ホーム → 文法 → 庭三郎
主要目次へ
19.終助詞へ
補説§19 終助詞
§19.1 「ネ」(文法書、国語辞典などから)
§19.2 「ヤ」
§19.3 「ワ」
§19.4 佐治圭三の論文から
§19.5 「カ」:岩波国語辞典/「か」のさまざま
§19.6 「ノ」:『現代日本語文法』『大辞泉』から
§19.1 終助詞「ね」に関するいくつかの資料
「ね」などの終助詞を国語辞典で調べると、意外な解説をしていることに
驚きます。文法書の解説も調べてみました。少しずつ感想が記してあります。
〔1〕『文法ハンドブック』(初級)
〔2〕『現代日本語文法4 第8部モダリティ』
〔3〕各種国語辞典から
〔1〕『文法ハンドブック』(初級)
p.164
「ね」は、基本的には、聞き手が知っていると思われることがらを述べると
きに使われます。
次のような場合には、「ね」が必須であり、使わないと不自然になります。
話し手が自分と聞き手の意見が一致しいていると想定して、聞き手に同
意を求める場合
話し手が自分の知識や判断に確信が持てなくて、自分よりもよく知って
いると想定できる聞き手に確認する場合
上で見た場合以外の例
昨日歌舞伎を見たんですよ。いやあ、すごく感動しましたね。
「締め切りまで何日ありますか」「えーと、あと2週間ですね」
「生涯最高の日はいつですか」「やっぱり結婚した日ですね」
相手の知らないことについて述べており、「ね」は必須ではありません。
この場合「ね」を使うと本来自分しか知らないことを相手も知っているよ
うに表現することから、相手との距離を縮め、一種の親密感が表されますが、
場合によっては押しつけがましい感じを与えることもあります。
ただし、このような「ね」は、話し手が記憶をたどったり考えたりした結
果を述べる場合にのみ使えます。
次のように自明のことについて述べる場合には「ね」は不自然になります。
「お住まいはどちらですか」「*大阪市内ですね」
依頼・勧誘や「なさい」を用いた命令の文で「ね」が使われることもあり
ます。この場合も親密でやわらかい表現にする効果があります。
向こうへ着いたら、連絡してね。
また会いましょうね。
ご両親を大切にしなさいね。
次のように差し迫った状況での依頼・勧誘・命令の文では、「ね」は使え
ません。
あっ、おなべが吹いてる。×火を止めてくださいね。
電車が出るよ。×早く乗ろうね。
▽基本的に「同意」「確認」、その他である。
これが一般的に広まっている説明か。
「相手の知らないこと」を「相手も知っているように表現する」というのは
正しい分析か。
〔2〕『現代日本語文法4 第8部モダリティ』
(一部省略・順序入れ替え)
p.254 確認・詠嘆を表す終助詞
「ね」「ねえ」
文が表す内容を、心内で確認しながら、話し手の認識として聞き手に示す
という伝達機能を持っている。
「ね」の用法は、
話し手の認識を聞き手に示す用法
話し手の認識を聞き手に示すことによって聞き手に確認を求める用法
話し手が聞き手を意識していることを示すにとどまる用法
の3つに大別される。
用法によっては、「ねえ」のように長音化して、詠嘆的なニュアンスが加
わることもある。
[話し手の認識として聞き手に示す用法]
評価や感情を表す述語に付加される例が多い。
「ねえ」という形をとることもある。
「ね」は上昇イントネーションをとることが多いが、「ねえ」は下降イント
ネーションをとる。
君はあいかわらず強情だね
(一口おかずを口にして)これ、おいしいね
君が遅刻するとは珍しいねえ
「もう少し慎重に考えて態度を決めるつもりです」「それは賢明ですね。
私もそれがいいと思います」
「その仕事、命をかけてやり遂げます」「大げさだね。気楽にいい仕事
をしてください」
話し手にも聞き手にも同様に成立する認識については、応答文にも「ね」「ね
え」が付加しなくてはならない。
「今日は暑いねえ」「そうだねえ」
「今日のパーティーは楽しいね」「そうですね」
認識のモダリティの形式に「ね」が付加されることも多い。このような例で
は、認識のモダリティの形式によってその判断が話し手の認識として表される。
「何かわかりましたか?」「犯人はここには立ち寄らなかったみたいで
すね」
「本当に田中さんは怒って帰ってしまったんでしょうか?」「まあ、そ
うなんでしょうねえ」
評価や感情を表す述語や、認識のモダリティの形式のように話し手の主観や
