリングと同じであるため、同義に扱われることもあるが、シュノーケリングは水面を遊泳するもので、スキンダイビングは潜水である。

スキンダインビングの水深は5m程度から、熟練すれば20~30mまで潜水できる者も多い。

スキンダイビングのうち、競技性のあるものは「フリーダイビング」と呼ばれる。

スキンダイビングは「素潜り」と訳され、ほぼ同義である。

しかし、「素潜り」といった場合、使用するものは水中眼鏡程度で、シュノーケリングやフィンなどの器材を使用しない潜水をいうことも多く、全くの同義とはいえない。


「ハイキング」「ピクニック」「遠足」の違い

ハイキングとピクニックと遠足の違いは目的にあり、行く場所が同じであったとしても、目的によって使い分けされる。

ハイキング(hiking)は、直訳すると「徒歩旅行」で、健康維持や自然を楽しむため、山野を歩くことをいう。

歩くことが目的の中心にあるため、移動手段は必ず徒歩である。

ピクニック(picnic)は、直訳すると「食事を持参しての遠足」。

自然を楽しみながら、野外で食事をすることが目的の中心であるため、移動手段は特に重視されておらず、徒歩であるとは限らない。

遠足は、遠い道のりを歩くことが本来の意味。

しかし、現代では、運動や見学などを目的として行う学校行事のことをいう。

そのため、移動手段が徒歩とは限らず、バスや電車などによる日帰りの小旅行も含めて「遠足」という。


「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」の違い

ゴルフ場の名称に付く「ゴルフクラブ(GC)」と「カントリークラブ(CC)」には明確な違いがあるが、アップダウンの多いコースと少ないコースの違いや、メンバーシップコースとパブリックコースの違いといったものではない。

ゴルフクラブは、その名の通り、ゴルフをプレーするための施設。

カントリークラブは、ゴルフコースに限らず、テニス・水泳・乗馬・保養などの施設を設けたクラブのことである。

名称に「カントリークラブ」が付いているのに、ゴルフコース以外の施設といえば、ショップやクラブハウス、練習場ぐらいしかないと思われるかもしれないが、この違いはあくまで海外の話。

カントリークラブは、アメリカで、田園生活を楽しむ都会人のために、郊外に設けられた複合型レジャーリゾート施設のこと。

これを日本ではゴルフ場の名称として使ったため、カントリークラブなのにテニスや水泳ができない、ゴルフをするだけの施設になったのである。

アメリカのカントリークラブが郊外にあることから、日本では、郊外のゴルフ場の名称に付けられることが多いともいわれるが、「ゴルフクラブ」と「カントリークラブ」のどちらを使うかは、ゴルフ場次第。

そのため、日本に限った話ならば、ゴルフクラブとカントリークラブに違いはないといってよい。


「登山」「トレッキング」「ハイキング」の違い

登山とトレッキングとハイキングは、それぞれに目的が異なるため、要する時間や道具も異なる。

登山は、山に登ること広く指す言葉であるが、主に、頂上を目指して登ることをいう。

高い山を上るから低い山を登るものまでさまざまあり、整備された登山道を歩くもの、登山道のないところを登るものがある。

そのため、日帰りの登山もあれば、何日もかけて登るものもある。

また、ザイルやハーケンなどを使って岩を登る「岩登り」や、ピッケルなどを使う「雪山登山」があり、登る山によって使用する道具も異なる。

トレッキングは、山歩き。特に、高山の麓(ふもと)を歩いて風景などを楽しむことをいう。

自転車やスキーによるトレッキングなどもあり、必ずしも徒歩である必要はないが、登山のように山頂を目指して登るものではない。

長い距離を何日もかけて歩くものが多いため、険しい高山を登るほどは道具を必要としないが、低い山の登山道を歩くよりは道具が必要となる。

ハイキングは、自然を楽しむために野山などを歩くことをいう。

自然の中を歩くことが中心であるため、必ずしも山に登る必要はない。

ハイキングは平坦地が中心で、基本的には日帰りのため、軽装で行える。


「ウォーキング」「ジョギング」「ランニング」の違い

ウォーキングとジョギングとランニングは、まず「歩く」と「走る」に分けられる。

ウォーキングは、左右どちらかの足が必ず地面に接している歩く動作。

ジョギングとランニングは、両足が地面から離れている瞬間がある走る動作である。

ジョギングとランニングの違いは走るスピードにあり、ジョギングよりもランニングの方が早い。

感覚的には、呼吸の乱れや息苦しさを感じず、話しながら走れるのがジョギングである。

走るスピードに厳格な区別はないが、1キロを5分以上かけて走るのが「ジョギング」、5分以内に走るのが「ランニング」といわれる。


カテゴリー:アート


「習字」と「書道」の違い

習字と書道の共通点は、毛筆を使って美しい文字を書くことである。

しかし、この二つは全くの別物で、「美しい文字」の意味にも違いがある。

習字とは、文字を習うこと。文字を美しく正確に書くための練習のこと。

書道とは、毛筆によって文字の美しさを表現する芸術のことをいう。

教科で分けるとすれば、習字は「国語」、書道は「美術」である。

習字でいう「美しい文字」は、お手本通りに正しく整えて書くことであるが、書道でいう「美しい文字」は芸術性のある美しさであり、個性を出して自己表現することが必要となる。

