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38.推量・様子・伝聞
38.1 述語との接続
38.2 〜だろう
38.3 〜かもしれない
38.4 〜しそうだ(様子)
38.5 〜ようだ
38.6 〜らしい
38.7 〜するそうだ(伝聞)
38.8 V−まい
38.9 V−(よ)う
38.10 〜と思う
補説§38
38.2 〜ダロウ/デショウ(カ)
38.2.1 〜ダロウ/デショウ
[推量] [だろうと思う] [ことだろう] [和らげ]
38.2.2 〜ダロウカ/デショウカ
38.2.3 〜ダロウ/デショウ?:確認
38.4 〜しそうだ(様子)
[A-げだ]
38.5 〜ようだ
[ヨウダとラシイ] [比況] [〜みたいだ]
38.7 〜するそうだ(伝聞)
[〜とのことだ/ということだ/との由] [〜って]
38.9 V−(よ)う
[〜ようとは思わなかった]
38.10 〜と思う
[推量の形式との関係]
補説§38
§38.1 「ようだ」「らしい」:『日本語文法ハンドブック』(初級)
§38.2 寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味供
§38.3 『現代日本語文法 モダリティ』
「ムード」としてくくられる表現には、話し手の心理の表現や聞き手に対す
る働きかけのような、いかにも「ムード」らしい(というのもはっきりしない
言い方ですが)ものの外に、話し手が何か「事がら」を表現する時に、その
「事がら」をどう表現するか、ということにかかわるものがあります。
もっとくだいて言えば、はっきり断定的に言うか、それともあいまいな言い
方をするか、内容の正否は他者に転嫁するか、というようなことです。
それらの中で、よく使われ、明確な対立があるのは、次の二つの言い方でし
ょう。
a もうすぐ迎えの車が来ます。
b もうすぐ迎えの車が来るでしょう。
aのほうは、断定的にはっきり言っています。bの方は、そう思ってはいる
のですが、あまり自信はなく、もしかするとまだ来ないかもしれない、という
気持ちも持っているという言い方です。(ところで、aのすぐ前の文、つまり
地の文の「〜次の二つの言い方でしょう」の「でしょう」はどちらでしょうか。
まあ、「自信がない」とも言えるのですが、ここではいちおう、たんに断定を
和らげているだけであるとします。この用法も後で触れます。)
これまでのいろいろな文型の例文はすべて断定的なものでした。名詞文も動
詞文も、受身の文も。(ただし、疑問文は別です)それらは「断定」のムード
を持っていたわけですが、特にそのことは触れませんでした。ここで断定的で
ない言い方をいくつか見てみましょう。
日本語には「〜でしょう(だろう)」と近い意味の表現がいくつもあり、学習
者にとっても、日本語教師にとっても頭の痛い問題になっています。たとえば、
「〜らしい」「〜ようだ」「(し)そうだ」「(する)そうだ」「〜かもしれない」
「〜にちがいない」「〜はずだ」などの表現です。
これらは、推量・比況・様子・伝聞などの表現と言われるものです。お互い
が微妙に重なり合い、話し手の、その事がら(の表現)に対する態度を表し分
けています。
38.1 述語との接続
これらの表現で学習者にとって難しいことの一つに、その前に来る述語の接
続の形の問題があります。細かいところで微妙な違いがあり、学習者を悩ませ
ます。意味・用法の問題は後に回して、まずこの接続についてまとめておきま
しょう。
舛世蹐Α燭任靴腓
動詞の普通形(スル・シナイ・シタ・シナカッタ)にそのまま接続します。
イ形容詞も普通形に接続します。丁寧体の場合は、「です」を「でしょう」に
すればいいわけです。
行くだろう 暑いだろう
行かないだろう 暑くないだろう
行っただろう 暑かっただろう
行かなかっただろう 暑くなかっただろう
少し問題なのは、名詞とナ形容詞との接続です。この二つは、普通形のうち、
現在の形が「だ」が「だろう」に変化したことになります。丁寧体の現在の形
は「です」が「でしょう」になるわけです。それ以外では、普通形に「だろう
(でしょう)」が付いた形になります。
学生だろう ひまだろう
学生ではないだろう ひまではないだろう
学生だっただろう ひまだっただろう
学生ではなかっただろう ひまではなかっただろう
以上の形をすらすら言えるようになるのは、それだけで学習者にとっては大
変なことですが、そう言っていては日本語ができるようにはなりません。
◆ 舛もしれない/かもしれません
「だろう」と同じ接続です。表を少し変えて見やすくしましょう。
│ │
行く │ 学生 │
行かない │ 学生ではない │
行った │ 学生だった │
行かなかった│かもしれない 学生ではなかった│かもしれない
暑い │ ひま │
暑くない │ ひまではない │
暑かった │ ひまだった │
暑くなかった│ ひまではなかった│
│ │
〜そうだ/そうです(様態)
同じ「そうだ」という形でも、伝聞とはずいぶん違います。
行きそうだ
行きそうに/もない
行きそうだった
行きそうに/もなかった
暑そうだ
暑そうではない/くなさそうだ
暑そうだった
暑そうではなかった/くなさそうだった
ひまそうだ
ひまそうではない/ではなさそうだ
ひまそうだった
ひまそうではなかった/ではなさそうだった
名詞述語にはふつう接続しません。「学生そうだ」とか「英語の本そうだ」
とは言わずに「学生のようだ」とか「英語の本らしい」などと言います。
イ形容詞の「ない」「よい」は例外で、それぞれ「よさそうだ」「なさそう
だ」と「さ」が入ります。「いい」は「×いそうだ」の形はなく、「よい」と
同じ「よさそうだ」の形をかわりに使います。
動詞の否定や過去の形は「そうだ」の前には来ず、「そうだ」自体が変化し
ます。形容詞では否定の形が二つあります。この形の細かい話はあとの用法の