とらえ方を直接的に表す形式に「ね」が付加されることが多いが、そのような
形式が現れない文に付加されることもある。このような例では、その場で話し
手が調べたり考えたりしたことを心の中で確認しながら聞き手に述べるという
こと(1・2)を表したり、記憶を思い起こしているということ(3)を表す。
(1)「今、何時?」「ええと。3時20分ですね」
(2)「名簿か何かに山本さんの連絡先が載っていませんか?」「あ、出て
ますね。たぶんこれで連絡できると思います」
(3)「その時、だれかに会いませんでしたか?」「ええとそうですねえ、
だれにも会わなかったですね」
これらの例で「ね」を用いるには、時計や名簿を確認するという話し手の認識
作業や記憶の検索作業は必要になる。したがって、このような確認作業が入り
込む余地のない単純な知識には「ね」は付加しにくい。
「あなたのお名前は?」「*田中ですね」
「誕生日はいつですか?」「*11月20日ですね」
否定的な態度表明を表す述語に「ね」が付加した場合には、反抗的で突き放
したようなニュアンスが感じられることがある。
「そろそろ仕事に戻りなさい」「嫌だね」
「ねえ、田中さんどこにいるか知らない?」「知らないね」
相手の要求に対する否定的態度を表明するのに、一般性の高い理由を示すので
はなく、「ね」によってそれが個人的な認識であることを示すところに、この
ようなニュアンスが生じやすい理由がある。
p.258
[聞き手に確認を求める用法]
話し手の提示した認識に対して、聞き手に確認を求める
聞き手のほうがより確かな知識や認識を持っていると見込まれる事柄につ
いて、話し手の認識を聞き手に示すところから派生する
基本的に上昇イントネーションをとる。「ねえ」という形にならない。
確認を求められた相手は「そうですね」で応答することはできない。
「あの時、君は佐藤さんとその話をしたんですね」「*そうですね」
p.259
[聞き手を意識していることを示す用法]
話し手が発話を続ける際に、聞き手を意識しているということを示す
話し手が複数の文を続けて発話する場合に、重要な情報を伝える文の前提
として、相対的に軽い情報を「のだ」によって表す文に「ね」が付加される
上昇イントネーションをとる。「ねえ」という形にはならない。
昨日、デパートに買い物に行ったんですね。そうしたら、〜
「大会に向けての準備が十分できなかったという意見がありますが」
「私は問題ないと思うんですね。十分な準備なんて、どのチームでも
難しいんですから」
この用法では「ね」があってもなくても、意味にはそれほど大きなちがいが
出ない。文末に「ね」が現れているものの、聞き手に対する意識を表すだけ
であり、間投用法に近い性質を持っているためである。
重要な情報を表す「のだ」の文にはこの用法の「ね」は付加しない。
「どうして期限内に仕事ができなかったんだ?」「*別の仕事が入っ
たんですね。そちらが急を要するものだったので、こちらが後回しに
なってしまいました」
▽問題点
「同意要求」「同意」などの、これまで「ね」の説明に使われてきた(?)考え
方をとっていない。
「確認」と「認識を示す」「聞き手を意識」の3つにまとめる。
後者2つと、『文法ハンドブック』などの「同意」および「共感・やわらげ・
親しみ」あるいは「協調」などと名づけられるような用法のとらえ方と、どう
すりあわせるか。
日本語教育の観点から考えると、まず、わかりにくいということ。
「話し手の認識として聞き手に示す」?
平叙文とはそもそもそういうものでないか?
▽細かいこと
p.255
「ね」が付加できるのは聞き手に伝えることを意図する勧誘や行為の申し
出のような用法である。
今度の日曜日にはいっしょに映画でも見に行こうね。
重いでしょう。荷物、お持ちしましょうね。
しかし、
?じゃ、始めようね。
?ぼくが持とうね。
なぜか。
「しようね」の形は、将来のことに限られる? 将来することの確認?
申し出の場合は、丁寧形でないと言いにくい。しかも、かなり女性的。
真偽疑問文に接続するときは「かね」という形になる。
君は本気でそんなことを言っているのかね。
「かねえ」はむしろ疑い。
いいのかねえ。
誰がしたのかねえ。
〔3〕各種国語辞典から
(間投助詞としての解説・用例は一部省略)
▽「感動・詠嘆」説が強いようです。いちばん新しい小学館ですら。
私は、「感動・詠嘆」説は受け入れられません。この説では、
うわー、きれい!
うわー、きれいだね!