習字には、鉛筆やボールペンで文字を書く「ペン習字」というものもある。

ペン習字は毛筆で文字を書く「習字」に対していう言葉なので、単に「習字」といった場合は毛筆を使って文字を書くことを指す。

ペン習字も「習字」の一種であり、読みやすい美しい文字を書くことが目的であるため、書道のように芸術性のある文字を書くものではない。


「観賞」と「鑑賞」の違い

観賞の「観」は「観光」や「観測」などに用いられるように、見る(観る)の意味があり、観賞は見て楽しむことを意味する。

「植物観賞」や「観賞魚」など、主に、動植物や景色など自然に関することに用いられる。

鑑賞の「鑑」、「鑑定」や「鑑別」などに用いられるように、良く見て品定めをするという意味があり、鑑賞は芸術作品などを理解し、味わうことの意味である。

「音楽鑑賞」や「絵画鑑賞」、「詩を鑑賞する」というように、芸術作品全般に用いられる。

映画の場合、娯楽映画は見て楽しむものなので「映画観賞」、芸術映画であれば「映画鑑賞」と書く。

芝居も、コメディーであれば「観賞」、文芸作品であれば「鑑賞」と書く。

しかし、人生を考えさせられる娯楽映画、芸術的なコメディーもあり、芸能の分野で「観賞」と「鑑賞」を明確に使い分けることは難しく、見た人の感覚によって異なるものである。

また、芸術作品の展示では、ふつう「鑑賞」を使うが、気楽に見て楽しんで欲しいという意図から、「観賞」が使われるケースも多くある。


「クレヨン」と「クレパス」の違い

クレヨンとは、パラフィンや蝋などと顔料を練り合わせた棒状の画材のこと。

クレヨンは硬質なため線描に適しているが、混色・重ね塗り・面描などには適していない。

このような特徴から、クレヨンはクロッキーやスケッチ、線で描くことが中心となる幼児のお絵描きに多く使われる。

日本では、上記のものを指して「クレヨン」というのが一般的だが、広義には鉛筆・コンテ・パステル・チョークなどの棒状の画材を指し、フランス語では、それらを用いた絵画のことまでも意味する。

クレパスとは、クレヨンの主原料に液体油を混ぜ合わせた棒状の画材のこと。

1925年に株式会社サクラクレパスが開発したもので、「クレパス」の名は登録商標となっている。

クレパスの一般名称は「オイルパステル」であり、「クレパス」はオイルパステルの特定商品名である。

「クレパス」の名は、定着性があり簡便だが線描以外に向いていないクレヨンと、微妙で柔らかい色調を表現できるが粉状で定着性のないパステルの長所を併せ持つ画材であることから名付けられた。

クレヨンよりも軟質で伸びが良いため面描ができ、厚塗りができるため、混色・重ね塗り・スクラッチ技法が使えるなど、幅広い表現が可能な画材である。


「陶器」と「磁器」の違い

陶器と磁器を総称して、「陶磁器」「焼き物」「瀬戸物」「唐津物」などと呼ばれるが、陶器と磁器では製造方法に違いがあるため性質も異なり、比較的簡単に見分けることもできる。

陶器は、主な原料に陶土(粘土)を使い、1100~1300度で焼いたもので、「土物」とも呼ばれる。

十分に焼きが締まらないため、磁器に比べて柔らかく吸水性があるが、普通は、光沢のある釉(うわぐすり)を施すため、水を通すことはない。

また、陶器は熱しにくく冷めにくい(熱伝導率が低い)という特徴がある。

日本の有名な陶器には、美濃焼、瀬戸焼、唐津焼、益子焼、信楽焼、萩焼、萬古焼、備前焼などがある。

磁器は、主な原料に陶石を粉砕した石粉を使い、1300度程度で焼いたもので、「石物」とも呼ばれる。

焼きが締まってガラス化しているため、吸水性はほとんどなく、陶器に比べて硬い。

また、磁器は熱しやすく冷めやすい(熱伝導率が高い)という特徴がある。

日本の有名な磁器には、有田焼(伊万里焼)、九谷焼、砥部焼などがある。

陶器と磁器の見分け方には、色合いや透明度、叩いた時の音、重さなどがある。

陶器よりも磁器の方が透明度が高く、淡い色で透かして光を通さなければ「陶器」、白い色で光を通せば「磁器」。

叩いた時に、鈍い音がすれば「陶器」、金属的な高い音がすれば「磁器」。

厚手で重いものが「陶器」、薄手で軽いものが「磁器」である。


「入れ墨」「刺青」「タトゥー」の違い

入れ墨は、針や刃物で皮膚を傷つけ、そこに墨や絵の具などを入れて文字や絵画を描くこと。また、そのものをいう。

刺青は「入れ墨」を意味する文章語で、本来の読みは「しせい」であったが、谷崎潤一郎の小説『刺青(しせい)』が発表されて以降、「刺青」と書いて「いれずみ」と読むようになり、「入れ墨」よりも「刺青」の方が多く用いられるようになった。

つまり、「入れ墨」も「刺青」も同じものである。

ただし、江戸時代に前科のしるしとして、顔や腕に入れられた墨を表す場合は「刺青」とは書かず、「入れ墨」と表記する。

タトゥー(Tattoo)は、刺青の英語表現である。

そのため、「タトゥー」と言う時は西洋的な絵や文字の洋彫りを指し、「刺青」と言う時は日本的な絵や文字の入った和彫りを指すことが多いが、本質的には、タトゥーも刺青も同じもので、両者に違いはない。