説明のところを見てください。
ぁ 舛茲Δ澄燭茲Δ任
動詞・イ形容詞の基本形に接続します。「だろう」と違うところが二つあり
ます。
ナ形容詞は基本形の「だ」が「な」に変わります。名詞述語は基本形の「だ」
が「の」になります。「よう」はもともと名詞で、「学生の」「ひまな」の形
になるのは名詞の「よう」に続くためだということができます。
│ │
行く │ 学生の │
行かない │ 学生ではない │
行った │ 学生だった │
行かなかった│ ようだ 学生ではなかった│ ようだ
暑い │ ひまな │
暑くない │ ひまではない │
暑かった │ ひまだった │
暑くなかった│ ひまではなかった│
│ │
「〜ようだ」と意味の近い「〜みたいだ」は次の「〜らしい」と同じです。
ァ 舛蕕靴ぁ覆任后
動詞・イ形容詞の基本形に接続します。ナ形容詞・名詞述語では、基本形の
「だ」が落ちます。
つまり、接続に関しては「〜だろう」とまったく同じです。
│ │
行く │ 学生 │
行かない │ 学生ではない │
行った │ 学生だった │
行かなかった│ らしい 学生ではなかった│ らしい
暑い │ ひま │
暑くない │ ひまではない │
暑かった │ ひまだった │
暑くなかった│ ひまではなかった│
│ │
Α 舛修Δ澄燭修Δ任后陛訴后
動詞・形容詞・名詞述語すべての基本形に接続します。
│ │
行く │ 学生だ │
行かない │ 学生ではない │
行った │ 学生だった │
行かなかった│ そうだ 学生ではなかった│ そうだ
暑い │ ひまだ │
暑くない │ ひまではない │
暑かった │ ひまだった │
暑くなかった│ ひまではなかった│
│ │
А 舛泙
「だろう」の否定に当たり、動詞だけに接続します。「行くまい」が「行か
ないだろう」にほぼ相当します。少し古めかしい言い方ですが、書き言葉では
よく使われます。
五段動詞は基本形に、その他は「−ない」に続く形(国文法の「未然形」)
に接続しますが、一部、人によって違うようです。
行くまい(五段) 見まい(一段) (見るまい、も)
するまい・すまい・しまい 来るまい・こまい・くまい
愛すまい・愛するまい 来ていまい・来ているまい?
殴られまい・殴られるまい そんなことはさせまい・させるまい
38.2 〜だろう/でしょう(か)
「〜だろう(でしょう)」は使用頻度が非常に高く、日常よく耳にする表現
であり、また、それ自身は変化しない形ですので、その意味では学習者に使い
やすい文型ですから、初級で必ずとり上げられる表現です。
教科書では多くの場合「推量」の表現として「たぶん〜でしょう」という形
で教えられます。しかし、実際に使われる場合は他の意味で使われることも多
いです。
また、「〜でしょうか」は「〜でしょう」の単なる疑問文ではありませんし、
「〜でしょう?」とするとまた違った用法になります。それらの点にも注意し
ながら見て行くことにしましょう。
述語と「〜でしょう」の接続は、前にあげた「だろう」の接続の形をそのまま
「でしょう」に置き換えればよいので、表はあげません。
「〜だろう」と「〜でしょう」の用法の違いは、基本的には、普通体と丁寧
体という文体の差として考えて問題ないと思いますので、以下では区別せずに
説明をして行きます。違いがある場合には、特に述べることにします。
なお、「だろう/でしょう」はもともと「だ/です」の「推量形」ですが、
動詞やイ形容詞にも接続するので、独立した助動詞と考えられます。
「〜だった」の推量の形としては「〜だっただろう」と「〜だったろう」と
いう二つの形があります。「だろう」のほうがふつうです。
さぞかし大変だっただろう。
さぞかし大変だったろう(と思われる)。
「〜でした」の推量形では「×でしたろう」という形は使われず、「〜でし
たでしょう」が使われます。
結局、ナ形容詞・名詞述語についても「だろう/でしょう」という助動詞が
付くものと考えることにします。つまり、
雨だ+だろう → 雨だろう
雨だ+でしょう → 雨でしょう
と考えます。
38.2.1 〜だろう/でしょう
凌篶漫
まず、基本的な例文を見て下さい。
明日は雨が降るでしょう。
彼はおそらく来ないだろう。
かぎはたぶんその中にあるでしょう。
彼女はもう大きくなったでしょう。
あの人はたぶんそのことを知らなかったでしょう。
このお菓子はきっとおいしいでしょう。
これは彼女の財布だろう。
あの人はたぶん日本人じゃないでしょう。
この薬を飲めば、すぐ治るだろう。
「〜だろう」は普通「推量」の表現と言われます。推量とは、「はっきりし
ないことを他のいろいろなことから考えて判断する」ことですが、「ムード」
の一つの用法としては、「はっきりしないこと」を「断定しない」こと、を意
味します。
「はっきりしないこと」でも断定的に言うことはできます。
ジャイアンツは来年絶対優勝する。
と言っても、実際には正しくないことが多いのですが、それはかまいません。
話し手としては、「断定する」のです。(→「39.断定・確信」)
ジャイアンツは来年優勝するだろう。
では、評論家のことばです。迫力がありません。
そのはっきりしないこととは未来のことばかりでなく、現在のことでも過去
のことでも、話し手が知らないことならかまいません。最後の例は、仮定の推
論に対して「確実には言えないけれども、そうだろう」と言っています。
未来のことや仮定のことは、常に「はっきりしない」ことで、何か推量の表
現をつけるのが当たり前のようですが、自信を持って言えば、上にも述べたよ
うに「だろう」をつけなくてもかまいません。
明日は必ず雨が降ります。(から、かさを持っていって下さい。)
彼は絶対に来ません。
この薬を飲めば、必ず治りますよ。
「だろう」は「たぶん」や「おそらく」のような「確実でない」ことを表す
副詞と共に提示されるのがふつうです。「きっと」をつけると、確信の度合い
が強くなりますが、やはり「推量」であることには変わりません。