の違いをどう説明するのかわかりません。どちらにも「感動・詠嘆」はある
と思います。2番目の文で「ね」が付け加えているのは、「感動・詠嘆」の
意味ではなくて、聞き手への何らかの関わりでしょう。それを、「同意」と
か、「同意要求」とか名付けて説明しようとしてきました。
さて、どうしたものでしょうか。
A例解新国語辞典第五版(1997) 三省堂 (現在は第七版が出ています)
ね
1文の終わりにつけて、いろいろな感動の気持ちを表わす。
これはうまいね。実にみごとな走りぶりだね。[類]な。ねえ。
2文の終わりにつけて、自分の判断をはっきりと表わすほか、相手に同意を
もとめたり、念をおしたりする気持ちを表わす。[類]な。
このやりかたはまちがっていると思うね。きみ、賛成してくれるね。
3文の終わりにつけて、問いかけを表わす。
広場ではなにが始まるのかね。
ねえ
1文の終わりにつけて、いろいろな感動の気持ちを表わす。
うまいものだねえ、彼の作品は。
2文の終わりにつけて、自分の考えやうたがいの気持ちを相手にもちかける
僕は、こちらの方がいいと思うけれどねえ。ほんとうに五百人も集ま
るのかねえ。
[表現]「ね」をつよめた形。話しことばで使われる。
◇「感動」説は意外に広まっているようです。他の国語辞典にも、「感動・詠
嘆」という解説があります。(大辞泉、旺文社、小学館新選国語など)
Aの辞典は中国語版が出ていたと思いますから、中国の人は多く影響されて
いる可能性があります。
その他の語義の分類。
ネとネエは感動では共通しますが、「判断」「同意」「念押し」はネ、「自
分の考え」(主張?)「うたがい」はネエとされています。
ネに「問いかけ」を入れています。じゃあ、その「〜かね」の「か」は何な
んだ。
参考:大辞林
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%
AD&dtype=0&stype=0&dname=0ss&pagenum=21&index=115111300000
◇大辞林も「詠嘆」説です。中辞典御三家?の「広辞苑」「大辞林」「大辞泉」
みな「詠嘆」のようです。
B学研現代新国語辞典改訂新版(1997) (これもさらなる改訂版があります)
ね(くつろいだ会話での親しみをこめた表現)
1〔主に「ねえ」の形で〕詠嘆・感動をこめて、相手に共感を求めるのに使
う。
これで勝った(わ)ねえ いやな天気だ(わ)ねえ・いやな天気ねえ
2〔主に「ね」の形で〕相手に念をおす気持ちを添える。〔軽い主張や同意
を求める気持ち、また、確認のための柔らかい問いかけの気持ちがこもる
彼は頑張り屋だからね これで満足よね
[参考]12とも、ふつう親しい間柄での会話に使うが、丁寧体「ですね」は
目上の人に対しても使うことがある。
◇これも同じですが、「詠嘆・感動をこめて、共感を求める」と言われると、
そうだなあ、と思ってしまいそうです。そもそも、「共感を求める」のは、
何らかの心を動かすような事に関してでしょうから。
「軽い主張」説が出ています。
「ですね」は目上の人に対して[も]使う[ことがある]、とずいぶん限定
していますが、そうでしょうか。
C三省堂国語辞典第五版(2001)
ね
1相手もそう思ってくれることを期待する気持ちをあらわす。
いい天気ですね
2やわらかに念をおしたり、質問したりする気持ちをあらわす。
わかったかね・どうかね・元気かね
3言い方をやわらげる(ぼかす)ときに使う。
君はだめだね・そうですね
4ことばの息の切れ目につけて、つなぎに使う。
それでね、ぼくがね
ねえ
1「ね134」をのばして言う形。 (2がないことに注意!)
いいねえ・あのねえ
2うたがいの気持ちをやわらげてあらわす。
さあどうかねえ
◇「やわらげ・ぼかし」説です。
うたがいの気持ちは「ねえ」であること、Aの辞典と同じです。
また、ネに質問を入れています。2の用例は全部「かね」です。
「わかったね」でも念押しだと思うのですが。
「やわらかに念を押す」つもりで「先生、わかったかね」と言われるのはう
れしくありません。
D新明解国語辞典第六版(2005) 三省堂
ね〔「ねえ」ともなる〕
1相手に同意を求める気持ちを表わす。
いい天気ですね/おもしろいね
2事の真偽などについて相手に確かめる気持ちを表わす。
集合時間は十時ですね/どうだね、やっぱりだめか
3相手を納得させようとする気持ちを表わす
そうは思わないね/これがいいね/実はね、今度の休みにね、例の件
をやることになったんだ
◇ABCの辞典はネとネエを分けていますが、新明解は分けません。
「納得させようとする」中に「そうは思わないね」という例があります。
なるほど。納得してしまいそう。
E明鏡国語辞典(2002)
ね
1(間投用法)
2ア 相手との共感を表す。
いいお天気ですね うまく行ってよかったですね
うん、これは行けるね あなたも苦労したわね
イ 依頼や勧誘に親しみの気持ちを添える。
ここで待っててね お互いに頑張ろうね またあしたね
ウ 親しみの気持ちをこめた確認を表す
出発はあしたでしたね 痛くないですよね いいね、分かったね
エ ぞんざいに言い放つのに使う。
私なら、そんな言い方はしないわね そんなこと知らないね
3(質問の文に付いて)質問・確認・反問・疑念などに尊大さを添える。
今日は何日かね あしたは来てくれるかね そんな手に誰が乗りま
すかね
▽質問・反問の意では、主として年輩の男性が使う。
[表現]一般に、「ねえ」と長音化して意味を強める。ただし、3の場合は、
疑念が強まった分だけ尊大さが弱まる。
うまくいきますかねえ
◇なかなか詳しいです。この辞典がいちばん日本語教育に近いようです。
「ぞんざいに言い放つ」ですか。なかなか。
でも、「共感」とか「親しみ」などの用法と、「ぞんざい」がなぜ同じ一つ
の形式に託されるのか、そこがわかりにくいでしょう。
「かね」の「尊大さ」については、もう少し適切な言い方があるようにも思
いますが、重要な指摘です。ネエとすると尊大さが弱まるかのどうか。
F小学館日本語新辞典(2005) (「国語辞典」ではない!)