洋彫りは機械彫り、和彫りは手彫りというイメージから、機械彫りのものが「タトゥー」、手彫りのものが「刺青」と言われることもあるが、洋彫りと和彫りは、図柄や構図に違いがあるだけで、洋彫りにも手彫りがあり、和彫りにも機械彫りがある。

その他、和柄と洋柄の違いから、ヤクザがするようなものを「刺青」、ファッション的なものを「タトゥー」と呼び分けたり、全身に入れたものを「刺青」、小さく部分的なものを「タトゥー」と呼び分けたりもされる。

しかし、和柄と洋柄をミックスさせたもの、洋柄でも全身に入ったもの、部分的な和柄もある。

また、柄や大きさに関係なく、高齢であるほど「刺青」と呼び、若年であるほど「タトゥー」と呼ぶ傾向にあるため、刺青とタトゥーの使い分けは、人それぞれが持つイメージの違いによるとしか言いようがない。

入れ墨は、刺青やタトゥーのほか、彫り物(ほりもの)、文身(ぶんしん・いれずみ)、紋身(もんしん)、倶利迦羅紋々(くりからもんもん)、紋々(もんもん)とも呼ばれる。


「染料インク」と「顔料インク」の違い

インクジェットプリンターのインクには、染料インクと顔料インクがあり、それぞれにメリット・デメリットがある。

染料インクは、着色成分が溶剤に溶けているインク。

用紙に浸透するため、鮮やかで透明性があり、色の再現度が高い。

印刷表面が滑らかで、光沢感も出やすいため、写真の印刷に適している。

写真専用の用紙など、表面が特殊加工されている用紙であれば、綺麗な発色となる染料インクだが、普通紙の場合はインクが染み込み、滲むこことがある。

また、色が安定するまでに時間がかかり、水や紫外線に弱く、色褪せやすいというデメリットもあるため、長期保存が必要な書類の印刷には適していない。

顔料インクは、着色成分が大きな粒子で溶剤に溶けきっていないインク。

用紙に浸透せず、表面にインクを定着させるため、普通紙でも滲みが少なく、速乾性があり、色の安定も早い。

文字がくっくりと表現され、耐水性・耐光性に優れているため、長期保存が必要な書類の印刷に適している。

繊細な色の表現が難しいため、写真の印刷に不向きだが、普通紙に印刷する場合は、染料インクよりも顔料インクの方が鮮明に印刷される。

粒子が粗いため、プリンターヘッドが目詰まりしやすい。


「デッサン」「スケッチ」「クロッキー」の違い

デッサンは、フランス語の「dessin」から。日本語では「素描」。

スケッチは、英語の「sketch」から。日本語では「写生」。

クロッキーは、フランス語の「croquis」から。日本語では「速写」と訳される。

デッサンは、鉛筆や木炭・コンテなどを使った単色の線描で、線や濃淡で表現する。

対象物となるもの形や質感を捉えることに重点を置いて描いたもので、彩色する前の下絵のこともあり、物事のあらすじについても「デッサン」という。

スケッチは、風景や人物など対象物となるものを、短時間でおおまかに写し取ることに重点が置かれる。

「小品(画)」とも呼ばれ、短い文章で簡単にまとめることや、その作品、小品文なども「スケッチ」という。

クロッキーは、英語の「スケッチ」に相当する語だが、日本では主に、人物の動きや質感を短時間に描いたものを指す。

スケッチに比べて時間が短く、対象物の特徴を瞬間的に捉える目的で描かれたものをいい、「略画」とも呼ばれる。


カテゴリー:音楽・楽器


キリスト教で歌われる宗教歌を英語では「Hymn」と呼ぶが、日本では「聖歌」と「讃美歌」に呼称が分かれる。

この呼称の違いは、教派やグループによる違いである。

「聖歌」と呼ぶ主な教派やグループは、東方教会(正教会・東方諸教会)、カトリック教会、聖公会、プロテスタント諸派の中の日本福音連盟など。

「讃美歌」と呼ぶのは、プロテスタント諸派の中の日本基督教団などである。

なお、「讃美歌」と呼ぶプロテスタント系の宗派でも、合唱団のことは「聖歌隊」と呼び、「讃美歌隊」とは呼ばない。

また、「讃美歌」を「賛美歌」とも表記するのは、「讃」が常用漢字表外のためで、正しくは「讃美歌」である。

「金管楽器」と「木管楽器」の違い

管楽器(吹奏楽器)は、金管楽器と木管楽器に分けられる。

元々は、管体が主にブラス(真鍮)や合金で作られることから「金管楽器」、主に木で作られることから「木管楽器」と呼ばれるようになったが、金属製の管楽器であれば「金管楽器」、木製の管楽器であれば「木管楽器」という訳ではない。

フルートやサクソフォン(サックス)といった金属製の木管楽器、オカリナのような金属製でも木製でもない木管楽器、法螺貝やツィンクなど非金属の金管楽器もあるように、現代では、素材ではなく音を出す仕組みによって、「金管楽器」と「木管楽器」が区別されている。