明日は たぶん/きっと 雨が降るでしょう。
「必ず」や「絶対に」を付けることもできますが、結局「だろう」の意味の
ほうが強く、実際にそうなると断定はしていません。
絶対に勝つでしょう。
気持ちとしては「絶対に」なのですが、表現としては断定していないのです。
もちろん、
絶対に勝ちます。
と言っても、実際にどうなるかはわからないのですが、話し手の気持ちとして
は、「だろう」と違って、確信していますし、その気持ちをことばとして表明
しているわけです。(→「39.断定・確信」)
仮定の場合は少し複雑です。
私が男だったら、ラグビーをやっているでしょう。
こうしたら、もっとうまくできただろう。
この二つの例は、「事実に反する仮定」を立てて、その中でどんなことが起
こり得るかということを述べています。現に女である「私」がもし「男だった
ら」、あるいは、過去に「うまくできなかった」ことを、もし「こうしたら」、
という仮定を立てます。
その結論として考えたことは、はっきりは言えないことですから、「だろう」
をつけて言っています。現在のほうは、「だろう」なしでも言えます。
私が男だったら、ラグビーをやっていますね。
「だろう」はだいたいどんな事がらにも自由につけられる表現ですが、話し
手自身の意志的行動にはつけにくいものです。
?私は後から行くでしょう。(cf. 私は後から行きます。)
と言うと、「私が行く」かどうかは、その後の状況と、誰か他の人の決定によ
るもので、自分では決められないから今は何ともわからない、というような意
味合いを感じます。つまり「私」の意志的行動ではなく、「行くことになるで
しょう」というような意味になります。
あるいは、ずっと先のことで、その時になってみなければ、私の気持ちがど
うなるかはわからない、というような場合になります。
「来年の初詣はどうしますか」「(私は)たぶん行くでしょう」
私は「行く」意志があるけれども、状況によってはどうなるかわからない、
というなら、
私は後から行こうと思います。
のような表現になります。
聞き手の意志的行動にも基本的に使えません。使うと、かなり微妙な意味に
なります。
あなたはこれから図書館へ行くでしょう。
と言うと、占い師が言い当てているようです。(イントネーションは下降調で
す。上昇調で「〜でしょう?」と言うと、また別の用法です。)
三人称なら、例えば「彼」の今日の行動予定を知っていれば、
彼はこれから図書館へ行くでしょう。
と言うのは、ふつうの言い方です。
しかし、聞き手に関する場合は、たとえ行動予定を知っていても「あなたは
これから〜」と言うのは変です。その場合は、相手が知っていることですから、
「確認」という意味になり、
田中さんはこれから図書館へ行く(ん)でしょう?
田中さんはこれから図書館へ行くんですよね。
などの言い方になります。(→「38.2.3 だろう↑」)
聞き手の内面的なことは、もちろんはっきりわかりませんから、「だろう」
が使えます。
どうもごくろうさま。疲れたでしょう。
ポチが死んだんだって? 悲しいだろうなぁ。
「だろう」と「でしょう」の使い方の違いとしては、独り言の場合、聞き手
がいないので丁寧にいう必要がありませんから、「でしょう」は使われないと
いうことぐらいです。日記でもふつうは「だろう」を使います。
[〜だろうと思う]
「と思う」をつけると、その推量が話し手の個人的なものであることをさら
にはっきり言うことになります。「と思う」は丁寧形を受けませんから、「で
しょう」は使えません。(→「38.10 〜と思う」)
これで間違いないだろうと思います。
×もう大丈夫でしょうと思いました。
[〜ことだろう]
期待・詠嘆・あきらめなど、何らかの気持ちを込めて推量するとき、「〜こ
とだろう」という形が使われます。やや文学的な、時代がかった言い方です。
丁寧さを表すためにも使われます。
人類は、いつか太陽系の外へ出ていくことだろう。
それができたら、さぞすばらしいことだろう。
それはお困りになったことでしょう。
◆力造蕕押
話し手の判断などを表わす場合、「はっきりしない」のではなく、「はっき
り言わない」ことを表わします。聞き手に対する遠慮、ことばを和らげる働き
です。
「これでいいですか」「まあ、いいでしょう」
「だめでしょうかねえ」「そうですねえ。だめでしょうねえ」
どちらも聞き手に対して強く言うことを避けた言い方です。
論説文などで自分の主張を述べる場合に、調子を和らげるためによく使われ
ます。
これは、次のように考えることができるだろう。
書きことばの「デアル体」では「〜であろう」という形がよく使われます。
この問題については、これ以上述べる必要はないであろう。
ただし、このような書き方は、実際に「推量」である場合、つまり、議論の
中で本当に「はっきりしていない」ことを表す場合との区別がはっきりしなく
なることもあり、使い方に気を付ける必要があるでしょう。いや、あります。
38.2.2 〜だろうか/でしょうか
[〜でしょうか]
一般の平叙文に「か」を付けると、疑問文になります。もちろん、イントネ
ーションは上昇調にして。(下降調にした場合のことは「42.疑問文」に。)
あした雨が降りますか。↑
この疑問文は、「あした雨が降りますか、降りませんか、どちらですか」と
聞き手の考えを聞いています。「降るか降らないか」、はっきりした答えを求
めています。
もちろん、話し手は聞き手がこの質問に答えられるような知識を持っている
ことを前提にしています。天気予報を見たか、あるいは気象庁の人か、など。
では、「推量」の「疑問文」というのは何を意味しているのでしょうか。
あした雨が降るでしょうか。↓
の場合も、「あした雨が降るでしょうか、降らないでしょうか」と聞き手に聞
いていると考えていいでしょう。
つまり、答えとして、
よくわかりませんが、たぶん降るでしょう/降らないでしょう。
という、あまりはっきりしない答え方ができる聞き方だということです。