ね
1話し言葉で、文末に添えて、相手の了解や反応を求め、訴えかけることを
示す。敬意を伴う改まった場面では使われない。
ア 相手の同意があるものとして軽い感動や詠嘆を示す。
いい天気ですね/あら、きれいな花ね。
イ 軽い主張や念押しを示す。
明日は休むからね/いいと思いますね。
ウ 相手に同意や返答を軽く求めることを示す。
ほんとだね?約束するね?/これでいいね/どうするつもりかね。
ねえ
1文末に添えて、終助詞「ね」よりも強い感情を込める。「ねい」とも書い
た。
今日は静かでいいねえ/ちょっと聞いてほしいんだよねえ。
◇この辞典ですら、「感動・詠嘆」です。「同意があるものとして」というのも意
味深長。
「軽い主張」もまた登場。
「かね」がごく普通に使える形であるかのように述べるのはよくないでしょう。
G日本国語大辞典第二版(2001) 小学館
ね〔間投助〕
文節の終わりにつけて、相手に念を押し、あるいは軽い感動を表わす。
(用例は歴史的な例が並び、いちばん新しいのが谷崎潤一郎で「ぢゃ、まだ子
供には何も話してないんだね?」)
[補注](3)品詞としては、文中・文末の「ね」とも間投助詞とする説(橋
本進吉・山田孝雄)、文頭用法の「ね」も加えて形式感動詞とする説(松下
大三郎)、文中の「ね」は間投助詞、文末の「ね」は終助詞とする説などが
ある。
ねえ〔間投助〕
文節末にあって軽く念を押したり、軽い感動を表す。「ねい」とも表記。
(いちばん新しい用例は石川達三の「何の号外だらう。ロンドン会議かねえ」)
◇いやはや。全13巻の超大辞典も、こういうことなんですね。
品詞の各説はぜんぜん知りませんでした。最後の説が現代の学校文法の説な
んでしょう。学校文法に忠実な学研の辞典はこの説です。
「大辞典」の編者は「間投助詞」説です。やはり橋本進吉は強い。
(番外)
H現代国語例解辞典第一版(1985)
ね
メリーさんのひつじまっしろね<高田三九三「メリーさんのひつじ」>
いろいろな語について「いい天気ですね」「きれいな花ね」のように語調を
整える。
▽(1)相手にやわらかく働きかける。
ねえ
何の号外だろう。ロンドン会議かねえ<石川達三「蒼氓」>
いろいろな語について「すばらしい絵ですねえ」のように語調を整える。
よ
風は過ぎし日の歌をばささやくよ<米山正夫「山小舎の灯」>
いろいろな語について「遊ぼうよ」「京都は日本の古い都だよ」のように語
調を整える。
◇これを初めて見たとき、声を上げて笑いそうになりました。いいですねえ。
格調ある実例。「語調を整える」というおおらかな説明。古き良き時代の国
語辞典、と言いたいところですが、1985年というのはそんなに昔ではありま
せん。何より、ネもヨも同じ説明ですますところがスゴイです。
思うに、現代語の終助詞の解説なんて、国語辞典に期待する使用者はほとん
どいないのでしょう。だから、このような解説ですんでしまう。
この27ページもある「助詞・助動詞解説」という付録で重要なのは古典語の
解説なのでしょう。
さすがに、20年後の第四版では解説が書き換えられています。
第四版(2006)
ね (用例など同じ)
・・・のように相手に同意を求めたり、感心したり、驚いたりする気持ちを
表す。
ねえ
・・・のように感心したり、驚いたりする気持ちをこめて、相手に共感を求
めるのに使う。
▽「ね」よりも相手への働きかけが強くなる。
よ
・・・のように親しみの気持ちをこめて、相手に注意を促したり、強めたり、
念を押したりする。
◇それにしても、「〜たり、〜たり」と用法を並べ上げるだけで、どれがどの
用例かなんてことは気にしません。やはりおおらかです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
§19.2「ヤ」
「や」については、これまで全然考えていませんでした。接続する語に妙な
制限があって興味深いです。
[や](大辞林から)
4 (終助)
文末にあって、形容詞および形容詞型活用の助動詞や助動詞「う・よう」の終止
形、動詞および動詞型活用の助動詞の命令形に付く。
[1] 命令・勧誘・希望表現などに用いられ、話し手がその事態の実現を望むと
いう気持ちを表す。
・ まあ、しばらく様子をみろ―
・ 早くしよう―
・ もう帰ろう―
・ 日曜日ぐらい休みたい―
[2] 軽く言い放つような気持ち、または、なげやりな気持ちを表す。
・ まあ、いい―
・ 今さらどうしようもない―
5 (間投助)
[1] 文中にあって、体言・副詞などに付く。
(ア) 人を表す語に付いて呼び掛けを表す。
・ 花子―、ちょっとここへおいで
・ おばあさん―、せがれから手紙が来たよ
(イ) 副詞に付いて意味を強める。
・ またも―失敗に終わった
・ まして―、相手は専門家だから太刀打ちができない
[2] 文中または文末にあって種々の語に付く。
(ア) 感動・詠嘆を表す。現代語では文末用法のみ。
・ わあ、遊んで暮らせるなんてすばらしい―
・ 我はも―安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり〔出典:万葉 95〕
・ すべて神の社(やしろ)こそ捨てがたくなまめかしきものなれ―〔出典:徒然 24〕
(イ) (文中に用いて)ことばの調子を整える。
・ ほととぎす鳴く―さ月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな〔出典:古今(恋一)〕
.......................................