金管楽器は、トランペット・トロンボーン・ホルン・チューバなど、唇の振動によって音を出す管楽器をいう。

木管楽器は、唇を振動させずに音を出す管楽器。

フルート・リコーダー・尺八のように穴に息を吹き込むことで音を出すものと、クラリネット・サクソフォン・オーボエのようにリード(薄片)を口にくわえて音を出すものがある。


「上演」と「公演」の違い

上演は、主に演劇を舞台で演じることに用いられるが、公演は、演劇以外にも広いジャンルで用いられ、音楽コンサートや舞踊などでは「公演」を用いるのが普通である。

芝居は上演も公演も使うが、その中にも使い分けがある。

上演は舞台で演じることが主となり、公演は公衆の面前で演じることが主となる言葉で、舞台で演じている間が「上演」、ひとつの興行として捉えた場合は「公演」である。

「上演中の写真撮影は禁止」と「公演中の写真撮影は禁止」は、厳密にいえば禁止されている範囲が異なる。

公演は、興行として観客に提供するという意味があるため、芝居が終わり、演者が舞台で挨拶している間も公演に含まれ、その間も撮影は禁止である。

上演は、舞台で演じることを表すため、芝居が終わった後の舞台挨拶であれば、撮影をしても良いことになる。

しかし、上演終了のアナウンスが流れるのは、通常、演者が舞台から去った後である。

上演の範囲は主催者側の判断によるものなので、芝居が終わったからといって撮影して良いとは限らない。


「歌手」「声楽家」「シンガー」の違い

歌手といえば、日本では歌謡曲の歌手のイメージが強いが、オペラ歌手・声楽家も含み、歌を歌うことを職業にしている人の総称である。

声楽は器楽に対する語で、声楽家は歌曲・合唱曲・オラトリオ・カンタータ・オペラなどの声楽を職業とする人。

その音域は男女で分けられ、女性は高音からソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルトとなり、男性は高音からテノール、バリトン、バスとなる。

オペラ歌手は声楽家だが、声楽家だからといってオペラ歌手とは限らない。

シンガーは、歌手・声楽家のこと。

普通、英語に訳される時以外は、演歌や民謡など、日本伝統の歌を歌う歌手に対して「シンガー」は用いられない。


「オペラ」「オペレッタ」「ミュージカル」の違い

オペラは「歌劇」と訳されるように、セリフの大部分が独唱・重唱・合唱によって演じられる。

伴奏は、管弦楽によるクラシック音楽。

16世紀末にイタリアで生まれ、貴族階級と結びついてヨーロッパで発展した。

オペレッタは「小さなオペラ」「軽歌劇」「小歌劇」などと訳されるように、オペラから派生したもの。

19世紀半ば、貴族の楽しみだったオペラを、庶民にも楽しめるようなコメディ形式にしたのがオペレッタである。

管弦楽によるクラシック音楽で、セリフの大半が歌唱という点はほぼオペラと同じだが、オペラの多くが悲劇を扱うのに対し、オペレッタは軽妙な筋と歌による娯楽的な作品が多い。

ミュージカルは、歌と踊りが主体の歌劇で、形式的にはオペレッタに似ているが、一般的にはポピュラー音楽を使い、日常的・庶民的な題材が多い。

オペレッタがアメリカに渡り、20世紀に発展したのがミュージカルである。


「コンサート」「ライブ」「GIG」の違い

コンサート(CONCERT)」と「ライブ(LIVE)」と「ギグ(GIG)」に明確な境界線はない。

そもそも、「コンサート」と「ライブ」と「ギグ」は表している対象が違い、主催者側がどの言葉をチョイスするかによって決まる。

コンサートは、「演奏会」のこと。

クラシック・ジャズ・ロック・ポップスなど、幅広いジャンルで使われる。

会場は、大ホールや中ホールが多い。

特定の人を対象にした私的演奏会は「コンサート」に含まないためか、私的演奏会でなくても、少人数の観客を相手に行うものは「コンサート」とは呼ばれない。

ライブは、「実演」「生」のこと。

ジャズ・ロック・ポップスで主に使われる。

会場は、大ホール・中ホール・ライブハウスなど様々。

「ライブコンサート」という言葉があるように、ライブは「生演奏」という形容詞的な意味。

クラシックなどは生演奏が当然であるから、あえて「ライブ」という言葉を使う必要がない。

ゴールデンボンバーのように演奏をしないバンドの場合は「ライブ」が使えないことになるが、歌やコント?は実演なので「ライブ」と言っても間違いではない。

ギグは、「一回一回の契約に基づいて行われる仕事」のこと。

主に、ロック系で使われ、ライブハウスが中心となる。

ギグは元々ジャズ演奏家の間で使われ始めたスラングで、演奏する場所ごとにその都度契約をすることをいった。

そのため、小規模な会場で使われることが多い言葉だが、かつてのBOØWYや氣志團のように、大きな会場でも「GIG」を用いるバンドも存在する。


「コンサート」と「リサイタル」の違い

コンサートもリサイタルも、人前で歌や演奏を披露することは同じであるが、大きな違いは人数である。

コンサートは何人かが集まって行う「演奏会」や「音楽会」、リサイタルは一人の演奏者や歌手が人前で披露する「独奏会」や「独唱会」をいう。

また、コンサートは「公開演奏会」を意味するため、特定の人を対象に聞かせる私的演奏会は「コンサート」と呼ばない。

本来の意味による違いは以上であるが、現在の日本では、音楽のジャンルによっても違いがある。

一人の時に「リサイタル」を用いるのは、主に、クラシック系やシャンソン歌手、ジャイアンなどで、二人以上が合同で行う独唱会や独奏会は、例外的に「ジョイントリサイタル」という。