「〜でしょう」は話し手にとってはっきりしないこと、断定的に言えないと
いうことを表わしています。
疑問文の場合に「でしょう」を使うのは、はっきりとした質問にしないため、
質問の口調を柔らかいものにするためです。
聞き手の意志的なことには「でしょうか」は使えません。
彼は来ますか/彼は来るでしょうか。
はどちらも言えますが、
×あなたは来るでしょうか。(cf.あなたは来ますか)
とは、ふつう言いません。これはつまり、
?私は来るでしょう。
と言いにくいことの裏返しです。
「あなた」の意志動作でなければ「あなたは〜でしょうか」という質問ができます。
あなたはあした来られるでしょうか。
→はい、たぶん来られるでしょう。
可能かどうかは意志的なものではありませんから、「私は〜でしょう」と言
えます。
話し手が何かを説明していくような場合、自ら問題を設定してそれを聞き手
(文章の場合は読み手)に投げ掛けておいて、そのあと自分でその答えを述べ
ていく、ということがよくあります。その場合、「でしょうか」をつけます。そうし
ないと、相手に答えを要求することになってしまいます。
a このような問題が起きるのはなぜでしょうか。それは・・・
b このような問題が起きるのはなぜですか。それは・・・
外国人の書く作文にはよくbのような文が見られます。これでは、読み手に
答えを要求する感じです。それを避けるためのaは、「でしょうか」のかなり
重要な用法の一つです。
次の「だろうか」でも同様の用法があります。
[〜だろうか]
「か」がつくと、「でしょう」と「だろう」の違いが比較的強く出てきます。
「でしょうか」は聞き手に対する質問になりますが、「だろうか」はむしろ自分に
対する問いです。
これはいくらだろうか。
彼は本当に来るだろうか。
これは聞き手がいなくても言えます。「でしょうか」は聞き手がいなければ
言えません。
?(独り言で)彼女は来てくれるでしょうか。
もちろん、聞き手がいる時は聞き手に対して問いかけることができますから、
そうすれば「だろうか」でも質問になります。答えとして、はっきりしない答
えを予想する点は「でしょうか」と同じです。
疑問語疑問文の場合、「か」があってもなくても同じです。
彼は何時に来るだろう。
彼は何時に来るだろうか。
「〜だろうか」は男ことばで、女性は「〜かしら」、「〜かな(あ)」などを
使うところです。「〜かな(あ)」はもちろん男性も使います。
これは何だろう。
これは何かしら。
これは何かなあ。
意味合いの違いは多少ありますが、ほぼ同じように使えます。
38.2.3 〜だろう/でしょう?:確認
「か」を付けずに上昇調のイントネーションにすると、自分の推測に対する
相手の確認を求める言い方になります。話しことばでは「〜でしょ?/だろ?」
と短くなる場合があります。
これ、あなたのでしょう?
奥さんもいらっしゃるでしょう?
これを使うんだろ?
これでいいだろう?
自分がおおよその予測を持っているということで、「でしょう」が使われ、
イントネーションを上昇調にすることで、相手への問いかけが表されます。
行きますね。
行くでしょう? ↑
ネと似ていますが、違う点は、例えば、自分で描いた絵を見せて、
これ、きれいでしょう? ↑
?これ、きれいですね。
と言うと、「でしょう」のほうは、「たぶん〜だろうと私は思うし、あなたも
そう思うだろうと私は思うのだが、そうか?」というような意味になります。
「ですね」のほうは、「です」ではっきり言いきっていますから、「これは〜
である。あなたはこの事実を認めるか」と、大げさに言えば、なります。自分
の作であることを隠していて、知らぬ顔で言うなら言えますが。
また、医者が注射をしながら、
どうですか、あまり痛くないでしょう? ↑
どうですか、あまり痛くないですね。
と言うと、後者は不適切です。「ですね」は「痛くない」はずだ、と人の痛み
に同情せず、それについて相手の同意を求めていますから、患者に反感を起こ
させます。
推量と確認の違いを考えてみます。推量は「聞き手も知らないと話し手が思
っていること」について言います。聞き手が知らないからこそ、話し手ははっ
きりしない推測を話すことができるのです。
それに対して、確認は「聞き手が知っていると話し手が思っていること」に
ついて言います。
確認に近い使い方で、イントネーションが上昇調にならない場合があります。
決めつけるような言い方や、勝ち誇ったような言い方の場合です。
例えば、人に何か見せびらかしながら、
これ、いいでしょーう。
という場合、話し手は「いい」と信じており、「聞き手もきっとそう思うだろ
う」と思っています。「確認」は求めるまでもない、という感じです。
推量の時は「〜でしょう」の「しょ」の部分から低くなりますが、自慢の場
合は、「でしょう」全体がまっすぐにのばされます。
た き
ぶん れいで
しょう
き
れ れいでしょ−
こ
また、
その声は母さんじゃない。おまえは狼だろう。(七匹の子やぎ)
と言うときも、相手の返事を期待していません。これを上昇調で、
おまえは狼だろう? ↑
としてしまうと、自信が感じられず、迫力がありません。
あなたはもう中学生でしょう。しっかりしなさい。
では、「中学生である」ことは明らかな事実で、相手が知っていることを再認
識させる言い方です。この場合は、上昇調・下降調どちらも可能です。下降調
のほうが厳しい言い方です。
38.3 〜かもしれない/かもしれません
事柄の成立する(した)可能性が(低いけれども)あることを表わします。
過去のことに対しても言えます。動詞・形容詞・名詞述語に接続します。「も
しかすると・ひょっとすると(〜したら)」などの副詞が共に使われることが
あります。
1 明日は雨(雨が降る)かもしれません。
2 ひょっとすると、お金はこの中にある(ない)かもしれない。
3 今この瞬間に大地震が起きるかもしれない。