なぜか形容詞と否定のナイに接続しやすいという特徴があります。
上の解説の5-[2]の「種々の語に」というのはうまくない説明です。「×きれいだや」
などの形はありえません。また、この用法では「子供っぽい」感じがします。
何とも不思議な終助詞です。
§19.3 「ワ」
「概説」本文では、女性の「わ」については述べていますが、男性の使う「わ」については
何も書いていません。
男性も「わ」を使うのですが、どのように記述していいかわかりません。以下は、将来のた
めのメモ書きです。
例
まあ、いいわ。
まあ、こんなもんだわ。
なかなかうまくいかないわ。
なにがなんだかわからんわ。(関西弁風?)
やー、ついにやっちゃったわ。
お、これはいいわ!
1 女性の「わ」とは違う。(語源はいざ知らず)
2 「わよ」「わね」などの形にはなりにくい。(ならないとも言えない)
まあ、人生、そんなもんだわね。
3 若い人は使わず、おじさん風。
(若い人も使う、という意見あり。確かにそのようだ。ただし、その使い方と、
ここで出した例の使い方が同じものかどうか分からない。)
4 はっきり下降調。軽くあきらめたような意味合いを伴う?
(辞書では「軽い詠嘆・驚き」などと記述されている。下の引用参照)
5 東京弁なのかはっきりしない。方言の影響で使ってみているだけか?
6 「あるわ、あるわ」「出るわ、出るわ」などの使い方は、上の例とは違うように思う。
古い、固定した表現にのみ使われる形。
7 国語辞典から
わ 終助《活用語の終止形に付く》
1軽い詠嘆の意を表す。「いいお天気だ―」「降る―降る―」
2軽い決意・主張を表す。「わたしは行かない―」「この方がいいと思う―」
#文末に使った係助詞「は」から。(2)は女性が使う。
[株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版]
わ
(終助)
〔補説〕 文末に用いられた係助詞「は」からの転。中世末期以降の語
活用語の終止形に接続する。
[1] (女性用語として)話し手の主張や決意を、表現をやわらげて軽く言い表す。
・ おもしろい―ね
・ あら、困った―
・ 別のやり方のほうがいいと思う―
[2] 軽い詠嘆や驚きなどの気持ちを表す。
・ ほんとうによくやる―、あの男は
・ これは驚いた―
[3] 感動の意を表しながら並べあげる場合に用いる。
・ 腹はへる―、足は棒になる―で、もうさんざんな遠足だった
・ ひき出しをあけたら、ある―、ある―、札束がぎっしりだ
→は(係助)
[ 大辞林 提供:三省堂 ]
§19.4 佐治圭三の論文から
終助詞の連接のしかたについて、佐治圭三の論文から紹介します。
「〜てくださいわよ」が言えない理由についての解説です。
佐治圭三「日本語教育と文法学説」『日本語学』2001.3
(前略)
そこで、この問題について、説明をする必要があるが、どのような説明をしたらよい
であろうか。
〔a〕「考えてくださいわよ」は言わない。「考えてください」、あるいは「考えて
くださいよ」と言う。「考えてくださいね」も良い。日本語の習慣である。
これでは間違ったことは言っていないにしても、何も説明していない。
〔b〕「〜てください」といった依頼の表現の後には、終助詞のうち、「よ」「ね」
は付くが、「わ」は付かない。
これも、〔a〕よりは、少し一般化しているだけで、適用できる範囲も狭く、「わ」
や「よ」の使い方を説明したということにはならないだろう。
(p.8)
▽まったくおっしゃるとおりです。「概説」の本文は〔b〕のような説明になっている
上に、さらに悪いことに、「わ」は付かない、とはっきり言っていません。
ではどうすればいいか。佐治はきっちりした説明を展開します。
〔c−1〕文末に現れる助詞(終助詞)には、二種類あって一つは「ぞ」「わ」「と
も」「か」などで、これらは文末にしか現れず、「純終助詞」といわれる。もう
一つは、「よ」「さ」「ね」などで、これらは文末だけでなく、文中の切れ目(
文節の後)にも現れることができて、「それがね、どうしてもね、だめなのです
ね。」のように用いられ、「間投性終助詞」と呼ばれる。
〔c−2〕純終助詞は文末に表された判断が確かである(「ぞ」「わ」「とも」)と
か、不確かである(「か」)とかの判定を表す。間投性終助詞は、それまでの表
現を相手に伝達する際に、押し付けるような気持ち(「よ」)、尋ねかけ・同意
を求めるような気持ち(「ね」)、突き放すような気持ち(「さ」)を表す(そ
ういった機能を「働きかけ」という)ものである。
〔c−3〕文末が表す判断の断言の気持ちの多少と、純終助詞の表す確かさの気持ち
が矛盾しないものは付き合い、矛盾するものは付き合わない(○「そうだわ」、
×「そうだか」、×「そうでしょうわ」、○「そうでしょうか」、×「そうわ」、
○「そうか」など。ただし「何だかわからない」の「か」は副助詞)。