最近は少なくなったが、演歌歌手やフォークシンガーなども「リサイタル」を使う。

また、演歌の一部では、複数の奏者を引き連れていても「リサイタル」と呼ぶ。

ロックやポップスなどでは、一人であっても「コンサート」や「ライブ」と呼ぶのが大半で、ハード寄りであるほど「リサイタル」という言葉は使われなくなる。


カテゴリー:エンタメ


スポーツや音楽のファンの中には、「にわかファン」や「ミーハー」と呼ばれる人たちがいる。

無知であるにもかからわず知ったかぶりをする人や、本質的な部分の良さを知らずにファンを公言したりする人を揶揄する際に共通して使われるが、これらは派生した意味の使われ方であり、本来の意味には違いがある。

にわかファンの「にわか」は、物事が急に起こるさまや、一時的であるさまを意味する言葉で、それまで全く興味を持っていなかったのに、何かをきっかけに突然ファンになる人のことを「にわかファン」という。

また、突然降ってきて突然やむ雨を「にわか雨」というように、急に盛り上がりすぐに冷めるファンという意味でも「にわかファン」は使われる。

ミーハーの意味は、流行りもの飛びついて熱中しやすい人のことで、「ミーハーなファン」といえば、流行に乗ってファンになっている人をいう。

つまり、にわかファンは「突然ファンになった人」「熱しやすく冷めやすいファン」という、時間的なことを表した言葉。

ミーハーなファンは「流行に乗ったファン」という、きっかけの部分を表した言葉という点に違いがある。

「にわかファン」の中には、流行に乗って突然ファンになった人もいる。

そのような人は「ミーハーなファン」と同じだが、必ずしも「にわかファン」だからといって流行に乗った人とは限らない。

たとえば、オリンピックで日本代表選挙が戦っている姿を見て、以前から熱烈だったかのように応援し始める人がいる。

同じ日本人として応援したくなるというのは当然の心理であり、流行に乗ったというわけではない。

しかし、それまで興味がなかったので、熱心に応援する割には無知である。

そのため、にわかファンもミーハーなファンのように、流行に乗っただけの人に見えるのである。


「観賞」と「鑑賞」の違い

観賞の「観」は「観光」や「観測」などに用いられるように、見る(観る)の意味があり、観賞は見て楽しむことを意味する。

「植物観賞」や「観賞魚」など、主に、動植物や景色など自然に関することに用いられる。

鑑賞の「鑑」、「鑑定」や「鑑別」などに用いられるように、良く見て品定めをするという意味があり、鑑賞は芸術作品などを理解し、味わうことの意味である。

「音楽鑑賞」や「絵画鑑賞」、「詩を鑑賞する」というように、芸術作品全般に用いられる。

映画の場合、娯楽映画は見て楽しむものなので「映画観賞」、芸術映画であれば「映画鑑賞」と書く。

芝居も、コメディーであれば「観賞」、文芸作品であれば「鑑賞」と書く。

しかし、人生を考えさせられる娯楽映画、芸術的なコメディーもあり、芸能の分野で「観賞」と「鑑賞」を明確に使い分けることは難しく、見た人の感覚によって異なるものである。

また、芸術作品の展示では、ふつう「鑑賞」を使うが、気楽に見て楽しんで欲しいという意図から、「観賞」が使われるケースも多くある。


「ゴシップ」と「スキャンダル」の違い

ゴシップの意味は、興味本位の噂話。

スキャンダルの意味は、名誉を傷つけるような不祥事や不正事件。また、不名誉な噂のこと。

ゴシップの語源は、「名付け親」という意味の古英語で、名付け親は、その家で見聞きしたことを尾ひれを付けて他人に喋ることから、噂話の意味となった。

そのため、有名無名を問わず使う言葉である。

スキャンダルは、「障害物」や「罠」を意味するギリシャ語が語源で、社会的地位を失うような不祥事や、よくない噂の意味となっている。

事件や不名誉な噂で社会的地位を失うのは、政治家やタレント、スポーツ選手などの著名人であるため、無名な人に対しては使われない。

日本では、ゴシップを有名人に対していうことが多いため、ゴシップとスキャンダルは混同されやすいが、スキャンダルは、刑事事件や不倫などの男女関係といった、不名誉な事柄が対象となる。

一方のゴシップは、著しく名誉を傷つけられたり、謹慎や引退に追い込まれない程度のもので、私生活に関する噂話が中心である。


「吸血鬼」「ヴァンパイア」「ドラキュラ」の違い

吸血鬼は、人の生き血を吸うと伝えられる怪物のことで、英語では「Vampire(ヴァンパイア・バンパイア)」という。

ドラキュラ(Dracula)は、1897年にアイルランド人作家のブラム・ストーカーが発表した小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場する男性吸血鬼の名前である。

小説がヒットし、舞台や映画もヒットしたことで、「ドラキュラ」は「吸血鬼(ヴァンパイア)」の代名詞となっているが、あくまで登場する吸血鬼の名前であり、「吸血鬼」を意味する英語が「ドラキュラ」ではない。