4 99%大丈夫だと思うけれど、もしかすると、うまくいかないかも
しれないから、その時はよろしく頼むよ。
そのことが起こらない(なかった)蓋然性が高いのだけれども、起こるという
可能性を否定できない、という気持ちです。そのことに対して否定的なのだけ
れども、なお、「ありうる」という意味では肯定的です。(もちろん、否定の
「〜ないかもしれない」の場合は話が逆になります)
仮定上のことについての推量にもよく使われます。実際にはそうではないの
だけれども、もし・・・という場合を想定して、その時に起こりえる(えた)ことを
述べます。
彼がいれば、この案に反対するかもしれない。
あの時もう一秒早かったら、死んでいたかもしれない。
それ自体が過去の形になりますが、現在形との大きな違いはありません。
その時、彼女はすでにそれを知っていたのかもしれなかった。
その時、彼女はすでにそれを知っていたのかもしれない。
違いは、現在の判断(推量)として述べるのか、意識を過去のその時点に多少移
して述べるのか、という心理的な差に過ぎません。
可能性の低さという点では、「〜だろう」と裏表になる場合があります。
もしかすると来ないかもしれないが、たぶん来るだろう。
「来る」可能性が8・9割で、「来ない」可能性が1・2割でしょうか。
次のような場合は、可能性が半々というより、どうなるか分からない、とい
う意味でしょう。その二つ以外の可能性はないのですから。
うまく行くかもしれないし、行かないかもしれない。
前の文を受けて同じ内容を言う場合には、「そう(だ)」の形が使われます。
「これはどうも失敗だね」「そうかもしれないね」(失敗かも〜)
「あの場合はやり直したほうがよかったのかなあ」「そうだったの
かもしれないね」
現在の場合は「だ」が落ちますが、過去では「だった」が現われます。
38.4 〜(し)そう だ/です
「〜そうだ」という形は二つあるので、前に動詞「する」を付けた形にして
「しそうだ(様子)」「するそうだ(伝聞)」と呼び分けることにします。
おもに動詞・形容詞に接続します。「そうだ」自体はナ形容詞と同じ活用
をします。つまり「〜そうなN」「〜そうにV」「〜そうだったら」などの形
をとります。
1 このりんごはおいしそうですね。
2 重そうなかばんだ。
3 彼女はとても楽しそうに働いている。
4 棚の上の物が落ちそうだ。
5 雨が降り出しそうな天気です。
6 今度は試験に受かりそうだ。
「しそうだ」は、あるもの(ごと)の状態が、そこから現在あるいは近い将来
に対してある推量が成り立つような状態だ、ということを表わします。過去の
事柄についての、現在の時点での推量は表わせません。この点が他の文型との
大きな違いです。
おもに視覚から得た直接的な情報によりますが、それまでの成り行きから将
来を判断するような場合(例6)もあります。
形容詞に接続する場合は、外見を推量の根拠として、その外見以外のことを
推量します。今見ている外見そのものについては言えません。きれいな物を見
て、「きれいそうだ」と言うことはできません。
7 (スイカの外側を見て)中は赤そうだ。
状態動詞の場合は、やはり現在の視覚などの情報から、そのもの(ごと)のあ
る側面を推量します。
いかにもお金がありそうな家ですね。
この事件は十年前の事件と関係がありそうだ。
動きの動詞の場合は、すぐ後にそれが起こる可能性がある、という切迫感を
感じさせる場合が多くあります。(上の例4・5)
強風で木が倒れそうだ。
こんな生活では、すぐ病気になりそうだ。
何かいやなことが起こりそうだ。
外見から将来を予測する場合。
(競馬の馬の調子を見て)速く走りそうですね。
(りんごが少し色付いたのを見て)きれいな赤になりそうですね。
否定の形はちょっと複雑です。動詞と形容詞で少しちがいます。
形容詞の場合は「A−なさそうだ」と「A−そうではない」の二つの形が使
われます。
あまり おいしくなさそうです/おいしそうではありません。
田中さんは ひまではなさそうだ/ひまそうではない。
動詞の場合は、「V−そうに/も/にも ない」の形がよく使われます。
今からでは間に合いそうにありません。
この様子では、今日中には終わりそうもないね。
難しくて、私にはできそうにもありません。
「V−そうではない」の形もありますが、あまり使われません。
「中にいそうですか」「いや、いそうではありませんね」
「V−な(さ)そうだ」の形は、載せている文法書もありますが、ほとんど使
われません。
?今からでは間に合わなそうです。
?私にはできなさそうですよ。
過去は「〜そうだった」「〜なさそうだった」「〜そうではなかった」
「〜そうになかった」がそれぞれ使われます。
話は 長そうだった/長くなさそうだった/長そうではなかった。
壁が はがれそうだった/はがれそうになかった。
「しそうだ」は「しそうで・しそうな・しそうに」の形でも使われます。
何となく失敗しそうで不安です。
これは単に述語としての「だ」が中立形の「で」の形になって、「連用節」
になったものです。(→「46.並列」)このほかに、「しそうだったら・しそ
うなので・しそうであれば」などの形にもなりますが、それはそれぞれの文型
の意味が加わっただけで、「しそうだ」の意味には影響しません。
名詞の前では「そうな」の形になります。形式名詞を使った文型でも。
おいしそうなお菓子ですね。
おもしろそうな本を選んで下さい。
雨が降りそうな日は自転車では行きません。
誰か参加してくれそうな人はいないかなあ。
今日は誰かいそうなものだ。(→「40.その他のムード」)
次のような慣用表現があります。
いいことが起こりそうな 気/感じ/予感 がする
最後に「そうに」の形です。連用修飾の形です。(→「52.様子」)
つい間違えそうになった。
彼は本当においしそうにケーキを食べていました。
さも不思議そうに私の顔を見ていた。
[A−げ だ/です]
「〜そうだ」に近い意味の表現として「A−げだ」があります。人がそのよ