また、判定を下してから、伝達の際の気持ちを付け加えることはあり得て、だ
から純終助詞の後に間投性終助詞が付くこと(「そうだわよ」、「そうだともさ」、
「そうだぜ ぞよ→ぞえ→ぜ」、など)はあるが、その逆はあり得ない。
(×「そうだよわ」、×「そうだねとも」など)。
間投性終助詞同士の相互承接に関しては、おしつけておいてからそれを柔らげ
て同意を求めたり(「よね」)、突き放しておいてから、柔らげて同意を求めた
り(「さね」)することはできても、その逆はあり得ないので、「ね」の後に「よ」
や「さ」が付くことはない。
〔c−4〕命令や依頼の表現は「しろ」「してくれ」などの強い、ぞんざいな言い方
は勿論、柔らかな、丁寧な言い方(「しなさい」「してください」)でも、その中に
相手に押しつけるような気持ち(働きかけ)が含まれている。間投性終助詞が含
まれているのと同等である。だから、それらの後に、純終助詞が付くことはない
▽これだけ詳しく考えないと、ごくかんたんそうな、日常的な現象も説明できない、と
いうことのようです。なかなか、言語というのは複雑です。
ただ、説明の論理が筋の通った、一貫したものなら、物理学や生物学などがそうであ
るように、複雑なことは避けるべきではありません。それが現実の世界なのですから。
上の佐治の説明は、それだけ必要なんだろうと思われます。
一つ疑問に思うことは、間投性終助詞の文末における用法と、文中の切れ目に置ける
用法とは別のものだと思うのですが、その辺がはっきり述べられていないことです。
特に「さ」は、間投用法では「突き放す」ような意味合いはありません。その違いは何
なのか。
§19.5 「カ」
1 岩波国語辞典から
2 「か」のさまざま
1
岩波国語辞典の「か」の項をコピーします。
終助詞の解説の中(ウ、エのところ)に、並列の文型が出てきます。下の方の並列
助詞のところを見比べると、何をもって終助詞とするのか、並列助詞とは何なのかな
ど、いろいろ考えさせられます。
結局、どういう文型の時にどういう意味になるのかを適切に説明することが大切で、
品詞が何かはその後に考えることだという気がします。
岩波に注文を付けるとすると、まず1アのところをもう少しきちんと意味ワケして
ほしかったと思います。一つの同じ形式がなぜそのような広い範囲の意味に広がって
いくのかを、解説の順番と用例によってあとづけてほしいというのは望みすぎでしょ
うか。
か
1(終助)《句末に置き、述語の体言・副詞などや活用語連体形(形容動詞では語幹)
に付く》
ア 疑い・問い掛け・反語・言い返し、また、詠嘆、自問自答などによる納得を表す。
「これで哲学―」「もう帰る(の)―」「帰るんだって?もう―い」
「できは見事―」「こんな幸運がまたとあろう―」
「その発言は公人として(なの)―」「茶でも飲むとする―」
「お値段はいくらです―」「あいつとなんか口をきく(もの)―」
「それ見たこと―」「とうとう卒業―」「そう―、分かったぞ」
#文中にはさむ句では
「何だ―こわい」「庭を荒らしたのが犬だ―どうだ―調べよう」
のように、助動詞「だ」の終止形にも付くが、文末では
「それは何―」「庭を荒らしたのは犬―どう―」
であって「だ」に付かない。
文中にはさんで(推量したり念を押したりの)注釈的に使うことがある。
「会計係が、あろうこと―、金庫から金を盗んで逃げた」
「いつもは楽にできるのに、何の手違い―、うまくいかなかった」
「いい―、危ない所には行くなよ」。
また文中で「か」に終わる句は体言相当の働きもする。
「成功する―否―はやってみなければ分からない」
「どうしたらよい―を考えろ」「問題はどこで暮らす―だ」
イ《特に「う」や打消しに付いて》
誘い掛けを表す。
「そろそろ出掛けよう―」「これ食べてみない―」
#(1)(ア)(イ)は文語係助詞に由来し、その文末の用法が固定したもの。文語的な「難局
を何―恐れよう」「あすの命をたれ―知る」なども、時には使われる。
ウ《意味的に両立し難いA・Bによる「A―B―」の形で》
選択の意を表す。
「生―死―」「食う―食われる―の戦い」「君が来る―ぼくが行く―だ」
#「か」に選択を求める意味があるというより、このようなA・Bを(ア)の用法で並置
したことで全体としてこの意が生ずる。→(2)(イ)
エ《主に「A―A(で)ない―」「A―どう―」「A―否―」の形で》
Aである、Aすることが不確定・不明だという意を表す。
「行く(の)―行かない(の)―、早く決めろ」
「会社が休暇を認める―どう―」。
《「A―Aしないうち」の形で》
Aするとすぐ。「入社してわずか半年たつ―たたないうちに」
#(エ)も(ウ)と同種の用法。
オ『―に』…かと。…かのように。
「夕月があるかなきかに掛かる」「別れを惜しむかに響く船の汽笛」
2(副助)
ア《多くは不定を表す表現に添えて》
不確かな気持、または知っていてもあらわにはしない気持を表す。