ちなみに、「ドラキュラ」はルーマニア語で「竜の息子」を意味し、「竜」には「悪魔」の意味もある。

上記のように、「吸血鬼(ヴァンパイア)=ドラキュラ」と誤解されるほど、「吸血鬼」と言えば「ドラキュラ」をイメージされることも多いが、世界中には、小説や映画の『吸血鬼ドラキュラ』とは異なる吸血鬼の話がたくさんあり、全ての吸血鬼が、ドラキュラのように目が赤く、牙があるとは限らず、夜な夜な活動したり、十字架や聖水やニンニクに弱いとも限らない。

日本にも、男の生き血を吸って衰弱死させる「紫女」や、地面につくほど長い髪をした美女が、髪の毛の触れたところから人間の血を吸う「磯女」といった吸血鬼の話がある。


「漫画」「アニメ」「アニメーション」の違い

漫画とは、絵と文字で表現された物語のこと。

アニメとは、アニメーションの略で、動作や形が少しずつ異なる絵や人形を一コマずつ撮影し、連続して動いて見えるように作られたもののこと。

基本的な定義からすれば、漫画とアニメ(アニメーション)の違いは、絵と文字のみで作られたものが「漫画」。

漫画を動画化し、漫画では聞こえてこないセリフや音楽などを入れたものが「アニメ(アニメーション)」となる。

しかし、漫画とアニメとアニメーションは、時代や国などにより、同じものを指していたり、異なるものを指していることがある。

「アニメーション」という外来語が一般化したのは、1970年代後半のこと。

それ以前は、漫画を動画化したものを、映画では「テレビ漫画」、テレビでは「テレビ漫画」と呼んでいた。

つまり、アニメ(アニメーション)は、漫画の一種であったといえる。

現代においても、特に両者を区別しない場合は、アニメ(アニメーション)は漫画の一種として扱われている。

日本では「アニメ」も「アニメーション」もほぼ同義に扱われているが、海外では日本のアニメーション作品を「Anime」と呼び、区別されている。

また、「Manga(漫画)」や「Tankobon(単行本)」も、日本の文化を代表する言葉として、海外に広まっている。

日本のアニメーション作品の中でも、「Anime」と呼ばれるものと「Animation」と呼ばれるものがある。

全体がなめらかに動くフルアニメーションを「Animation」、背景は動かず、キャラクターの一部を動かすだけで表現した、手塚治虫の『鉄腕アトム』に代表されるようなリミテッドアニメーションを「Anime」としたり、商用作品を「Anime」、アート作品を「Animation」と呼ぶなど、その定義は様々である。


「友情出演」と「特別出演」の違い

映画やテレビドラマのエンドロールで、「友情出演」や「特別出演」という文字が書かれていることがある。

この「友情出演」と「特別出演」は、似ているようで全くの別物である。

友情出演は、監督やスタッフ、主演俳優などが親しい人に依頼し、友情で出演してもらった場合につけられるもの。

また、若手俳優が自らを売り込むために願い出て、出演した場合にもつけられる。

友情というだけあり、出演料も通常より安いお友達価格や、ノーギャラのことが多い。

特別出演は、主演クラスの大物俳優や大物女優に、脇役として出演してもらう場合につけられるもの。

脇役であっても存在感のある役者が必要なことがあるが、大物俳優を単に脇役として出演させては役者としての格が下がるため、「この役が出来る人は他にいないので、特別に演じてもらいたい」と要望し、出演してもらっていることを表しているのが「特別出演」である。

友情として特別に出演している訳ではないため、出演料は高額なことが多い。

また、クレジットタイトルでは、一番目に主役、トメ(一番最後)に準主役や格の高い俳優が表示されるが、トメに表示すべき俳優が2人いる場合は一方をトメにし、もう一方を「特別出演」にすることでバランスを取ることもある。

海外では、友情出演や特別出演とは違い、監督や原作者、作品のモデルになった人物など、作品と深い関わりのある人物や、スポーツ選手やミュージシャンなどが、ほんの短い時間出演する「カメオ出演」というものがある。