うな様子を見せている、という意味で、特に連体、連用修飾の形でよく使われ
ます。外から見えるような心理状態の現れを表す形容詞に限られます。
いかにも嬉しげだった。
その女の子は悲しげな顔で私を見た。
店員たちはさも忙しげに動き回っている。
38.5 〜よう だ/です
動詞・形容詞・名詞述語の普通形に接続します。ただし、名詞の現在の場合
は「×Nだようだ」ではなく、「Nのようだ」となります。
「ようだ」の「よう」とは「ようす」だと考えればいいでしょう。どんな様
子かを自分の直接的な感覚・経験から判断し、過去・現在・将来のことを推量
します。過去のことについて、発話時点で推量すると、「〜たようだ」となり
ます。
否定は「〜ないようだ」となります。「×〜ようではない」とはなりません。
くだけた話しことばでは「〜みたい」がよく使われます。
私の留守に誰か来たようです。
飛行機は到着が遅れるようです。
この料理はちょっと味が濃すぎるようです。(味見してみて)
彼女はずいぶん忙しいようですね。いつも席にいません。
その人は彼の恋人ではなかったようです。
皆さんお集まりのようですから、始めましょう。
みんな集まったようだから、始めよう。
彼は来ないようだ。
×彼は来るようではない。
彼女は来なかったようだ。
×彼女は来たようではない。
「ようだ」自体が過去形になることもあります。ものごとの過去のある時の
推量は、「〜ようだった(でした)」となります。
彼女には味が濃すぎるようでした。
彼女には味が濃すぎたようでした。
忙しいようでしたので、あいさつはしませんでした。
忙しかったようなので、あいさつはしませんでした。
[ヨウダとラシイ]
次に述べる「らしい」との違いが問題になります。
隣の部屋に誰かいるようだ。
隣の部屋に誰かいるらしい。
「ようだ」と「らしい」の違いを明確に説明するのは難しいことです。どち
らかしか言えない場合、どちらでも使えて意味も近い場合、どちらも使えるが
意味が少し違う場合、のそれぞれを考えなければなりません。上の例では、ど
ちらも言え、それほどの意味合いの違いは感じられません。
ここでは、「ようだ」が使え、「らしい」が使いにくい場合を考えてみまし
ょう。「ようだ」は、話し手が自分なりの判断の根拠を持って、いわば主体的
に推量する場合に使われます。それに対して、「らしい」ははっきりと人から
の情報による場合と、自分なりの推論・判断による場合とがあります。
まず、自分の独自の根拠による判断。例えば上の味見の例です。
×この料理はちょっと味が濃すぎるらしいです。(味見してみて)
自分で体験しているので、「らしい」は少し変です。ただし、「彼女には〜」
の例では、「らしい」も使えます。
この料理は彼女にはちょっと味が濃すぎるらしいです。
「彼女」自身からそう聞いたか、あるいは他の人からそういう話を聞いたか、
そんな感じを受けます。「〜濃すぎるようです」だと、彼女の食べ方を見て判
断しているような感じです。
次に、お医者さんが診察した後のことばを考えてみましょう。
単なる風邪のようですね。心配はいりません。
はっきり断定はできないにせよ、自分の診断に責任をもっています。これを
「らしい」で言うと、自分の判断ではないように聞こえ、診断に責任が感じら
れません。
単なる風邪らしいですね。心配はいりません。
「ようだ」には、上の例の「集まったようだから」のように、はっきり知っ
ていてもそう言わずに、ぼやかして言う言い方があります。「婉曲」と呼んで
おきましょう。これも「らしい」では言えません。
(会場を見渡して)
みなさんお集まりのようですから、そろそろ始めましょう。
?皆さんお集まりらしいから、始めましょう。
人から聞いたことでも、「ようだ」を使う場合があります。
みんなの話だと、どうも車では無理なようだよ。
これを「〜無理らしいよ」と比べると、「らしい」のほうは、「みんな」が無
理だと言っているという感じで、「ようだ」のほうは、「みんな」がいろいろ
なことを言っていて、それらから総合的に話し手が判断して「無理だ」と考え
た、という感じがします。少々こじつけ気味ですが。
「よう」は形式名詞で、「その」を受けられます。
「始まるのかな」「そのようです」(=始まるようです)
「始まるのかな」「そうらしいです」
[比況]
「よう(だ)」には他の用法がいろいろあります。名詞を受ける形、「Nのよ
うだ」は形式名詞のところで例をあげておきました。(→「14.8 よう」)
複文の中で「ように/ような」の用法は特に重要です。(→「52.5 〜ように」など)
ここでは、「推量」の他の複合述語としての用法のもう一つ、「比況」と呼
ばれる用法をここで扱っておきます。「比況」とは、他の物事と比べ、たとえ
て述べることです。「Nのようだ/ような/ように」の比況の例は、形式名詞
のところで「比喩」として出しておきました。
まるで雪のようです。
花のような美しさ
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
動詞を受けて複合述語となる例をあげます。
桜の花びらが風に流されて、まるで雪が降るようだ。
あの先生の言い方は、まるで軍隊の指揮官が命令しているようだ。
隣の夫婦のけんかは、ライオンと熊が吠え合っているようだ。
この「ようだ」も、「ような/ように」の形になり、複文を作る重要な要素
になります。
[〜みたい だ/です]
「〜みたい」は「〜ようだ」とだいたい同じ用法を持つ、話しことばで使わ
れる形です。否定や過去の位置も同じです。現在形で「だ」が省略されうる点
がちょっと違いますが。述語との接続が多少違います。次の「〜らしい」とお
なじで、名詞述語・ナ形容詞の現在形の「だ」が削除されます。
そろそろ始まるみたい(だ)。
バス、行っちゃったみたいだね。
この服、私にはちょっと大きいみたい。
ずいぶん元気みたいだったよ。
最近の大学生は小学生みたいだね。とても子どもっぽい。