「いつ―行こう」「いつ―も話したね」「だれ―それを知らないか」
「どこ―遠いところ」「いつの間に―仲良しになっていた」
「つらい目を幾度―見た」「何―(しら)悲しい」
「カント―だれ―の言葉だが」「もし―田中さんではありませんか」
「10年―そこらしたら」「私どう―しているわ」
#→いつか・どうか(連語)
イ《「A―B―…N(―)」の形で》
可能性のあるものを並べ(選択を求め)るのに使う。
「雨―雪が降るでしょう」「コーヒー―紅茶―どちらにします?」
「色は黒―白―赤―どれがお好みですか」「直接に―間接に―知っている」
#(イ)の用法を並立助詞とする説もある。(1)(ウ)(エ)と本質的には異ならず、すべて
に「か」を添えるのが本来。→とか
ウ《「ばかり―」の形で》→ばかりか
エ《「どころ―」の形で》→ところ(4)。
#(2)は(1)の転。
[株式会社岩波書店 岩波国語辞典第六版]
2「か」のさまざま
「か」にはいろいろな用法があります。ナニ助詞かということはともかくとして、その
使われ方を並べてみました。
後のほうの「問題点」は、考えたことのメモで、問題の解決・整理にはほど遠いです。
1 基本的用法
A 疑問:疑問文の表示
お食事はなさいますか。
お食事は何時になさいますか。
派生的用法:納得・反語その他
なるほど、そうか。
そんなことがあるか。
B 並列:名詞の並列(選択)
本か雑誌 コーヒーか紅茶 田中さんか山田さん
(格助詞句は可能か:静岡までか名古屋まで 5時までか6時まで)
静岡か名古屋まで 5時か6時まで
毎朝、コーヒーか紅茶を飲みます。
本か雑誌はありますか。
田中か山田にやらせよう。
C 不定
何か 誰か どこか どれか どちらか いつか
どのNか どちらのNか どんなNか
いくつか いくらか なぜか
肯定・言い切りで使えるもの
何か(した) 誰か(来た) どこか(行く) どれか(使う)
どちらか(見る) いつか
いくつか(見た) いくらか(残った)
なぜか(分かった) アイマイ
D 疑問節
いつ来たか、わかりますか。
いつ来たか、知りません。
行くかどうか、聞きましたか。
行くかどうか、考えています。
2 問題点
A 疑問表示
しかし、普通体では省略することが多い
ご飯、食べる?
ご飯は何時に食べる?
この場合、音調が重要
しかし、疑問語疑問文では下降音調でも可
おまえはだれだ!
ゆうべ、何を食べた。
ただし、詰問調。一般的な質問は上昇調となる。
ゆうべ、何を食べた?
質問でない文があること。
そうか。ついに来たか。
cf. そうか? ついに来たか?
(一人で)じゃあ、そろそろ始めるか。(始めようか)
風呂でも入るか。
適切な場面で、聞き手に情報を求めるから「質問」文となる。
そうでない場合は、この形「〜か」は何を表すのか。
その命題内容が(可能性はあるが)確かでないことを表す、か。
「納得」の場合は?
そうだ! (新しいことを思いついた場合も使える)
そうか! (これまでの疑問に解答発見)
ああ、ここだ。(建物を探して)
ああ、ここか。(今まで探していたものは、、)
誰かと思ったら、山田か。
誰かと思ったら、山田だ(よ)。
ま、こんなもんですかァ。
「やっとわかった!」は、自分の理解に使う。
「やっとわかったか!」は、他人の様子に使う。自分のことにはいえない。
「か」は自分の動作には使えない。
今まで知らなかったことを知り、納得するのだから。
終わった!
やれやれ、やっと終わったか。(仕事が/あいつも)
B 並列
接続詞との重なり
本か、あるいは雑誌 本あるいは雑誌
本か、または雑誌 本または雑誌
不定語との共起
本か何かをもっていく
本か雑誌か、何か要るね
後の「か」の省略可能性
本か雑誌を持っていくつもりだ
本か雑誌か、持っていくつもりだ
本か雑誌かを持っていくつもりだ
本か雑誌か、選んでください。
本か雑誌を選んでください。
本か雑誌か、どっちかにしろ。
本か雑誌のどっちかにしろ。
選択疑問文との関係
本か雑誌か、どっちかにしろ。
食べるか食べないか、どっちかにしろ。
名詞と何が違うか。
(十字路に出たら)右か左へ行け。(まっすぐには進むな。)
右か左、どちらかへ行け。
右に曲がるか、まっすぐ行くか、どちらかにしろ。
右に曲がるか、まっすぐ行くかしろ。(左に行くな)
AかBかする
かがむか、頭を下げるかしないと、危ないよ。
そういう時は、トランプをするか本を読むかして時間をつぶした。
この辺はどう考えても「疑問助詞」ではない。 (岩波国語辞典参照)
つまり、並列助詞は動詞を受ける。
#岩波は、終助詞も並置されることで選択を求める意味になるという。
生か死か 君が来るかぼくが行くかだ
◇終助詞か並列助詞かなんてことは考えなくていいということでしょう。
どういう文型の時にどういう意味になるかが問題なのです。
・比較構文との微妙な違い(そもそも「比較構文」とは何か)
コーヒーと紅茶と、どちらが好きですか。 比較というより選択?