短時間の出演だが、遠目でもはっきり分かるという意味で、メノウや貝殻などの模様を利用して浮き彫りを施した装飾品の「カメオ」から、こう呼ばれるようになった。

同じような出演の仕方でも、日本では「カメオ出演」は使われず、「友情出演」か「特別出演」となっていることが多い。


「トリ」と「大トリ」の違い

トリは、寄席で最後に出演する人をいう寄席用語。

語源は「取り」で、最後の演者がギャラをまとめて受け取り、出演する芸人達に分配することから生まれた言葉である。

現在では、ギャラの受け取りに関係なく、最後の演者をいい、寄席以外でも用いられている。

大トリも最後の出演者を意味するが、最後の出演者が二組以上いる際に使われる言葉で、寄席では使われない。

NHKの紅白歌合戦では、紅組で最後となる出演者と白組で最後となる出演者がいるため、紅白のそれぞれにトリが存在する。

そのどちらか一方が、番組としての最後の出演者で、最後の中でも最後になることから、「大」を冠して「大トリ」と呼ぶようになった。

紅白以外で「大トリ」が使われるものには、数日間行われるフェスなどがあり、各日の最後の出演者は「トリ」、最終日の最後の出演者は「大トリ」となる。

2013年の紅白歌合戦では、「究極の大トリ」という言葉も生まれた。

2013年は、北島三郎が史上最多50回目の出演を誇り、2013年で紅白を引退することを表明した年。

その北島三郎が、紅組と白組の枠を超えたトリとして、紅白双方のトリが歌い終えた後に最後を飾ることから作られた、特別な表現である。


「コスプレ」「仮装」「変装」「扮装」の違い

コスプレは、コスチュームプレイを略した和製英語で、漫画・アニメ・ゲームのキャラクターや、ビジュアル系バンドのメンバーなどの衣装や髪型を真似てなりきること。

近年は、扮してなりきるという意味が拡大し、メイドや学生、警察官などの制服、更に、動物の着ぐるみなどもコスプレ衣装に含まれるようになっているが、本来は、特定のキャラクターや人物に扮することであり、仮装・変装・扮装とは異なる。

コスプレは和製英語ではあるが、英語で「cosplay」と表記し、世界で通用する言葉になっている。

仮装は、普段の服装とは異なる服装をすること。

仮装の対象には、特定のキャラクター・人物に限らず、動物や制服、更に、ボウリングのピンや缶などの物も含まれる。

ハロウィン・仮装パーティー・仮面舞踏会・仮装行列・宴会の余興など、集団的に行う際に多く使われる言葉である。

偽装(擬装)の同義語で、仮装売買など実際の出来事とは異なるように見せかける意味や、仮装空母など相手を欺くために、ある物に見せかけるという意味でも用いられる。

変装は、別人に見せかけるために、風貌や服装を変えること。

余興向けの変装グッズなども売られているが、本来は、正体が他人にばれないよう隠すための行為で、指名手配の犯人やスパイ、尾行する刑事が姿を変えること表す場合に多く用いられる。

変装は他人に見られるためにするものではないため、コスプレのように派手な衣装ではなく、帽子・カツラ(ウイッグ)・眼鏡(サングラス)・化粧(付けヒゲ・付けボクロ)・マスク・制服などが使われる。

扮装は、衣装や顔かたちを装うこと。

一般には仮装と同じ意味で、ある人物などに似た格好をすることをいうが、特に、俳優がその役柄らしく装う意味で用いられる言葉であるため、服装を変えることよりも、演じることが中心にある。

変装と同じく、他人を欺くために姿を変えることをいう際にも、扮装は用いられる。


「上演」と「公演」の違い

上演は、主に演劇を舞台で演じることに用いられるが、公演は、演劇以外にも広いジャンルで用いられ、音楽コンサートや舞踊などでは「公演」を用いるのが普通である。

芝居は上演も公演も使うが、その中にも使い分けがある。

上演は舞台で演じることが主となり、公演は公衆の面前で演じることが主となる言葉で、舞台で演じている間が「上演」、ひとつの興行として捉えた場合は「公演」である。

「上演中の写真撮影は禁止」と「公演中の写真撮影は禁止」は、厳密にいえば禁止されている範囲が異なる。

公演は、興行として観客に提供するという意味があるため、芝居が終わり、演者が舞台で挨拶している間も公演に含まれ、その間も撮影は禁止である。

上演は、舞台で演じることを表すため、芝居が終わった後の舞台挨拶であれば、撮影をしても良いことになる。

しかし、上演終了のアナウンスが流れるのは、通常、演者が舞台から去った後である。

上演の範囲は主催者側の判断によるものなので、芝居が終わったからといって撮影して良いとは限らない。


「歌手」「声楽家」「シンガー」の違い

歌手といえば、日本では歌謡曲の歌手のイメージが強いが、オペラ歌手・声楽家も含み、歌を歌うことを職業にしている人の総称である。

声楽は器楽に対する語で、声楽家は歌曲・合唱曲・オラトリオ・カンタータ・オペラなどの声楽を職業とする人。

その音域は男女で分けられ、女性は高音からソプラノ、メゾ・ソプラノ、アルトとなり、男性は高音からテノール、バリトン、バスとなる。

オペラ歌手は声楽家だが、声楽家だからといってオペラ歌手とは限らない。

シンガーは、歌手・声楽家のこと。

普通、英語に訳される時以外は、演歌や民謡など、日本伝統の歌を歌う歌手に対して「シンガー」は用いられない。


「アカデミー賞」と「オスカー」の違い

アカデミー賞は、アメリカ映画芸術科学アカデミーが、年一回、最も優秀な映画作品・俳優・監督などに与える映画賞。

基本的には、アメリカ映画を対象とした映画賞で、1927年に設立された。

「世界三大映画祭」と呼ばれる、カンヌ国際映画祭・ベルリン国際映画祭・ベネチア国際映画祭よりも歴史が古く、マーケットへの影響力も高いことから、「映画界最高の栄誉」といわれる。

オスカーは、アカデミー賞の受賞者に副賞として贈られる黄金の小さな人型の彫像。

本来は、賞そのものがアカデミー賞で、副賞の彫像がオスカーであるが、アカデミー賞を受賞するとオスカーも授与されることから、アカデミー賞の別名として「オスカー」「オスカー賞」などと呼ばれるようになった。