「比況」の用法でも使われます。
ハンググライダーって、鳥になったみたいなんだ。
それ自体の過去は、上の例にもあるように「みたいだった」となるのですが、
「みたかった」という人がけっこういるようです。
バスはなかなか来ないみたかったから、・・・
38.6 〜らしい(です)
普通形に接続します。自分が断定できないことを表わします。人からの情報
の場合と、自分が何らかの証拠などから推測する場合があります。どちらにせ
よ、自分の判断に責任を持っていない点が「〜ようだ」と違います。
まず、人からの情報であることが明示されている場合。情報源が「Nによる
と/よれば」「N(発話関係の名詞)では」などの形で示されることが多いです。
新聞によると、今年の夏はひどく暑いらしい。
参加者の話では、会はあまり盛り上がらなかったらしい。
彼は今日ひまらしいから、行ってみよう。(昨日の話では)
これは後で取り上げる「〜するそうだ(伝聞)」に近くなります。
自分の推量の場合。何かの根拠・証拠から判断します。しかし、「それは確
かでない」という意味合いがはっきりあります。
このコードはここにつなぐらしい。(説明書を見ながら)
何か音がする。中に何か入っているらしい。
この店はおいしいらしい。客がたくさん入っている。
自分の目で見て直接推測できるようなことは、「らしい」では言いません。
×(服をみて)大きいらしい。
〃 大きいようだ。
〃 大きそうだ。
(服を着てみて)ちょっと大きいようですね。
× 〃 ちょっと大きいらしいですね。
× 〃 ちょっと大きそうですね。
横で見ていた人も同じように言うでしょう。
否定や過去を受けます。
彼らはもう出発したらしい。
は、現在の状況から考えて、「彼らは前に出発した」ということを推定してい
ます。(「〜ようだ」でもほぼ同じです。)
「らしい」自身は否定になりません。過去にはなることがあります。
×出発するらしくない。
出発しないらしい。
(その時)もうすぐ出発するらしかった。
その時の様子が出発を予想させるようなものだった、という意味です。
「そう」で前のことを受けられます。
「彼が犯人か?」「信じられないが、どうもそうらしい」
(「そのようだ」)
[接尾辞のラシイ]
名詞につく「Nらしい」で、別の意味のものがあります。「ふさわしい」と
いう意味合いで、否定にも過去にもなります。接尾辞と考えるのがいいもので
す。「いかにも」などの副詞といっしょに使われます。
いかにも横綱らしい相撲だ。
横綱らしくない負け方だった。
「男らしい・女らしい」という言い方は最近は評判がよくありませんが、こ
れらもこの接尾辞の「らしい」のほうです。(→「27.補助動詞・形容詞」)
38.7 〜(する)そう だ/です
「伝聞」の表現です。あることに関して、他の情報源から伝え聞いて、また
は読んで、得たことを自分なりにまとめ、それを自分の知らなかったこととし
て表現します。人から聞いたことで、内容の真偽の責任は自分にない、という
感じを与える表現です。
あの人は人間国宝だそうです。
この料理はとても辛いそうです。
私の授業はおもしろくないそうです。
田中さんはその話は知らないそうです。
情報源は「Nによると/よれば」の形で示されるのがふつうです。
この本によると、今後もオゾンは減って行くそうです。
辞書によれば、この言い方は間違いだそうです。
「話・うわさ」などの名詞では、「Nでは」の形も使えます。
彼の話では、問題はないそうです。(彼の話によると)
新聞によると、景気は上向きだそうです。(×新聞では)
否定は、例にもあるように「〜ないそうだ」となります。疑問文にはなりま
せん。
?その本によると、オゾンは増えているそうですか?
代わりに使われるのは、
その本では、オゾンは増えていると言っていますか。
その本には、オゾンは増えているとかいてありますか。
などの表現が使われます。
[〜とのことだ/〜ということだ/との由]
類義表現として、「〜とのことだ・ということだ・(との)由(ヨシ)」などがあ
ります。「との由」は書き言葉で、簡潔に言う時の表現です。そのままの形で
動詞の対象になることがよくあります。
今日の会議は中止とのことです。
彼の話では、しばらく大地震は起きないということです。
来年留学される(との)由、田中教授からうかがいました。
「来年留学されるということをうかがった」という意味です。
[〜って]
話しことばでは、「〜って」の形が非常によく使われます。「って」は「と
(いう)」に当たります。「〜って(いう)話だ」「〜って(いう)ことだ」とい
う形もあります。
ねえ、来週は休講だって。
彼女は行かないって。
聞いた?あいつが死んだってさ。
半分は落とされるって話だぜ。
教授によれば、レポートを出せばいいってことだ。
38.8 〜まい
「〜まい」は意志形の否定に当たります。少し古い言い方で、現在ではかな
り硬い書き言葉です。普通体だけで、これ自体の丁寧体はありません。丁寧な
言い方にするには動詞を丁寧形にしますが、あまり使われません。
意志の否定と、意志形が以前は持っていた推量の意味の否定になります。
「しよう」は、すぐ後で見るように、基本的には推量を表さず、「するだろ
う」にとって代わられているわけですが、「するまい」は「しないだろう」と
共に使われています。
ただし、文体的に違いがあります。
動詞との接続の形については「32.10 V−まい」を見てください。推量の用
法では、動詞以外の述語でも使えます。
イ形容詞には「A−くあるまい」の形で、ナ形容詞・名詞述語では「である」
の形に「〜ではあるまい」という形で接続します。
つまりは動詞の「ある」に接続することになります。
意志の意味になるのは主体が一人称の場合だけで、三人称の場合は推量にな
ります。主体が一人称でも、非意志的なら推量になります。
意志 二度とこんなことはするまい。(と私は心に誓った)(→ 32.10)
推量 彼は二度とここへは来るまい。(こないだろう)