コーヒーと紅茶と、どちらを飲みますか。
コーヒーと紅茶(と)では、どちらが好きですか。
コーヒーと紅茶のどちらが好きですか。
(「より好き」なのか、片方だけが好きなのか。)
AとBとでは、どちらが大きいですか。
これなら、どちらもある大きさがある。
「好き」は、ゼロの場合も、「嫌い」の場合のあるのでマズイ
A、B、Cの中で、どれがいちばん好きですか。
比較表現としては「いちばん」が必須
なぜ「と」なのか。
「AとB」二つ合わせておいて、その一方を選ばせるとは。
「AかB」のほうが、選択という意味にぴったりではないか?
「か」を使った場合
コーヒーか紅茶か、どちらを飲みますか。
コーヒーか紅茶か、どちらかください。
コーヒーと紅茶のどちらになさいますか。
コーヒーか紅茶のどちらになさいますか。
疑問でない場合
コーヒーと紅茶のどちらも好きだ。
コーヒーと紅茶では、紅茶のほうが好きだ。
コーヒーか紅茶のどちらでもいい。
コーヒーか紅茶か、どちらかにしてください。
コーヒーか紅茶か、決めて/選んでください。 これは疑問節風
(コーヒーか否か?)
×コーヒーか紅茶のどちらも好きだ。
×コーヒーか紅茶か、どちらも好きだ。
§19.6 「の」:『現代日本語文法』『大辞泉』から
A.『現代日本語文法4 モダリティ』
「の」
丁寧体の述語の非過去形・過去形に接続する。
・あの方には娘が大変お世話になりましたの。
・仕事が進みませんの。どうしましょう。
普通体にも「の」が接続することがあるが、これは「のだ」の「だ」が脱落した
ものである。
平叙文や疑問文の文末に用いられる「の」には、終助詞化したものがある。
これは、おもに女性が用いる表現であり、丁寧体の述語に接続する。
・今日は時間がありましたので、歩いてまいりましたの。
・お昼にはおそばをいただきましたの。
・何か問題がありますの?
このような「の」の機能は、「のだ」と変わらない。丁寧体の述語に接続すると
いう点で、「のだ」と区別されるだけである。
さらに、「んです」に接続する「の」がある。このような「の」は、文にやわら
かく、上品なニュアンスを付け加える。
・先日、学生時代のお友達にばったり会ったんですの。
・うちの子、もう今年就職なんですの。
「のだ」に接続する「の」は、「のだ」の「だ」が脱落したものと考えることは
できない。
(p.272-3)
▽はっきりと割り切った解釈です。
第5章第2節「のだ」から
話しことばでは、「んだ」「んです」「の」の形をとる。平叙文の文末の「の」は女性が用いることが多い。
・男「俺、風邪ひいてるんだ」
女「実は、私もひいてるの」
「のだ」は、質問文では、「んですか?」「の(か)?」という形をとる。質問文の
「の?」は、平叙文の「の」に比べると、男性にも用いられやすい。
・疲れてるんですか?
・疲れているの?
(p196-7)
▽男女の文体差について述べています。ここは大事なところだと思います。学習者に
とって重要な問題です。
B.『大辞泉』
の
[終助]活用語の連体形に付く。
1 (下降調のイントネーションを伴って)断定の言い方を和らげる意を表す。多く、女
性が使用する。「伺いたいことがある―」「あいにく母は留守です―」
2 (上昇調のイントネーションを伴って)質問または疑問の意を表す。「君は行かない
―」「そんなに悲しい―」「なぜな―」
3 強く決めつけて命令する意を表す。「余計なことを言わない―」「遊んでばかりいな
いで勉強する―」
4 念を押すような気持ちで、詠嘆・感動の意を表す。「仲がよいことだ―」
・ 「はて面倒な承り事でござる―」〈伎・幼稚子敵討〉
◆終助詞の「の」は、近世後期以降用いられ、現代語ではうちとけた対話に用いられる
ことが多い。ただし、感動の意の4だけは中世後期にはすでに用いられ、現代語では
古風な表現に用いられる。
▽国語辞典としては、おそらく例外的に詳しく記述しています。
1だけを「多く、女性が使用」と書いています。4は「古風」ですから、現代で男女
とも使うのは2と3ということです。
この説明は私の感覚と同じです。
主要目次へ
19.終助詞へ