アカデミー賞で授与される彫像が、オスカーと呼ばれるようになった由来は明確ではないが、諸説ある中で最も有力とされるのは、アカデミー賞事務局の局員が出来上がった彫像を見て、「オスカーおじさんにそっくり」と言ったという説である。


「オペラ」「オペレッタ」「ミュージカル」の違い

オペラは「歌劇」と訳されるように、セリフの大部分が独唱・重唱・合唱によって演じられる。

伴奏は、管弦楽によるクラシック音楽。

16世紀末にイタリアで生まれ、貴族階級と結びついてヨーロッパで発展した。

オペレッタは「小さなオペラ」「軽歌劇」「小歌劇」などと訳されるように、オペラから派生したもの。

19世紀半ば、貴族の楽しみだったオペラを、庶民にも楽しめるようなコメディ形式にしたのがオペレッタである。

管弦楽によるクラシック音楽で、セリフの大半が歌唱という点はほぼオペラと同じだが、オペラの多くが悲劇を扱うのに対し、オペレッタは軽妙な筋と歌による娯楽的な作品が多い。

ミュージカルは、歌と踊りが主体の歌劇で、形式的にはオペレッタに似ているが、一般的にはポピュラー音楽を使い、日常的・庶民的な題材が多い。

オペレッタがアメリカに渡り、20世紀に発展したのがミュージカルである。


「芸能人」「タレント」「有名人」の違い

芸能人は芸能を職業とする人の総称で、俳優・芸人・歌手・ミュージシャン・アイドル・ファッションモデル・フリーアナウンサーなど、その範囲は広い。

タレントは「才能」「技能」の意味から、「才能のある人」「芸能人」を指すようになった言葉で、芸能人とほぼ同じ意味で使われる。

有名人は世間に名が知られている人のことで、芸能人に限らず、スポーツ選手や文化人なども意味する。

本来の意味からすれば、芸能人の中でも才能のある人を「タレント」と呼ぶべきであるが、才能の有無に関わらず「タレント」と呼ばれる。

芸能人は広義に伝統芸能の人も含み、タレントよりも格が上に感じられるためか、漢字表記とカタカナ表記の違いでタレントの方が軽い印象があるためか、テレビのバラエティ番組に出演しない俳優やミュージシャンなど、その道のみで活躍する芸能人は、才能があっても「タレント」と呼ばれることが少なく、バラエティ番組出演の有無により、「タレント」と「芸能人」が使い分けられる傾向にある。

世間に名が知られていない無名芸能人(タレント)を「有名人」とは呼ばないが、ローカルタレントの場合、全国的に名が知られていなくても、活動している地域では「有名人」であることもある。


「コンサート」「ライブ」「GIG」の違い

コンサート(CONCERT)」と「ライブ(LIVE)」と「ギグ(GIG)」に明確な境界線はない。

そもそも、「コンサート」と「ライブ」と「ギグ」は表している対象が違い、主催者側がどの言葉をチョイスするかによって決まる。

コンサートは、「演奏会」のこと。

クラシック・ジャズ・ロック・ポップスなど、幅広いジャンルで使われる。

会場は、大ホールや中ホールが多い。

特定の人を対象にした私的演奏会は「コンサート」に含まないためか、私的演奏会でなくても、少人数の観客を相手に行うものは「コンサート」とは呼ばれない。

ライブは、「実演」「生」のこと。

ジャズ・ロック・ポップスで主に使われる。

会場は、大ホール・中ホール・ライブハウスなど様々。

「ライブコンサート」という言葉があるように、ライブは「生演奏」という形容詞的な意味。

クラシックなどは生演奏が当然であるから、あえて「ライブ」という言葉を使う必要がない。

ゴールデンボンバーのように演奏をしないバンドの場合は「ライブ」が使えないことになるが、歌やコント?は実演なので「ライブ」と言っても間違いではない。

ギグは、「一回一回の契約に基づいて行われる仕事」のこと。

主に、ロック系で使われ、ライブハウスが中心となる。

ギグは元々ジャズ演奏家の間で使われ始めたスラングで、演奏する場所ごとにその都度契約をすることをいった。

そのため、小規模な会場で使われることが多い言葉だが、かつてのBOØWYや氣志團のように、大きな会場でも「GIG」を用いるバンドも存在する。


「コンサート」と「リサイタル」の違い

コンサートもリサイタルも、人前で歌や演奏を披露することは同じであるが、大きな違いは人数である。

コンサートは何人かが集まって行う「演奏会」や「音楽会」、リサイタルは一人の演奏者や歌手が人前で披露する「独奏会」や「独唱会」をいう。

また、コンサートは「公開演奏会」を意味するため、特定の人を対象に聞かせる私的演奏会は「コンサート」と呼ばない。

本来の意味による違いは以上であるが、現在の日本では、音楽のジャンルによっても違いがある。

一人の時に「リサイタル」を用いるのは、主に、クラシック系やシャンソン歌手、ジャイアンなどで、二人以上が合同で行う独唱会や独奏会は、例外的に「ジョイントリサイタル」という。

最近は少なくなったが、演歌歌手やフォークシンガーなども「リサイタル」を使う。

また、演歌の一部では、複数の奏者を引き連れていても「リサイタル」と呼ぶ。

ロックやポップスなどでは、一人であっても「コンサート」や「ライブ」と呼ぶのが大半で、ハード寄りであるほど「リサイタル」という言葉は使われなくなる。