そんなことはあるまい。(ないだろう)
そんなことはありますまい。(ないでしょう)
来週はそんなに忙しく(は)あるまい。
彼もそんなものを見たく(は)あるまい。(「−たい」はイ形活用)
来週はそんなに暇ではあるまい。
これは彼の字ではあるまい。
そうなっても、たぶん私は気がつくまい。(気がつかないだろう)
[〜まいと思う]
「〜と思う」をつけた形にも意志と推量の両方があります。
二度とこんなことはすまいと思った。
主体が「私」なら意志で、「彼・彼女」なら推量です。
彼のことだから、どうせ(たばこを)やめられまい、と思っていた
のだが。
なかなか難しいが、優勝の可能性もゼロではあるまいと思う。
なお、この「V−まい」という形は、複文で「〜(よ)うが/と、〜まいが/
と」という文型で使われます。(→「49.6 〜ても」)
38.9 V−(よ)う
意志形はほとんどの場合意志を表しますが、推量を表すこともあります。書
きことばで、限られた用法だけですが。
このようにも言えよう。
こう考えることもできよう。
この問題も、科学の発達によっていつかは明らかにされよう。
そう言いきってしまっては、問題があろう。
新しい問題が起こることも有り得よう。
こういうことは二度となかろう。
それを言っては、大衆の非難を浴びよう。
動詞の可能形、受身形、自発、存在の有無を表す「ある・ない」などについ
て、「〜だろう」と同じ意味を表します。「ない」はイ形容詞ですから、「な
かろう」という推量形になります。
[V−(よ)うとは思わなかった]
「32.6 V-(よ)う+と思う」でも触れましたが、意外な気持ちを表す表現で
す。基本的に文末が現在で言えないところが特徴的です。
?彼が来ようとは思わない。
まさか彼が来ようとは思わなかった。(が、実際には、来た)
基本形を使った「来るとは思わなかった」または「なるだろうとは」と同じ意
味になります。多少大げさな言い方です。「思う」以外でも、予測を表す動詞
が使えます。
目の前の箱にそれが隠されていようとは思わなかった。
こんな結果になろうとは誰も予想しなかった。
「思う」を可能や自発の否定にすると、文末が現在でも言えます。
地震が近いうちに起ころうとは思われません。
そんな問題が起ころうとは思えません。
意志の否定と形が同じなので、注意が必要です。
彼は、自分で責任をとろうとは思わなかった。(意志)
彼が自分で責任をとろうとは思わなかった。 (推量)
「とるとは」あるいは「とるだろうとは」と言っても同じです。上の意志の例
で「思わなかった」主体はもちろん「彼」です。「は」と「が」の使い分けに
も注意してください。「禁止」や「義務」のところでも同じような使い分けが
ありました。
38.10 〜と思う
「〜と思う」は、他の思考動詞とともに、複文の最後でとりあげる「引用」
の文型として扱われますが、他の思考動詞とは違った性質を持っていて、ムー
ド表現に近づいています。
この映画は面白いと思う。
現在形で、「〜と思う/思います。」と言いきると、主体を言わなくても、
自動的に話し手が主体だと解釈されます。他の思考動詞でもそのような傾向が
ありますが、「思う」ほどはっきりしたものではありません。
その方法には無理があると考える/感じる。
また、上の例の「思う」には二つの意味があります。「この映画」を見る前
なら、「面白いだろう」という推量の意味に近く、見たあとなら、「面白い」
という自分の意見の表明になります。
どちらにせよ、「推量」と違うところは、その確からしさの程度を言うこと
に力点があるのではなく、「自分の個人的な意見」であることを示すところで
す。
それは、「V−だろうと思う」の場合にもつながります。
この映画は面白いだろう。
というのは、「面白い」可能性が大である、という推量を、例えば「面白いか
もしれない」や「面白くないだろう」という推量と対立させていますが、「と
思う」のほうは、「他の人がどう言おうと、私はそう思う」という意味です。
「だろう」という推量の主体はもちろん話し手ですが、「思う」という動詞
を使った形は、よりはっきりと主体を示します。
「〜と思った/思っている。」だと、文脈によって他の人が主体である場合
もあります。
a 田中さんはこれで卒業できると思う。
b 田中さんはこれで卒業できると思った。
c 田中さんはこれで卒業できると思っている。
aで「思う」のは話し手ですが、bでは「田中さん」か話し手です。cでも
「田中さん」か話し手ですが、特に文脈の支えがなく、この文だけなら「田中
さん」とするほうがふつうでしょう。「私」なら、「〜と思う」のほうが自然
だからです。
[推量の形式との関係]
「〜だろう」のところで、「〜だろうと思う」という形があることを述べま
した。「〜だろう」という推量が、個人的なものであることを特に示す形です。
雨が降るだろう。
雨が降ると思う。
雨が降るだろうと思う。
まったく、日本語は変なところにこだわる言語だという気がしてきます。他
の言語でも同じようなものかもしれませんが。
他の推量の形式は「〜と思う」で受けにくいものが多いようです。
×雨が降るようだと思います。
×雨が降るらしいと思います。
×雨が降るそうだと思います。
しかし、
?雨が降りそうだと思います。
は、いくらかよさそうです。形容詞を受けて、
おいしそうだと思います。(×おいしいようだと思います)
ならずっとよくなります。
雨が降るかもしれないと思います。
は「〜だろう」と同じように言えます。
補説§38へ
主要目次へ
参考文献
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加藤陽子「話し言葉における「トイウコトダ」の諸相」不明・紀要
三宅知宏1995「ソウダとトイウ」宮島他編『類義上』くろしお出版
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